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同じ空


 男──ブルーノは喧騒を耳にして覚醒した。

 目覚めて最初に見たのは細い光。顔をあげた先には確かな光があった。それを見て、あの暗黒から脱出したのだと安堵した。


 酷い夢だった。そう思おうとしたが、未だにまとわりつく脳裏の光景が否定する。あれは現実。お前の身に起こった現実の出来事なのだと。


「もうそれでいい」


 自分は戻ってきたのだから。元の世界に戻ってきたのだから、それでいい。彼はそう笑みを浮かべて立ち上がる。体力は戻っている。いや、それ以上の力を感じた。竜の血を受けたせいだろう。ただ呼吸をするだけで全身に魔力が廻る。かつてない感覚。今ならば竜すら圧倒出来ると思えるほどだった。


 彼は周囲を見る。今いるところは暗く、左右が灰色の壁に覆われているが、上には青い空が覗いている。恐らく建物の隙間。ここまで高い建物は王都にしかない。


「どういう魔術か知らないが、王都に転移させられたみたいだな」


 理屈は皆目見当もつかなかったが、結果的には好都合だった。彼はかつて王の頼み事を引き受け、見事成功させ、聖槍を賜っている。コネクションがあるのはこういう時に強い。すぐに王へ謁見し、この身に宿る竜の力を以て、竜退治が果たされた事を証明しよう。


「しかし、これは石……だろうか? にしては整形が見事過ぎるが」


 きめの細かい壁を撫でながら言う。王都で新たに発明された建築材なのだろうと灰色の壁を一瞥し、彼は光を目指す。遠くはない。精々十メートル。都民の喧騒も聞こえてくる距離だ。


 竜を討伐し、謎の暗黒からも生還した今、多少なりとも彼の胸は躍る。今世紀に入って初めての竜殺しとなったのだ。明日には凱旋パレードがなされ、他国を巻き込んでの祭りが催される事だろう。そういう名誉の為に尽力した訳ではないが、それでも感謝されるのが嫌いな訳でもなし。賛美されるのではあれば、謹んで受け入れるくらいには俗人のつもりだった。


「ん」


 爪先に何かがぶつかり、下を見る。

 壁に寄り添うように鉄の箱が置いてあった。箱の側面からは管が伸び、建物の内部に入り込んでいる。よくよく見てみれば箱の正面には網が張ってあり、その奥では何やら羽のようなものが回っていた。


「風車……? こんな場所では風など受けられないだろう。いや、そもそもこの羽自体が風を生んでいるじゃないか……」


 網の前に手を出してみれば生温かい微弱な風を感じられた。どういう仕組みなのか。どうしてこんな場所で風を起こしているのか。疑問と共に鼓動が高鳴った。


 空を見上げる。変わらない。いつも見ていたはずの空。なのに、それがどうしようもなく不自然に見えてくる。空はあんな青色をしていたか。雲はあんな色で、あんな形をしていたか。疑いが疑いを生む。


 堪え切れずに走りだす。光に向かってがむしゃらに。


「………………」


 そして光の中に出た。

 変わらぬ空。変わらぬ雲。変わらぬ太陽。同じだ。同じ……はずなのに。


 眼前に広がっていたのは白と灰色ばかりの建物。しかし色彩豊かな板が貼られ、絵が動いているものすらある。そのどれもが王城のように高くそびえ立ち、過密なほどにひしめき合う。板に描かれた文字は見た事もなかった。そもそも文字なのか絵なのかすらもわからない。加工の難しい形の金属が有象無象のように乱立し、白線で模様をつけた極めて平坦な道が敷かれている。その上を馬がひかぬ戦車が通過する。


 異質で異様。見上げる空は同じはずなのに、それ以外が一つたりとも彼がいた世界ではなかった。


「──────」


 絶句。呆然。放心。

 そういうものが彼の心を埋め尽くした。


 向き合う時間。考える時間。受け止める時間が必要だった。けれど、状況はそれを許さない。


 何かが光る。

 瞬間的な光。自分に向けられた眩しい光。視線を動かしてみればカラフルな服装の女が手に収まるほどの板きれをかざしていた。その女だけではない。周囲にいる複数人が彼に向けて光を放つ。同時に耳障りな音が鳴った。


「          」


 誰かが何かを言っている。聞いた事もない言葉。やけに興奮した声色なのはわかった。


「──ぐっ」


 頭痛がした。いきなりだった。


「お  い、ぜ らは べーよ、お ーさん」


 頭痛が激しさを増すにつれて、脳が耳に入る言語を理解し始める。続いて目に入る文字の意味だけが濁流のように頭へ流れ込む。


「うわ、チ コで ー」


「な ? 企 モ のAV?」


「露 狂かしら。い ねぇ」


「なん 具合悪そう けど、こうい 時は警 ? 救急?」


 頭が割れるような痛みに膝を着く。耳も塞ぐ。これは呪詛だ。自分を殺す呪いだ。


 ──ならば。ならば、コイツ等は俺の敵か。


 周囲を睨み付ける。殺意を込めて睨み付ける。けれど届かない。あの人々は板きれを通して彼を見ている。これだけの殺意を。明確な殺気を。愚鈍にも感じ取っていない。


 ──嘘だろ。冗談だと言ってくれ。


 これ以上されたら手を出してしまう。確信があった。あれらは敵で、自分は攻撃されているのだと感情が吐き出す。だが、わかる。あれらは無力だ。自分の足元にすら及ばぬ、ちっぽけな力しか持たない。そんな弱者に手を出すのは抵抗があった。


 ──だが! だが!


 続く光と音、そして言葉。頭痛は最高潮に達する。入り込んでくる大量の情報に脳が悲鳴をあげていた。それも全部この周りの人間達のせいだ。周りの人間がいなくなれば、少なくとも頭痛はマシになるだろう。


 ──五月蠅い! 黙れ! もう黙ってくれ!


 忍耐には限界がある。良心など棄て去って暴れてしまえばいい。自分にはその権利がある。異邦に飛ばされ、訳のわからない状況に陥った。癇癪を起こす程度、許されるはずだ。ましてや竜を打倒した英雄だ。竜殺し。英雄なのだ。


 ──俺が戦ってきたのは! 竜を殺したのは! 決してこんな仕打ちを受ける為ではない!


 血が騒ぐ。竜の血があらぶる。この地を燃やせと。この世を燃やせと。敵は目の前にいるのだと、血が訴える。


 ──そう! そうだ! お前達は……この世界は俺の……!



「あの、大丈夫ですか?」



 不意に温もりを感じた。

 肩から背中にかけて、ゆっくりと熱は伝達する。


 外套(がいとう)が肩にかけられたと気付くのには時間が掛かった。人の温かさを感じて、彼は顔を上げる。


「えっと……海外の方ですよね。日本語、わかります?」


 若い女がいた。

 屈みこんで、彼の目線に合わせている。


 周りの人々に比べると薄着。自分が着ていた外套を彼に渡した事は推測できた。そして、それは間違いなく優しさだった。


「────ッ!」


 彼は泣き出しそうなほど顔を歪める。

 爆発寸前まで到達した怒り。けれど怒るに怒れなくなってしまった。怒り以外もそうだ。異世界に迷い込んだ戸惑い。故郷に帰れないかもしれない悲しみ。溢れ出しかけたあらゆる激情は巡り巡って涙として零れ落ちそうになる。それを我慢した。大した理由はない。ただ女子の前で泣きたくはなかった。


 ──敵じゃない。敵じゃないんだ。この人も、この世界も。


 自分に言い聞かせる。懸命に言い聞かせて、彼は駆け出した。後ろへと。求めた光から出て、再び暗い路地に逃げ込んだ。すぐに壁に突き当たった。ならばと上に駆け上がる。灰色の壁を蹴り、超高層の建物を登り切った。


 屋上に着いた途端に脱力する。激情は薄れ、暴れたい衝動はなりを潜めた。


 周囲には誰もいない。

 その事実が彼に冷静さを齎す。ようやく落ち着ける場所を得た彼は力なく倒れ込んだ。肉体的でなく精神的に疲弊した。竜の血は心までは癒してくれないらしい。今は一時的でいいから眠りが欲しかった。


「あっ……、あの子の外套……」


 眠りに落ちる間際、手に握り締めた外套を見て、窃盗を働いてしまったと、そう自戒した。


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