失敗作
サクラを追って、ブルーノは技術研究棟の通路を進む。
彼女はすぐに見つかった。角を曲がった先、真っ直ぐ繋がる通路の奥にいた。そこには扉があるのか、傍の操作盤に指を走らせている。次の瞬間、扉は横にスライドし、入室可能となった。
「サクラ!」
中に入られてしまう前に声を出したが、未だ距離があったからか、サクラが気付いた様子はなかった。彼の声は届かず、彼女は扉の中へと入っていく。急いで追い掛け、彼女が消えた室内を窺うと、眉をひそませた。
「……階段?」
扉の先にあったのは部屋ではなく階段だった。それは緩やかに下へ続いている。両脇の壁にはオレンジ色の明かりが小さく灯っているだけで、その先は暗く見通せなかった。
「──!」
不意に扉が閉まり始める。
操作盤にパスワードを入力してから一定時間だけ扉が開く仕組みだったらしく、時間切れを迎えた扉はゆっくりと閉鎖されていった。
ブルーノは閉まる扉の隙間を抜けて、反射的に階段側へ移動する。行くかどうかを迷うより先に体が動いてしまっていた。いきなり閉まり出した扉に焦った末の突発的な行動である。
「まいったな。これ、怒られるかもしれない」
内側にも数字を入力する操作盤が設置されていたが、生憎ながらパスワードはわからない。扉を破壊する以外に脱出する方法はなかった。無論、管理局の施設を故意に破壊する訳にもいかず、ブルーノはしばらく逡巡した後に階段を下りてみる事にした。
緩やかな階段を下る。トンネルの中を歩いているような、明るくもなく暗くもない光景が続き、やがて開けた場所に到着した。
長方形の部屋。広くはない。十畳あるかないかのほの暗い一室。オレンジの照明は変わらず壁に並び、床には青い線のような光源が伸びている。今まで見てきた管理局の施設の中でも明らかに異質な雰囲気を放つ場所だった。
空気が冷たい。寒いのではなく、ここにあるものからは冷静さ──或いは冷血さを感じる。
「あれは……?」
細長く伸びる部屋の先に何かがある。歩み寄って徐々にそれがなんであるのか理解した。それはガラスのケース。壁に埋め込まれた大きな入れ物だった。
「────」
入れ物の中には人物がいた。
緑色の液体に満ちたケースの中で膝を抱えて丸くなった人が浮かんでいた。体の至る所に機械のようなものが張り付けられており、正面からでは良く見えないが、それらから伸びるケーブルは背後と左右のどこかへと繋がっている様子だった。
「……女の子だ」
中の人は少女だった。
緑色の液体の中であるが故に色の判別は難しいが、髪の色は恐らく黒か茶色。髪は長く、液体の中で広がっている。水中にも関わらず窒息している様子はない。あどけない表情で、少女は眠っている。けれど、その少女からは命の息吹のようなものを感じられなかった。
「…………」
これが“何”であるかを考えて、一つだけ思い付く。──強化人間。人が造り出した人。物のように保管されているこの少女は、きっとその類いの存在なのだろうとブルーノは直感する。
「人は、こんな所にまで行き着くのか」
話には聞いていた。人は人を作れるのだと。
理解はしていたつもりだ。受容もしていたつもりだ。しかし、こうして実態を見てしまうと、その不自然さに目眩がした。
それでも目を離さない。
ブルーノは世界を知ろうと思った。これもこの世界の一面なのだ。善悪関係なく、見ていこうと決めたものだ。だから目を逸らさなかった。
「──ブルーノさん」
突然、隣から呼び掛けられ、その方向を見る。少女が入ったケースから見て右方向にドアがあり、そこからサクラが出てきていた。ブルーノを見る彼女の眼は言いつけを守らなかった子供を叱るお母さんのようだった。
「私をストーキングして立ち入りが制限されているこの場所にまで来たようですが、さて……それがいけない事であるのは理解してますか?」
「わ、わかっているさ。しかし、どうしてそれを知っている。俺に気付いた気配はなかったはずだ」
「ええ、私は気付きませんでした──が、この奥に監視カメラのモニターがありまして、それを見ていた人がいたのです」
サクラは背後のドアを親指で差しながら言った。
「それで? 何か弁解はありますか?」
「俺はただ帰り際に君を見かけたから、別に話す事もなかったけれど、なんとなく君の後を追ってしまって、扉もたまたま開いていたから思わず入り込んでしまい、気付いたらこの場所に辿り着いてしまっただけだ」
「典型的なストーカーじゃないですか」
その通りだった。
「……だが、悪意とか害意があった訳じゃない。本当だ。信じて欲しい」
「そうですね。貴方が自分の意思で悪い事をするのは考えにくいですから、恐らく嘘ではないのでしょう。ですが、まず最初に言うべき言葉があるのでは?」
「あ……、すみませんでした」
ブルーノは深々と頭を下げる。サクラはそれを満足げに見下ろした。
「よろしい。許します。……ここの管理者も貴方ならいいと、なぜだかお許しのご様子でしたし」
「管理者?」
「ええ。ここはとある研究者のラボ兼自室ですから」
それが誰であるのか明かすつもりはないらしく、彼女は口を閉ざす。だが、彼は構わず所感を語る。
「その人は強化人間を研究しているんだな」
「──! ……どうして、そう思うのです?」
「だって、この子は強化人間だろう?」
ケースの中にたゆたう少女を指差す。
サクラはその少女を一見して、すぐに視線を逸らした。
「わかるのですか」
「ああ。君によく似ているからな」
「……見た目がまるで違います」
「見た目の話じゃない。雰囲気というか……そうだな、第一印象が君と出会った時と同じなんだと思う。もしかして以前に言っていた保管してあるという君の同型か?」
「いいえ、彼女は──」
口が止まる。
躊躇いと迷いが表情に浮かぶ。どのように伝えるか、慎重に表現を厳選してからサクラは言葉を再開させた。
「──……彼女は第三世代。強化人間は第二世代にして一つの完成形に達しましたが、その更に先を目指した次世代型です」
「第三世代。確かサクラは第二世代だったか。……どこがどう違うんだ?」
「決定的な差異は魔力炉を搭載しているか否かです。魔力炉となる部品──魔力を生成する心臓や天族の翼の事ですが、それらは現在に至っても製造や複製が実現していないので、従来の強化人間は魔力を持ちません。第三世代はその欠点を解消したモデル。つまりは魔力を持つ強化人間を目指したのです」
サクラは“目指した”の部分を強調する。目標を目指した。けれど到達したとは言わなかった。彼女は察して欲しかったが、その意図に気付かぬブルーノは問う。
「なら、なぜこんな所に閉じ込めているんだ?」
「それは彼女が“失敗作”だからですよ」
だからはっきりと言った。
失敗作。目標には届かなかった出来損ない。ただ温情で存在させてもらっている者だと。
「余命幾許かの魔力保持者から心臓を移植して、魔力炉を搭載した強化人間を作る。そういう単純なプランでした。無論、十分な算段があったのだと実行した博士は言っていましたが、結果は失敗。新しい体で動き出した心臓は魔力を生成する事はなく、魔力の運用を前提とした肉体は機能不全を起こし、生命活動すら困難な失敗作となったのです」
淡々と語る。
無表情に。けれど無感情ではない。薄らとした憤りが言葉の端から窺えた。
「今や彼女は魔力液の中でしか生存できない観賞用。第三世代の不達成を証明する標本に過ぎません。……哀れなものです」
「随分と辛辣なんだな。君は時折厳しい事を言うが、その辛辣さは君らしくない」
「私らしさ、ですか。そんなもの、私は必要としていません。どうでもいい事です」
ブルーノの意見を鼻で笑って、サクラは彼の脇を抜ける。
「いきますよ。いつまでもここにいては博士の迷惑です」
博士というのは、この場所の管理者であり失敗作の少女を造った者の事だろう。会ってみたかったが、自分は不正に侵入した男。そこまで図々しくあるべきではないと、ブルーノはサクラに従った。
ラボを出て、地下施設から外に出る。その道中、ブルーノは問い掛けた。
「なあ、サクラ」
「……まだ何か?」
「君が言う博士は、もしかして君を造った人でもあるんじゃないのか?」
他人の事情にズケズケと入り込む。その行為にサクラは眉をひそめ、非難の視線を向けた。
「ブルーノさん、貴方にデリカシーというものはないのですか?」
「すまない。不躾なのは承知している。だが、俺はどうも君の事を知りたいらしい」
自分を客観的に見たブルーノはそう自己分析する。困った事に実直で同時に愚直でもある彼は自分の気持ちに対しても素直であった。
サクラはひそめた眉に力を込め、眉間にしわを寄せる。腹立たしい事この上なかったが、なぜだか怒る気にはなれなかった。或いは彼の言葉が嬉しかったのかもしれない。
「……ええ、そうです。その博士が私を造りました。第三世代の失敗の直後、ならば究極の第二世代を──と急遽造られたのが私の体です」
「そうか。なら、その人が君の父親なんだな」
何気ない感想だった。思った事を口にしただけだった。けれど──それを聞いたサクラの表情は深く沈んだ。
「それは違います」
明確な否定。低く強い声色で言った。それはブルーノに対しての言葉だったが、まるで自分に言い聞かせるような自戒の言葉でもあった。
「ごめんなさい。先に戻ります」
何かを振り切るようにサクラは走り出す。十三室へと向かったのか、本部のドアをくぐった彼女はすぐに見えなくなった。
ブルーノは何か失敗したのを自覚して頭を掻く。
「嫌われてしまっただろうか」
言葉にすると胸が痛んだ。
──これは、なんだ? どうして俺は胸を痛ませているんだ?
客観的に考える。答えはすぐに判明した。
「ああ、俺は……サクラに嫌われたくないんだな」
彼女を傷付けるのが怖い。彼女に傷付けられるのが怖い。誰かに嫌われる事を恐れたのは初めてだった。新しい自分の発見は喜ばしくもあり、しかし、それ以上に戸惑いを抱いた。
他者への関心。他者への依存。それは彼にとって未知の領域。相手が女性であるのなら尚更だ。
「どうして俺は──」
──恐れているのだろう。いったい何が怖いのだろう。
心中での問いに答えは出ない。
特別な存在が出来る。その意味を、未だ知らぬが故に──




