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静かに夜は明ける


 春日井(かすがい) (いさむ)は卓越した技術者であり研究者である。


 地下深くに彼の支配する研究室は存在する。

 特別秘匿されている訳ではないが、限られた者しか立ち入りを許されない領域。そこは彼にとって流刑の地。しかし、安住の地でもあった。


 第三世代強化人間の開発。

 彼はそれを提唱し、そして失敗した。莫大な予算を損失させた責任を取り、現場から離れた彼は隠居するように、この場所で自らが生み出した者達の世話をしている。


 彼が生み出した者とは、第三世代の失敗作である少女と、技術研究用の最新型である春日井咲良の事を指す。


 この二名の管理こそ彼の責務。或いは義務。

 研究者としての自由を失った後に与えられた使命だった。


「博士、明日危険な任務に赴く事となりました」


「うん。局長から聞いてる。気を付けて行っておいで」


 無機質なベッドに横になり、多くの電極がついたヘッドセットを装着するサクラと、その隣でコンピューターを操作するイサムが親しげな様子で会話している。


 この研究室(ラボ)はイサムの職場であると同時にサクラの住まいとしている場所。研究室ではあるが、人が生活できる設備は整っており、言いかえてしまえば、ここは春日井家と呼称しても差し支えなかった。


「保存完了──っと。よし、お仕事終了。さ、夕御飯にしようか。今日は咲良の大好きなカレーだよ。昨晩から寝かしてあるから、味は折り紙つきだ」


 癖っ毛の茶髪。背は高く、線は細い。三十代半ばには見えない若々しい外見のイサムは、白の麻シャツにベージュのチノパンという年相応の落ち着いた服装を着こなしている。


 椅子にかけてあったエプロンを手にしながら、ベッドに横たわるサクラへと言ったが、彼女の反応はなかった。その様子を珍しそうに眺め、彼は口元に微笑みを浮かべる。


「咲良がカレーに釣られないなんて珍しいね。なにかあった?」


 その言い方には確かな父性があった。


 装着していた機器を外して、サクラは起き上がる。

 もこもこのルームウェアに着替えている彼女は、室長という堅い肩書きから解放され、一人の少女としてここにいた。その姿はあまりにも可憐である。


「いえ、気にしないでください。侮っていた相手に一本取られて少しへこんでいるだけです」


「んん、剣道の話かな?」


 それに対する返答はなく、これ以上の言及はするなという意思表示だと受け取る。


 イサムは気にせず台所に立ち、夕食の用意をしながらサクラを待つ。

 イサムがサクラの分を皿によそった所で彼女はようやく立ち上がり、備え付けられているテーブルに座った。自分の分も用意した彼は、テーブルにカレーを並べると自らも席に着く。


 そして「いただきます」と合掌する。やや遅れてサクラもそれに続いた。


 二人は食事中は静かに過ごし、会話を再開させたのはその後だった。


「そういえば彼──ブルーノ君の訓練の具合はどうなんだい? 順調?」


 食器を洗うサクラの後姿を、緑茶片手に眺めながらイサムは聞く。料理はイサムの担当だが、後片付けはサクラの分担であるらしい。


「飲み込みが早くて教えがいがありますよ。先日、ランダムに動く標的を連続で三十七個まで命中させる事が出来るようになったのです。照準の早さと正確さは、もはや一線級と言えるでしょう。私も鼻が高いです」


「ハハ、楽しそうで何よりだね」


 そう言われて、自分の声が弾んでいたのに気付いたサクラはバツが悪そうに口をつぐむ。そんな彼女を温かい眼差しでイサムは見守った。


 ──良い傾向だ。


 サクラを見て、そう思う。


「ブルーノ君を指導する事になった時、気合い入れて特訓メニューを考えていたもんな。珍しく目に見えてはしゃいでいたからよく覚えているよ」


「はしゃいでなんていません。私が彼に訓練をつけてあげているのは室長としての義務感であって、それ以外の意図はありません」


 ぴしゃりと言い切るサクラに、イサムは含み笑いを漏らす。


「……何が可笑しいのですか」


「いいや。可愛いと思ったのさ」


「可愛い? 私のどこがです?」


「そういうところがだよ」


「…………」


 なんとなくバカにされているような気持ちになったサクラは、不満そうな顔で台所を後にする。片付けは済んでいた。


「朝早いので寝ます。博士も夜更かしはしないように」


「はいはい、お休み」


 手を振って寝室に入るサクラを見送ると、イサムは緑茶を啜る。食後の一杯は格別だった。


「……咲良も少しずつ変わってきた、か。自分の子が知らない所で成長しているのを見ると嬉しい半面、やっぱちょっと寂しいな」


 親の感情を吐露して、彼は小さく自嘲した。



  ◆



 翌日、早朝。

 第十三対策室が保有する輸送管制機ゴリアテはイギリス、ウェールズの郊外の上空へと到着した。


 本日の十三室は全員参加。全戦力を以て事に当たる。

 

 彼女達の任務は特定人物の調査。及び可能であれば身柄を確保する事。内容としては単純明快だが、それが簡単であるかと言えば恐らく否だ。


 閉鎖的な村に正面から乗り込めばすぐさま対象に気取られる。最悪、逃走を許す結果を招くだろう。故に、察知されないよう潜入し、情報を収集した上で、身柄の確保は電撃的に行わなければならない。


 この場合、適任となるのは吸血鬼カリナである。

 影に隠れ、影から影に移動する事の出来る彼の特性は諜報活動において極めて有用。まず察知される事はない。


「事前に伝えた通り、現場についたらカリナさんを中心に行動します。ブルーノさんとカズトさんの戦いにしか向かない二人は対象を鎮圧する時までゴリアテに待機してください」


「了解」


「へいへい」


 ブルーノとカズトは対照的に返答し、出撃デッキのソファに深々と座る。しばらく出番がないのならと、今の内にくつろいでおく。


「確保対象に関する情報は多くありません。性別は男性。村で医者をしている為、白衣を着用している。以上の二点です」


「ふぅん。でも、わかり易い特徴ではあるね。小規模の村なんでしょ? 一時間もあれば特定できそうだよ」


 サクラとカリナの会話に、ブルーノが反応する。


「一つ質問なんだが、いつものようにスキャンして対象を発見する事は出来ないのか?」


 ゴリアテに搭載されているスキャニング機能は対象の出身世界と大まかな分類を判別できる。異界から漂着してきたものならば、それで簡単に見分けがつくだろうとブルーノは問う。


「もちろん疑わしい者にはスキャンも行います。ですが、それも完璧ではありません。遮蔽物があれば、そもそも光が届きませんし、誤魔化そうとすればいくらでも手はあります。相手が管理局の手段を把握していると想定した場合、スキャン結果を信用し過ぎるのは危険なのです」


「なるほど。潜伏している相手には効果が薄いのか」


「そういう事です。それにスキャンは一体ずつにしかできないので、総当たりするのも手間が掛かりますから」


 質問に答えたサクラは外の様子を眺める。

 白みかかった朝の景色。薄らと霧が広がっていた。


 ──隠れるにはお(あつら)え向きな天候。私達にとっても、そして相手にとっても。


 そうして彼女が眼下の風景を見下ろしていた時、その地上からゴリアテの存在に気付いた者がいた。


 これより第十三室が調査しようとする村。

 そこのとある一軒家の窓から一人の男は肉眼では見えないゴリアテを認識する。


「──お。やっぱり来たようだね。うんうん。調査員が仕向けられていた時点で予想はしていたとも」


 村の一軒家の中にいた白衣の男は、患者の腹部を縫合し、糸を切る。麻酔もなしに腹を縫われていたにも関わらず、患者に一切反応はなかった。物言わぬ患者は生きている。けれど、それは死んでいないだけでもあった。


 村に施した結界によって管理局の到来を察知した男は、処置を終えた患者を手術台代わりにしていたテーブルから蹴り落とすと、所々赤く染まった白衣をはたく。当然、その程度で付着した血液が払拭される事はない。


「種まきはギリギリ間に合った。──さあて、収穫の時間だよ、管理局。僕の平穏を乱した罪。僕自ら鉄槌を下す事で罰としよう。……ぬふふ、獲物の中に好みの人体があればいいのだけれど」


 不気味な笑みを浮かべて、ズレていた丸い眼鏡を直す。


 この男に逃走の意思はない。

 しかし、逃げずに立ち向かおうとする勇猛さからの行動ではない。


 男にあるのは子供じみた苛立ちと報復心。自分の邪魔をするから排斥する。単純で、幼稚な思考。だが、それだけではないと、男の眼は語っていた。


 一日千秋の思いで待っていた。

 そう言わんばかりに両手を広げて、白衣の男は第十三対策室(ピーシーズ)の来訪を歓迎した。


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