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自覚なき恋心


 ブルーノ・ランバージャックが生まれたのは竜の住まう世界──竜界(カゲート)の辺境だった。自然豊かな山の麓に築かれた村。その中で最も山に近い家の夫婦の子として誕生した。母親は彼の物心がつく前に他界し、以後父親との二人で暮らす事になる。


 父親は評判の良い木こりだった。無愛想な男だったが、表に出さない分、人一倍優しい男だった。──その父親は彼が五つの時、野犬の群れに襲われ、命を落とした。彼は涙しなかった。人が死ぬという事をその時はまだ理解できていなかったからだ。そして、この父親の一件で彼は死を学んだ。悲しい事だと知り、寂しい事だと感じ、けれど、やはり涙は出なかった。


 彼は愛を知らなかった。

 父親は息子を愛していたが、不器用だったが故にそれを形にはしなかった。言葉にもしなかった。自身の行いによって感じ取ってくれるものだと信じていた。それが間違いだった。自惚れだった。


 鈍感な彼は結局父親の愛情に気付く事なく、その愛情を失った。大切なものを失った事にさえ気付かなかった。


 それからは過酷であり、平穏な時間を生きた。僅か五歳で天涯孤独となった彼は、村からの援助を受けながら木こりとして生活した。父親譲りの才覚と、天から与えられた頑強な肉体によって、数年で一人前の木こりに認められるほどの腕前となった。


 朝起きて朝食を摂り、水を汲み、木をこり、伐採した木を木材に加工し、それを食糧と交換し、夕食を食べ、眠りにつく。そんな一日を繰り返す。十年、その日々は続いた。


 何もなかったわけではない。無為な時間では決してなかった。しかし、ただ生きていただけの時間だった。


 閉鎖的な辺境の村。変化なき人間関係。小さく完成してしまった世界。そこでの生活は苦も楽もあったが、喜びに欠けていた。どこにも繋がっていない人生を、彼は生きた。受け入れたのではない。それ以外の生き方を知らなかったから、それを続けていただけに過ぎない。


 故に──竜の襲撃は契機だった。


 無作為に行われた竜の蹂躙。それにより村人の九割は死に絶え、彼は誰かの悲しみを受けて義憤に立ちあがった。


 村を出て旅をしたそれからの一年は刺激的な日々だった。

 邪竜討伐を目標に世界を歩んだ。多くの出会いと別離を経験し、彼の世界は広がった。結果的に彼と共に歩んでくれる者はいなかったけれど、それでも誰かと触れ合った時間は村にいただけでは得られないものだった。


 恐らく彼の個性はこの一年で形成されたと言っていい。──だがしかし、結局として彼は愛を知らぬままだった。


 求められるばかりの彼に愛を与える者はおらず、彼もまた疑問を持たずに無償の善意を振りまいた。或いはそれこそ愛と呼べるものだったのかもしれない。愛を知らぬが故に、彼の行いは無償の愛と呼べるものだったのかもしれない。


 ともあれ彼は愛に気付かなかった。愛とは即ち激情であり、衝動であり、慈悲であり、憧憬であり、泥沼であり、陳腐であり、請求であり、暴走であり、慟哭であり、受容であり、排他であり、切望であり、幻想であり、熱量であり、そして好意である。是非も、善悪も、正邪もない。混沌と化した“好き”の複合体が愛なのだ。


 一年の旅を経て、彼はついぞ誰かを好きになるという事はなかった。誰にでも分け隔てなく平等に接してきた彼に、特別となる者はいなかった。


 ならば今はどうか。

 更なる世界の広がりを知った今──彼は愛を知ったのか。


 それは否だ。

 依然として彼に愛は与えられていない。──けれど、恋ならば。誰かを好きになる。そんな当たり前の、しかし、愛へと至る為の大切な第一歩ならば彼は既に踏み出していた。



  ◆



 ブルーノがサクラとの訓練を始めて二週間が経過した。対策室の仕事も板につき、サクラの訓練プログラムにも応えられるようになってきた頃、訓練の終わり際にブルーノは告げられる。


「ブルーノさん専用の武装が試作されたとの報告がありました。確認に行ってくれますか」


 サクラにそう言われたブルーノは地下にある保護観察棟の更に下。技術研究棟まで足を運んだ。局内地図を把握していた為、存在は知っていたが、いざ行ってみるのは初めての場所だった。


 本部に併設してある地下棟への入り口から長い時間エレベーターで下ると、そこはある。辿り着いた棟内の探索し、目的の部屋──『武装開発室』を見つけた。


「失礼する」


 ブルーノは入室し、室内を見渡す。武装開発室という重々しい響きに反して、白く清潔な研究室のような部屋だった。その中には似合わないツナギ姿の小太りな男は、ブルーノを見つけると嬉々として歩み寄ってきた。


「やあ、いらっしゃい、竜殺し君。待ってたよ」


「貴方がここの責任者だろうか」


「ああ。オレが武装開発室を統括する技術主任さ。皆にはチーフもしくはオヤジさんと呼ばれているから、アンタもそう呼ぶといい」


「了解した。ではオヤジさん、俺は俺の為に造られた武器というのを受け取りに来たんだが」


「おう、出来てるぜ。ついてきな」


 チーフに連れられて開発室の奥へと進む。


「しかし、オヤジさん。なぜ俺に専用の武器が与えられるのだろうか?」


「そりゃお前、そんだけ管理局が期待してるって事だろうよ。歴代最強の竜殺しだ。オレだって初めてお前さんの能力数値を見た時は興奮したもんよ。コイツは即戦力だ、ってな」


「そうなのか。その期待に応えられているのならいいが」


 シッセリアの一件を思い出し、ブルーノの声のトーンが下がる。もっとも、それ以外の案件では常に活躍している為、管理局側の期待を裏切っていないのは明白だった。


「さ、これだ」


 開発室内の個室に入り、チーフは様々なコードに繋がれた台座の上にある一振りの剣を指差す。──それを剣と呼ぶには些か違和感があった。


 細く長い銀の剣身には、左右に二列、文字のような独特の模様が刻印されている。(つば)は機械的な機構が施されており、台座から伸びる多くのコードに繋がれている。なにより目を引くのが(つか)の部分だ。長い。その長さは剣身とほぼ同等。この一振りは剣よりも槍に似ていた。


「これは、剣なのか?」


「区分としては剣だが、まあ、剣と槍の中間って感じだな。ほら、持ってみなよ」


 チーフに促され、ブルーノはコードに繋がれたままの剣を握る。ズシリと重さを感じるが、それでも片手で持ちあげられる程度の重さだった。


「ジークフリートと同じくらいの重さか。やはり少し物足りないな」


 リミッターによって筋力が低下している今でも満足いかない重量らしい。それを見越していたのか、チーフは不敵に笑う。


「そう言うと思ってたぜ。確かにジークフリートは獣人と強化人間向けの武器で、竜の力を持つお前さんには一味足りないものだろうな。その点、コイツは竜殺し用の剣だ。そこらへんの要求には応えられるようにしてあるんだわ」


 チーフは喋りながら台座のコンソールを操作する。コードから剣へ魔力が注入され、剣身の刻印が淡く発光した。──途端、重量が増す。思わず手から落としそうになったブルーノは、両手に握り直す事で辛うじて持ちあげた状態を維持する。


「これは……!」


「どうよ。この剣は魔術によって剣身の重量を可変出来るんだ。今は二倍に設定してある」


「なるほど、気に入った。特に重心が切先にあるのがいい」


「流石だねぇ。そう、切先が一番重くなるように調整してあるからな、斬撃の破壊力はすごいぞ。ちなみに重さは五倍まで上げられるが、最大まで上げると剣自体が長く持たない。なんで、実用できるのは四倍までだ」


「今のままでは四倍は無理そうだな」


「だろうな。腕輪によるリミテッド状態なら三倍が限度だと思うぜ」


 魔力の流入を止め、チーフは剣を元の重さに戻す。ブルーノも剣を台座に戻した。


「オヤジさん、これの名は何と言う」


「フッ、よくぞ聞いてくれた。この一振りの名は竜の顎と書いて──竜の顎(アギト)だ。きっとお前さんの牙となってくれるだろうぜ」


「竜の顎、アギト……か。いいな」


 ネーミングが気に入ったのか、ブルーノは嬉しそうに口元を緩ませる。気取った名前の専用武器。これにワクワクしない男子はいない。


「ほれ、これがコイツの取扱説明書だ。ちゃんと読んでおくように。あと今までお前さんが使ってきた武器とは色々扱いが異なるから、事前に練習もしておけよ。どんな武器も使い慣れなけりゃ腐っちまうもんだ」


「ああ、それは骨身にしみている」


「そうかい。あ、けど練習する場所は選べよ。取説みればわかるだろうが、コイツはかなり危険な武器だからな。郊外の人気のない所とか、そういう盛大に暴れていい場所を室長さんと相談して練習するといい」


「……? よくわからないが、了解した」


 なぜ剣の練習するのにそこまで気を使わなければならないのかと思ったが、それも取扱説明書を見ればわかるだろうとブルーノは頷いた。


「んじゃあ、アギトはゴリアテの方に運んでおく。何か不備があったら連絡してくれ」


 そう話を終えたチーフに感謝を込めた一礼をして、ブルーノは開発室から退室する。


 早く新しい武器を使いたい気持ちから軽い足取りで来た道を引き返す。その途中、見知った人物を目撃した。通路の遥か先。今しがた突き当たりの角に消えたのは──間違いなくサクラだった。


「…………」


 室長として何かしらの用事があるんだろう。故に関与すべき事ではないと思ったが、ブルーノの足は気付けばその後を追っていた。


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