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雪女は艶美に笑う


「いいですか、ブルーノさん。貴方の身体能力に不足はありません。必要なのは正しい姿勢と引き鉄の引き方。それをこなすだけで格段に上達するはずです。では、今から私が見本を見せるので模倣してみてください」


「了解だ」


 翌日、戦技練習場に集まったブルーノとサクラの二人は約束通りに銃器のレクチャーを行っていた。

 射撃練習ブースでサクラはブルーノに手本を見せる。初級編として扱い易い拳銃を例に、正しい射撃姿勢を取って、数発標的に撃ち込む。放たれた銃弾は全て標的の中央を撃ち抜いた。


「これはあくまで一例です。練習を続けていけば他の姿勢は教えますし、自分にあった撃ち方もわかってくると思いますが、最初はひたすら私のマネをしてください。──それではまず姿勢だけとってみてください」


「こうか?」


「もう少し足を開いて、頭を前に……そうです。あ、まだ引き鉄に指をかけないように。トリガーを引く指は狙いを定める寸前まで伸ばしておいてください」


 サクラに指摘されながら、ブルーノは射撃姿勢をとる。


「いいですね。では静止目標に狙いを定めて、実際に撃ってみましょう」


 ブルーノは頷いて、引き鉄に指をかける。狙いは十メートル先の標的。トリガーを引き、銃弾が発射される。反動で銃口が上を向き、標的から外れた。


「反動を制御してください。貴方なら出来るはずです」


 一度手に感じた反動を覚え、それに適した力を込めて、再度発砲する。今度はズレる事なく真っ直ぐ飛び、標的に命中した。


「今の感覚です。それを忘れない内に、リズムよく撃ってみてください」


 言われた通りに引き鉄を引く。以後放たれた弾丸は最初に命中した付近を撃ち抜き続けた。一つのマガジンを撃ち終えたところで、サクラはブルーノが撃った標的のズーム画像を手元のモニターに表示する。


「素晴らしいですね。やはり体幹にブレがないからでしょうか、正確な照準です」


「止まっている標的なら、このくらいはできるさ。竜界にいた頃の話だが、弓やボウガンの心得はあるからな」


「なるほど、元々射撃自体は初めてではなかったのですね。やれやれ、それを早く言ってください。完全な素人と思い、無駄に煽ててしまいました。──そういう事なら十二項目ほどステップを省略しましょう」


 そう言うとサクラは射撃場の端末に設定を再入力し、訓練の難易度を上げる。その上でブルーノから拳銃を取り上げ、代わりに対物ライフルを手渡した。そして撃ち方を教える。


「ライフルの構え方はこうです。肘を曲げて、バットプレートを肩につけて、ストックは頬に押し付けるくらいで。そうです。それでやってみてください」


「サクラ……俺、映画とかで見た事あるんだが、この銃は地面に立てて使うものじゃないのか? ほら、足がついているし」


「知っていましたか。ええ、この銃は本来二脚(バイポッド)を用いて扱うべき高反動ライフルです。ですが、まぁ私もブルーノさんも常人ではありませんし。このくらいの反動で練習した方が扱える武器の幅は広がりますから」


「そういうものか」


「そういうものです」


 確かにこれを軽々撃てるくらいでなければ、あんな大きいガトリングガンを扱える訳もないか──と納得する。


「それでは始めてください」


 サクラは合図を出し、訓練プログラム開始のボタンを押す。次の瞬間、ブルーノの目の前に円形の標的が次々現れ、残像が出るほど素早くデタラメな動きをして去っていく。それが十秒ほど続き、プログラムは終了する。ブルーノは当てるどころか、一発も撃てなかった。


「ブルーノさん、何を呆けているのですか。真面目にやってください」


 理不尽にも怒られた。これにはブルーノも抗議する。


「いやいやいや。難易度上がり過ぎだと思うんだが」


「ランダムに動き回る十個の標的を狙撃するシンプルな訓練ですが」


「動き回る早さがおかしい」


「弾丸よりは遅いので大丈夫。狙えば当たります。それにブルーノさん、貴方なら目で追えるでしょう?」


「追えるが……それと狙い撃ちできるかどうかは別問題だ」


「それを出来るようにするのがこの訓練です」


「ぐ、ぬ」


 反論できなかった。

 そう。こういう動きに対応できるようになりたいと自分は思ったのだ。それを思い出す。


 気合いを入れて対物ライフルを構える。


「先生、お願いします」


 久しぶりに敬語を使い、教えを請う。この感覚を覚えるのは老師と呼んだあの老人の時以来。春日井 咲良はこの時、ブルーノ・ランバージャックにとって二人目の師匠となった。


 先生と呼ばれたサクラは、普段より少しだけ機嫌が良さそうに言う。


「よろしい。では頑張りましょう」



  ◆



 時間が許す限り挑戦し続けたが、結局、ブルーノは標的に一度も当てられなかった。早朝の自由な時間が終わり、硝煙で汚れた体を洗い、制服に着替えた彼は一度別れたサクラより一足早く管理局本部の五階までやってきた。


 ハードな訓練によって多少の喉の渇きを覚えたブルーノは自販機で水を購入し、誰もいない談話室に腰を下ろす。


「ふぅ……ぜんぜん駄目だったな」


 訓練の内容を振り返り、自分の未熟さに溜め息を吐く。それでもサクラと過ごした時間は悪くなかったと思っている自分がいた。この気持ちはなんだろうと考えて、ぼーっとする。朝の静かな時間を、そんな風に過ごした。


 しばらくそうしていると、なにやら賑やかな声達が聞こえてきて、ふと視線を談話室の外に向ける。そこには昨日出会った第九対策室の女性達がいた。


 たまたま視界に入ったのか、先頭を歩いていた白い着物の美女──雪峰 桃子がこちらに気が付いた。


「あらあら。朝早いんやねぇ、竜殺しはん」


「えっ! 竜殺しくんがいるの!? どこどこ!?」


 トウコの声に、後ろからついてきていた一人の女性が反応し、ブルーノを見つけると歩み寄ってきた。だが、その人だけは見覚えがない。白に赤のラインが入ったパーカーにダメージジーンズ、その上に金具多めのアクセサリーを身につけたパンクなファッションの女性だった。


「やーやー、竜殺しくん! 昨日ぶりだね! 元気してた! あたしは元気だよ!」


「失礼。君とは初対面……だと思うのだが」


 容貌に覚えはないが、このノリには覚えがあるような気がした。


「うわっ、ひっどーい! 昨日あれだけ激しく炎上してたのに、あたしの事忘れちゃったのー!?」


「いや、炎上するような女性と知り合いではないはずなのだが」


「あれぇ? これマジで忘れてるパティーン?」


 二人は互いにクエッションマークを頭上に浮かべる。そうしていると女性の背後から近寄ってきた美少女ハルピュイア──アロエが、いきなり女性の後頭部を叩いた。


「にゃふっ! なぁにすんの、アロエちゃん!」


「おバカ。その姿を見せるのは初めてでしょ」


「あぇ? そうだっけ?」


「そうよ。……おはよう、竜殺しさん。この子、昨日の虎よ。室内だと邪魔になるから、普段は人に変身してるの。猫ならぬ人を被っているってわけ」


 アロエはパンクな女性を昨日の虎──火猫のマオだと言った。言われて得心する。よく見てみれば頭には猫っぽい耳が生えている。かなり前のめりなファッションだった為、それもアクセサリーと認識してしまっていた。


「ああ、道理で聞き覚えのある声だと思った。……しかし、霊獣というのは人に化けれるのか。すごいな」


「でっしょー! 褒めていいんだよ! ていうかもっと褒めて褒めて!」


「マオはすごいな」


「でへへぇ! そうでもあるにゃ! なにせあたしってば霊獣だからね!」


「よく言うわ。あんた、霊獣の中で最下級でしょうが」


「にゃ!? そ、それでも霊獣ってだけですごいの! 偉いの!」


「はいはい、マオちゃんはすごいねーえらいねーかわいいねー」


「まぁたアロエちゃんはあたしを露骨にバカにしてー! 上等にゃ! 表出ろい! 鳥なんざ猫の捕食対象だって事を教えてやらぁー!」


「ハッ! あたしはあんたが相手してきた雀や鳩なんかとは格が違うわ。猫ふぜいが猛禽類に勝てると思うなよ……!」


 マオとアロエは猫と鳥なので基本的にそりが合わないのだが、仲が悪い訳ではない。仲良く喧嘩する間柄なだけである。


「朝からドンパチはあきまへんえ」


 ギラギラとした笑顔で談話室から出ていこうとする二人を、トウコがネックハンギングで捕まえる。喉の骨をがっちり掴まれた二人は手足をばたつかせて苦しんでいる。完璧に決まっていた。


 やがて大人しくなった猫と鳥は解放され、その場に崩れ落ちる。トウコは肩をすくめて、ブルーノに歩み寄った。


「竜殺しはん、かんにんな。朝からやかましくしてもうて。この子ら、元気なだけが取り柄やさかい、大目に見たってな」


「別に騒々しいのは嫌いじゃない」


「うふふ、奇特な御方やね。……せやけど、こんな朝はようからなしてはるん?」


「今日から早朝訓練を始めたんだ。それが終わって、一息吐いていたところだよ」


「訓練? 竜殺しともあろう御方が殊勝な心がけやね」


「そうでもない。昨日の一件で自身の至らなさが骨身に染みた。その為の鍛錬だ。……もし君達が助けてくれなければ、少なくとも俺は迎撃出来なかった。遅れたが、礼を言わせてくれ」


 ありがとう──とブルーノは頭を下げた。その感謝をトウコは受け取る。


「どういたしまして。けどな、竜殺しはん。ウチらはただ相性がよかっただけや。あんさんに落ち度があった訳やあらへんよ」


「いいや、落ち度はあった。あの植物を倒せるだけの力を持ちながら、俺は扱いきれなかった。それを落ち度と言わずなんと言うのか」


「ふうん、真面目なんやね。うんうん、ええ事や。ほんなら気が済むまで研鑽を積むがよろし」


 トウコはブルーノの心意気を良しとする。男子たるもの、己を戒めてこそ高みを目指せるものや──と笑顔を浮かべた。けれど、その笑顔は徐々に恍惚なものへと転じていく。


「はあ……やっぱりあんさん、いい男やなぁ。顔もやけど、その心根がイケてるわ。一目見た時から気になってたんよ。有象無象の男とは違う、魂の輝きみたいなものをあんさんから感じるわ」


 紅潮し、とろけた顔でトウコはブルーノの頬に手のひらを当てる。


「ああっ……熱い、熱いわぁ。その熱い血潮。逞しい肉体。きっとあんさんなら、ウチの冷気でも凍り付かんのやろなぁ……。この身を寄せたら、ウチはいったいどうなってしまうんやろか」


「…………」


 椅子に座るブルーノのふとももに手を置き、トウコは体を寄せる。首筋に冷たいトウコの息がかかり、潤んだ瞳で見つめてくる。その姿は妖艶。男の理性を破壊する圧倒的な色気だった。


「あきまへんなぁ、火照ってしかたない。……どやろか、竜殺しはん。このままウチに溺れてみいひんか? この身も、この心も、あんさんの好きにしてよろしおす。我慢せんでもええ。あんさんが望むなら、今、この場でしてもウチはかまへんよ?」


 今にも唇と唇が触れ合いそうな距離まで顔を近付けながら、冷たい吐息と共にトウコは言う。ブルーノは表情を硬くしながら僅かに身じろぎをするが、絡みあった視線は外せない。うんともすんとも言わないブルーノに、トウコは強引にキスをしようとした──が、その頭部を後ろに引き寄せられた。トウコの後ろには復活したマオとアロエがおり、二人の手によってブルーノから引き剥がされていた。


「姉さーん! あたし達が構います! 朝からふしだらはいくない!」


「なんや二人とも、もう復活してもうたんか。いけずやなぁ」


 不完全燃焼な様子のトウコは仕方なさそうにブルーノから身を離す。マオは後ろから抱き付いて身柄を拘束し、アロエははだけた着物を直した。


「ごめんね、竜殺しさん。姉さんはイケメンと熱いものに目がなくてね。両方兼ね備えてるあなたはストライクゾーンのど真ん中なのよ」


「あ、いや、いきなりで何がなんだかわからなかった」


「おろ、意外に初心? それは尚更よくないよ。いきなり姉さんの色香を受け入れちゃったら、もう他の女じゃ満足できなくなっちゃうからね」


 危ない危ない、とアロエは息を吐く。


「それじゃあたしらはもう行くわ。竜殺しさんの近くに姉さん置いておいたら、すぐにヤバいスイッチ入っちゃいそうだし」


「上司を危険人物扱いなんて酷い話やね。まぁ、ええわ。今日の所はこのくらいで引いておきましょか。ほなな、竜殺しはん。よい一日を」


「じゃあねー、竜殺しくん! 今度会ったら喉元を撫でてくれる事を所望しておくよ! というわけで姉さん! 熱いのが欲しいなら、あたしに好きなだけ抱き付くがいいー!」


 そんなこんなで姦しい三人は談話室から出ていき、再び静寂を取り戻した室内にブルーノだけが残された。


「……あー、ビックリした」


 未だにドキドキしている胸に手を置きながら口にする。女の色気とは凄まじいものだと実感しつつも、ふと思う。今の胸の高鳴りと、サクラの時に感じた高鳴りは、言い表せなかったけれど、どこか違うような気がした。


「なんなんだろうな、これは」


「朝からお盛んですね、ブルーノさん」


「うおっ、ビックリした!」


 顔をあげたらサクラが目の前にいた。朝から二度目のビックリである。


「どうしてここに!」


「十三室に行く場合、必然的に談話室の前を通りますから」


「……いつから見ていた?」


「『ああっ……熱い、熱いわぁ』……のくだりからです」


 トウコの声真似をしながらサクラは言う。かなり似ていた。


「なぜその時出てこなかったんだ」


「なにやらいかがわしい様子だったので、見守った方がいいのかと。……やはり男性はトウコさんやリンディさんのようなグラマラスな女性を好ましく思うのでしょうか?」


 自分の均整のとれた体を見つつ、サクラは言う。彼女のバストとヒップは大きくも小さくもなく、それに加えてくびれたウエストを持っているが、グラマラスというほどではない。良くも悪くもバランスの取れたスタイルだった。ちなみにルーニャはサクラより二回りほど下である。どこがとは言及しないが。


「人それぞれだと思うが」


「ブルーノさんはどうなのです?」


「俺は……」


 サクラを見上げて、すぐに視線を下げる。


「わりとそうでもないらしい。トウコに迫られてドキドキしたが、好意を感じたのかどうかは怪しい所だ」


「でも嫌ではなかったのでしょう?」


「それは、まぁ」


「やはり女はおっぱいですか」


「それは違う!」


「……そこは断言するのですね。それも熱を込めて」


 呆れ混じりの視線でブルーノを見ると、サクラは踵を返す。


「さあ、行きましょう。これからはお仕事の時間です」


「あ、ああ、そうだな」


 先を歩くサクラをブルーノは追った。



  ◆



 第九対策室へ続く通路にて。


「もう、姉さん。あんな純朴な青年に手を出しちゃダメですって」


「そうだそうだ! 竜殺しくんはいい奴とマオには本能的にわかります! それゆえ大切にすべきと主張しまーす!」


 アロエとマオの忠告を、マオに寄り掛かっているトウコは聞く。それを聞いて溜め息を吐いた。


「姉さん聞いてます? あたし達が止めてなければ、今頃初心な彼は姉さんの毒牙に穢されてましたよ」


「いんや……それはないよ。残念やけど、あれは脈なしやわ。あの御方の瞳にウチは映ってへんかったもの。はあ……惜しいなぁ。ほんま惜しいわぁ」


 妬ましそうに呟きながら、その顔は嬉しそうに歪む。そんな表情を見て、アロエとマオは顔をひきつらせた。


「姉さん……まさか喜んでる?」


「当たり前や。障害はあればあるだけええ。簡単に手に入るもんに価値は見いだせへん。それが女ってものやろ。……うふふ。いやぁ、久しぶりにオトし甲斐のある殿方に出会えて、ウチは幸せ者やね」


「でたー! 姉さんの悪癖でたー! 竜殺しくん逃げてー! 超逃げてー!」


 トウコは騒ぐマオの頭をぺちっと叩く。


「まったくこの子は人を山姥のように言うて。ウチは雪女や。若く美しいもんには優しいと有名なんよ? なんで、しばらくは竜殺しはんの恋路を見守ってあげるわ。成就したなら大人しく手を引いてもええ」


 せやけど──とトウコは続ける。


「それが実らんかったり、相手が“いなくなったり”したら……そん時は美味しく頂くけどなぁ。うふふ」


 そう言って楽しそうに笑う上司を見て、部下二人は「この人、根は悪女なんだなぁ」としみじみ思うのだった。


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