張り付く不安
ブルーノ・ランバージャックは人間が爆発するのを初めて見た。
内側から肉が弾け、内臓と血液と体液と骨格と目玉と脳味噌と──何もかもが四散する光景を初めて見た。
こんな死に方もあるのかと、いっそ感心すらしてしまうほどだった。
しかし、それも一瞬の気の迷いだ。
一瞬の先に広がった光景を目の当たりにして、そんな感慨を持った事を後悔する。
ゴリアテの機内は地獄と化していた。
五十五人分の人間が爆炎と共に破裂し、医務室、貨物室、通路等々、機内のあらゆるところに人体だったモノをぶちまけた。
人間の部品達は床に敷き詰められ、壁にこびり付き、天井からも落ちてくる。元の形など想像すら出来ない。出来の悪いジグソウパズルのようにチグハグだ。
まるで巨大な動物の腹の中に迷い込んでしまったかのような気分。──いいや。そちらの方がまだ幾分マシであるだろう。それほどに醜悪な光景だった。
「……なんという悪趣味だ。邪竜でも、こんな残忍な殺し方はしないぞ」
自身に降り掛かった腕やら足やら頭部やらを払い除けて、ブルーノは立ち上がる。爆発の只中にいながらも彼には傷一つない。竜鱗はこの程度の衝撃で砕けたりはしなかった。
だが、その表情は暗い。当然だ。こんなものを見せられて嫌な気持ちにならない方がおかしい。人の死など見飽きたが、だからといって何一つ感じない訳ではない。どちらかと言えば繊細な神経の持ち主だと自分で思っているくらいだ。
「皆は無事だろうか。──こちら、ブルーノ」
インカムに喋り掛けて違和感に気付く。爆発の衝撃を受け、インカムは破損していた。彼の声は誰にも届いていない。
役に立たなくなったインカムを捨てて、炎が燃え移った人間の残骸の中を歩く。仲間の安否を確かめようとした時、ふと思い出す。村人が爆発する直前に自分が見たものを。
「そうだ。サクラが、あの男に……。あれは天族だった、よな」
白い翼を広げた男。自分が助けた男にサクラは抱えられ、空に落ちた。爆発はその直後。ならば考えるまでもない。
「……サクラ」
彼女は敵にさらわれたのだ。
不甲斐なさを噛み締める。あんな近くにいながら気付かなかった自分に苛立つ。
そして恐れた。
言い得ぬ不安を覚えた。
彼女がさらわれた。彼女がいなくなった。彼女が消えた。彼女が──
「──ッ」
胸に爪をたてて、痛みを以て、その思考を振り払う。
──考えるな。考えてはならない。一度でも想像すれば正気ではいられない。その確信があった。
深く呼吸し、平静を装う。
今は仲間達を探し、状況を理解する必要がある。理性的に判断して、ブルーノは操縦室を目指した。
途中で仲間の一人を発見した。死んでいた。
救護係の非戦闘員の女性局員。竜の身体であるが故、世話になった事はなかったが、それでも出動の度に顔を合わせていた仲間の一人。それが死んでいた。
制服によってある程度は防護されていたらしく人間の形を残していたが、その胸部には誰かの足から飛び出た太い骨が突き刺さっていた。即死は出来なかったのか、表情は苦しみ抜いた形跡がある。
「……」
掛ける言葉もなく、ブルーノは見開かれた瞼だけを閉じさせると先を急いだ。
仲間の死を目撃した事で自然と足は焦り出す。
肉塊を乱暴に蹴り分けて進み、彼は操縦室の扉を開けた。
「よお。遅かったじゃねぇか」
入った途端、中にいたカズト・グレイトフルの健在な姿を見て安堵する。その隣にはカリナ。背後にはシオンとマイケルもいた。
「何が『遅かったじゃねぇか』だよ。ボクが庇ってあげなれば今頃死んでたくせに、よくもまぁ堂々としてられるもんだ」
「その節はどうもありがとうございました! でも何度も感謝したんだから、もう勘弁して下さいよォ!」
「やだね。このネタでしばらく我儘を聞いてもらうつもりだし」
「恩着せがましい事この上ねぇな、オイ!」
「おいおい、ボクは命の恩人なんだぜ? 命を救われておいて、ありがとうの言葉だけで済むとでも?」
「ぐ、ぐぬぬ……!」
どうやらカズトはカリナに助けられたらしく、その事で仲良く言い争っていた。平常時ならば微笑ましく見守る所だが、今は非常時。ブルーノは二人をなだめ、オペレーターであるシオンに状況を聞く。
「えーと、ゴリアテは墜落してますけど、リンちゃんが魔法を施してくれたので地表に激突する心配はありません。機内は広範囲に火災が発生していますが、操縦室にいる限りは大丈夫です。ただ主動力がやられちゃってるので、現状ゴリアテの装備は一切使えません。なので、まぁ、とりあえず着陸するまではじっとしていた方がよいかと……」
「サクラがさらわれている。じっとなんてしてられない」
「ああ、それは把握しています。でもリンちゃんが追跡しているので、たぶん大丈夫ですよ。なんたってあの子はベル家の当主にして若手ナンバーワン天族なんですから、そんじょそこらの天族には負けませんて」
自信満々に言うシオンにブルーノは頷きかねる。
彼女の実力はそれなりに知っているが、戦いに絶対はない。ましてや、これほどの用意をしていた相手。一筋縄ではないはずだった。
そんな懸念を抱いた時──緩やかに降下していたゴリアテが、落とし穴にでも落ちたかのように高度は下げた。落下は止まらず、既に地上へ近付いていた機体は対処の間もなく不時着する。
草原を引き裂きながら、鋼鉄の箱舟はその身を大地に擦り付けた。
着地の衝撃で内部は荒れ狂う。五十人以上の残骸は生々しい音を発しながら機内を乱舞する。操縦室の面々は影で身体を固定するというカリナの機転により、誰も傷付く事無く、その衝撃に耐えられた。
百メートルほど草原を走ったゴリアテはようやく停止する。損傷は著しいものの、強固な設計の賜物か、ゴリアテは分解せず不時着に成功した。
「いったいどうしたんだ。なぜいきなり落下した」
「それは恐らく──」
ブルーノの問いにシオンが答えようとした矢先、操縦室から険しい形相でカズトが出ていった。操縦室以外は未だ火の手が回っているというのに、そんな事を気にもしない様子だった。
「カズト……?」
突然出ていった理由がわからずに首を傾げる。それに対する解答も含めてシオンは教えた。
「魔法の効果は術者が維持する限り持続します。なのでゴリアテに施したリンちゃんの魔法が消失したという事は……つまり……」
それ以上は言葉にしなかった。しなくとも理解は及ぶ。カズトが脇目も振らずに駆け出した理由も推察できる。──彼は窮地にあるだろう幼馴染を助けに行ったのだ。
「ブルーノ。ボクらも行こう」
「ああ、わかった」
「シオン、マイケル。キミ達は消火と、いないだろうけど生存者の捜索を」
カリナの指示に二人は頷き、ブルーノは彼と共に外へ出た。
ブルーノとカリナが瀕死のリンディと彼女の出血を止めようとするカズトを見つけるのは、それから五分後の事である。
◆
結論から言ってリンディは一命を取り留めた。
助かった要因はいくつかある。
一つに発見が早かった事。一つに医療の知識と技術を持つ者がいた事。一つに彼女自身の生命力が強かった事。そして最後に友好的な吸血鬼がいた事である。
吸血鬼とは血の専門家。吸血鬼の身体はあらゆる血液を受け入れ、取り込み、その全てを蓄積する。それは言わば血液情報の貯蔵庫。貯蔵したのならば引き出す事も可能だ。
入力から出力へ。自身の血を他者に適合する性質へと変換し、分け与える。そういう芸当も出来る。とどのつまり、吸血鬼の血は万能の輸血液なのである。
「縫合完了です。容体は安定していますから、すぐにどうにかなるって事はないでしょう」
最寄りの民家に運ばれ、ベッドに横たわるリンディの傷を縫い合わたシオンは、糸の余剰を切断すると緊張を緩めた。その額には薄らと汗が滲んでいる。
オペレーターでありながら彼女は医療班顔負けの医療技術を有していた。ブルーノが訊ねてみたところ、本人曰く、年の功。長く生きていれば色々と経験するらしい。
「ありがとう、シオンさん。ホントに、マジで……」
「いいのよ、カズトくん。こういう時くらいはお姉さんも役に立たないとね。それに私だけの力じゃないわ。カリナくんが輸血してくれなかったら、どうにもならなかったし」
「そうだよ、カズト。また貸しが出来たね」
「ああ、この借りだけは絶対返すよ」
迷わずに言い切ったカズトに、腕に刺した輸血用の針を抜くカリナは肩をすくませる。
──「これはリンの借りだろ。なんでオレが負担しなきゃいけねぇんだよ」といった反応を予想していたのだが、彼にとって幼馴染の借りは自分の借りでもあるようだ。それだけ彼女が助かった事に感謝しているのだろう。その人の良さと仲の良さに吸血鬼は呆れ、それ以上に喜ばしく思う。我が仲間は善い奴だ──と。
「……う」
リンディの瞼がゆっくりと開かれ、状況を確認するように瞳が左右に動く。そんな彼女の視界に最初に映ったのは、身体を乗り出して覗き込んできたカズトの顔だった。
「リン! 大丈夫か! ちゃんと意識を保てよ! 寝ちゃダメだぞ!」
「……っさい。気分、最悪だから静かにして……」
弱々しく反論するリンディは手の甲で目元を覆う。
気分はすこぶる良くなかった。それは別に寝起きでカズトの顔を見たからではなく、テオバルトに内臓をまさぐられた感覚が脳裏に残留していたからだった。
思い返しただけで嘔吐しそうになったが、浅く長く慎重に呼吸をして、心の鎮静化に努める。周囲の者達は彼女が落ち着くまでしばらく様子を見守った。
「ごめんなさい。もう大丈夫。……アタシの事はいいから、サクラちゃんを助けに──ううん、テオバルトの確保に向かって。あの男は危ないわ。野放しにしちゃいけない」
実感を込めて言う。
テオバルトの非道さは男性陣も理解している。人間を爆弾として利用するような男だ。決して許してはおけない。
だが──とブルーノは思う。
「俺達は対象を見失っている。ゴリアテも機能停止している以上、どうやって追跡すればいい」
「それならボクに任せて」
カリナはリンディの治療に用いた血まみれのガーゼを拾い上げ、自分の鼻に近付ける。そして思いっ切り臭いを嗅いだ。
「うーん、やっぱり処女の血は良い匂いがするなぁ」
しみじみ呟く吸血鬼の発言に、この場の全員がリンディの方を向く。彼女は顔を赤らめて、恥ずかしそうにそっぽを向いた。本当はカリナを殴ってやりたかったけれど、傷付いた身体にそんな余力はなかった──ので、その意図を汲んだカズトが代わりに殴った。
「イタッ。なんで殴るんだよ」
「乙女の怒りを思い知れ」
「……ボクとしては褒め言葉のつもりだったんだけど」
世間ではそれをセクハラという。
「それで? その変態行為になんの意味がある」
「ブルーノ、キミまでそんな事言うのかい。まあ、いいや。とにかくお姉さんの匂いは覚えた。血の匂いはすぐに消えないからね。残り香を辿ればテオバルトとやらの居場所はわかるはずだよ」
直接手を下したテオバルトにはリンディの血の匂いが付着している。カリナはそれを感じ取れるという。
「まるで犬だな、お前」
「犬はキミだろ、カズト」
「オレが継いだのは狼の血だ」
「そんなのどっちも一緒じゃん」
「ちげぇよ。誇りがあんの、狼には」
「なんでもいいさ。追跡できるなら早く行こう。サクラが心配だ」
「なんでもはよくねぇ……けど、ジャックの言う通りだな。こんなとこでくっちゃべってる暇はねぇか」
男性三人はそれぞれに言って出発の準備を手早く済ませる。
ブルーノは墜落したゴリアテの格納庫から回収した『竜の顎』を担ぎ、カズトは携帯していた黒槍『でっかくなっちゃったスピア』をでっかくし、カリナは特に装備はなく、着の身着のままで準備を終えた。
テオバルトが姿を消して二時間以上経つ。仕方がなかったとはいえ、リンディの治療に時間を掛け過ぎていた。
サクラがさらわれて二時間強。
誘拐したのなら何か目的がある。ただ殺す為ではない。命は無事のはずだ。だが、この間に彼女が何かをされていると思うと、ブルーノは気が気じゃなかった。
──サクラ。……無事でいてくれ。
けれど、その願いはどこにも届かなかった。




