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一難去って


「これでラストッ!」


 ルーニャは気合いと共に襲い掛かる最後の触手を薙ぎ払う。三十以上あったシッセリアの自由な触手は根元から二、三メートルを残し、全て砕け落ちた。長さが数メートルしか残っていない触手では、もはや目の前にいるルーニャにすら届かない。足の役目を果たしていた触手は健在だったが、その巨体を支えるだけで余裕がないのか、攻撃に使われる事はなかった。


「ふふーん。触手がなければ、ただのデカイ植物ね」


 全ての触手を処理した事で、もう逃げる必要のなくなったルーニャは腕を組んで勝ち誇る。すぐ調子に乗るのは彼女の悪癖だったが、今回はその油断を突かれる事はなく、シッセリアは短くなって届かない触手をルーニャに向けるだけだった。


「それでサクラさん、これからはどうするの?」


「あとはゆっくり料理するだけですよ。冷凍弾で腹部を凍結させて貴方が殴り、また凍結させて貴方が殴る。この繰り返しで腹部を掘って、皆さんを解放します」


「うわ、地味&エグいわね。それが一番早いなら仕方ないけど」


「シッセリアの内部が刃物で切り裂けるような肉質であればもっと早く済みそうですが、まぁブルーノさんが出てこない事を考えると、中身もぬるぬるの体液で満ちているのでしょうね。ともかく少し待ってください。手持ちの冷凍弾が底をつきました。今、ゴリアテに在庫を送って──」

「──サクラさん!」


 焦りが混じった声をルーニャは発する。何かと思い、サクラが彼女の目線を辿ると、そこには触手があった。短い触手だ。ルーニャには届かない。……今は届かないが、やがては届いてしまいそうな勢いで伸びていた。植物の発芽を早送りで再生した映像のように、崩れた断面から新しい触手が伸び、どんどんと成長していく。一秒間におよそ十センチメートルの速度で触手は再生していた。


 ふと昨日戦ったウッドマンをサクラは想起する。粉々になっても生きようとした木々の巨人。純粋な生命の再生力。その逞しさを思い出した。


「ルーニャさん、離れてください! その速度で再生されたら一分もすれば貴方は射程圏です!」


「でも今しかないんでしょ!? 一分あればコイツのお腹を何度か殴れる! また触手を処理してる時間なんて、わたしの部下にはないんだから!」


「……っ、わかりました。可能な限り掘りましょう。オペレーター、冷凍弾の予備弾はまだですか!」


「あと五秒待ってください!」


「それじゃ遅い……!」


 一秒が惜しい。手元に弾さえあれば、今すぐにあの腹部へ撃ち込んでやるものを──と、サクラが忌々しくシッセリアを睨んだ時、何かが打ち上がった。


「──え」


 ルーニャの口から思わず声が漏れる。突然、シッセリアの口から何かが飛び出して、そしてルーニャの目の前に落ちた。恐る恐る見てみると、それはでろでろになった管理局の制服を着た牛獣人モールスだった。


「モ、モ、モールスくん!?」


 急いで駆け寄り、ぬるぬるなのを気にせずに安否を確かめる。意識はなかったが、呼吸と脈拍ともに正常だった。モールスだけではなく、次々と打ち上がる。ヒュルケ、ブラク、アランの順で飛び上がり、その度にルーニャが受け止めた。モールスと同様に三人とも生きていたが、その中で唯一意識があったのはアランだけだった。


「……うっ、ん、ルーニャちゃん」


「アランくん! アランくん! ああ、よかった! でも、どうして出られたの!?」


「ぁあ、いきなり……シッセリア、体内の締め付けが弱く、なってね……。口の、しまりも緩まったから、今がチャンス……と竜殺し殿が……僕等を投げて……」


「ブルーノくんが……。わかった、もういいわ。あとはわたしに任せて、あなたは休んで」


「っ……いや、まだ……伝えなければ、ならない」


 息絶え絶えのアランは最後の力を振り絞って、ルーニャのインカムを取り、自分の口元に運ぶ。


「カスガイ室長……、彼からの、伝言です。──『俺に構うな』……と」


 そうサクラに言い残し、アランは意識を失った。

 それを聞いたサクラの行動は早かった。ようやく届いた冷凍弾を無視して、彼女は真っ直ぐシッセリアの方へ走る。走っている間に冷凍弾ではない六発分の弾を装填し、最新の強化人間の性能を以て瞬く間に密林を走破した。


「ルーニャさん、貴方は部下の皆さんをなるべく遠くへ運んでください。至急です」


 すれ違いざまにルーニャへ指示を出すと、サクラは大きく跳躍し、シッセリアの上部──“巾着袋の口”みたいな口へと降り立つ。シッセリアの口は閉められているが、よく見れば僅かな隙間が空いていた。ゆるみがある。触手を再生させるのに余力(リソース)を使った結果、口元が疎かになったのだろう。


「それが貴方の敗因。──さあ、たくさん召し上がってください」


 サクラはマルチランチャーの銃口をシッセリアの口に突っ込む。少しでも奥へと届かせる為、全力で押し込んだ。そして銃身が半分以上埋まった状態で引き鉄を引く。


「まずは散弾をご馳走しましょう」


 トリガーを三度引き、散弾で体内をズタズタにする。


「続きましては体の芯から温まる焼夷弾です」


 トリガーを二度引き、二発の焼夷弾を胃に流し込む。


「最後、時限信管の榴弾を食らってください」


 トリガーを一度引き、最大火力の榴弾を焼夷弾で炎上している体内に投入すると、サクラはマルチランチャーを残し、直ちにその場から離脱した。彼女が離れてから三秒後──榴弾は起爆。瞬間的にシッセリアの軟体は風船のように膨れ上がり、口から火柱があがる。足の役目を持つ触手から力が抜け、巨大植物は体勢を崩して倒れた。緩み切った口からは炎が漏れ、再び動き出す気配はない。


「死んだの?」


「恐らくは」


「あっ、ていうかブルーノくんがまだ中にいたんじゃないの!?」


 部下を安全圏まで運んだルーニャは、自分の隣に降り立ったサクラに問う。サクラは小さく笑ってシッセリアの方を指差す。


「……サクラ。確かに俺は構うなと言ったが、ここまで容赦がないのはどうかと思う。流石に爆発物は痛いんだぞ」


 炎が漏れ出ているシッセリアの口から、ぬるぬるのブルーノが這い出てくる。不服そうな表情を除けば、目立った外傷もなく、健康そのものだった。


「私は貴方のタフネスに関して最大級の評価をしていますから、この程度では怪我しないと信じていましたよ。実際、元気そうじゃないですか」


「そうだが……そうなんだが。……いや、君の信頼に応えられたのならそれはそれでいいか」


 全身にへばりついた体液を払い除けながらブルーノは合流する。

 負傷者を出しながらも、彼等はシッセリアの鎮圧に成功した。その証明として、生命を終えようとするシッセリアは最後に花粉を吐きだす。子孫を残し、命を繋げようとする。


 その光景を見てブルーノはサクラに問い掛ける。


「何か出しているが、アレはいいのか? ここの植物に影響が出そうだが」


「事後処理班が一帯を洗浄するので大丈夫ですよ。あの命が繋がる事はありません」


「そうか。そう思うと、なんだか哀れだな」


「運が悪かった。ただ、それだけのことです」


 淡泊に返答して、サクラは疲れた顔を浮かべる。十三室に二人だけしかいない日に、こんな大物と戦う事になった私達も十分運が悪いですけれど──と心中で呟いた。


「ううぅ」


 そんな中、ルーニャが突然泣き出した。ぺたんと座り込んで、大事にならずに済んでよかったと涙を零す。


「ふたりとも、ありがとう。……ほんとに、ほんとに……ありがとう」


 張り詰めていた緊張の糸が切れて、涙と共に本心が零れ出る。第十二対策室、室長──ルーニャ・イズマイノフ、十八歳。どれだけ強がろうと、彼女はまだ年相応の少女であった。


 ブルーノとサクラの二人は涙する少女をなだめる事も、慰める事もせずに頷く。その素直な気持ちを受け止めるように、ただ頷いた。























「あのぅ……、なんかいい感じなところ申し訳ないのですが、貨物室のコボルトさんがブルーノくんにどうしても伝えたい事があると言っているのですか……」


 温かな空気の中、インカムからオペレーターであるシオンの声が響く。一応空気を読んでいる事をアピールするような遠慮した声色だった。


 サクラは溜め息を吐いて上空を睨み、ブルーノは真面目に対応する。


「わかった。繋げてくれ」


「はい、じゃあ繋げまーす」


 ブルーノは左腕に付ける腕輪──リミット機能内蔵の個人端末からモニターを表示する。繋がった通信映像にはコボルトのガロウの大きな顔がアップで映っていた。


「なんだ、これに喋ればいいのか? ──おおい、兄さん! ワシの声が聞こえるかい?」


 ガロウの大声を受け、ブルーノはボリュームを下げつつ、会話に応じる。


「どうした、ガロウ。君はまだ安全と判断されていない監視対象だ。勝手をされると困る」


「すまねぇ。だが、少し気になった事があってな。……上から見えたぞ。テメェ等、シッセリアを殺したんだろ? スゲェな! ──いや、そうじゃねぇ。ええと、シッセリアは花粉出してねぇか?」


「ああ。もう出し切って力尽きた。それがどうした?」


「その花粉についてだ。それは死を悟ったシッセリアが生殖の為に出すもんだが、それだけじゃねぇ。より確実に受粉させる為にフェロモンも一緒に出す。そしてソイツは他のシッセリアを呼び寄せるんだ」


「それなら心配ないだろう。他のシッセリアはこの世界にいないはずだ」


「まあ、そうだろうな。杞憂だと思ったんだが、一応知っている事は教えておこうと思ってな。ヌハハッ、強力であるが故に個体数の少ない植物だ。そんなもん何体もいる訳ねぇわな!」


「そうだろうとも。あんなのがあと二体くらいいたら、相性的に俺はお手上げだ」


 もしもの話をして、ハハハ──と二人は笑った。


「──広域センサーに反応! 北東より、すごい速度でこちらに向かってきます! スキャン結果──食獣植物『シッセリア』!」


 通信に割り込んできたシオンは、焦っている声で伝える。


「反応がもう一つ! 南からもシッセリアが来ます!」


 シッセリアは他にもいた。緑界より三体まとめて漂着してきていたのだ。効率的に食料を得る為、三体は広大なアマゾン熱帯雨林の中で離れて活動していたが、一体が死んだ事で残りの二体が集結する。同胞の仇を取る為ではなく、ただフェロモンに惹かれて植物的にやってくる。


 絶望的な知らせを聞き、ブルーノとガロウは映像越しに見つめ合う。


「……杞憂だと思ったが、そんな事はなかったぜ。いやあ、いるとこにはいるもんだねぇ」


「……ああ。それも二体な。しかし、植物が植物を誘引するとは。自走する植物ならではの習性だな」


 若干の現実逃避をしながら、二人は揃って溜め息を吐く。


「まあ、頑張ってくれや」


「ああ、善処しよう」


 ガロウとの通信を切り、ブルーノは大剣に付着した体液を振り払う。


「サクラ、聞いての通りだ。もう少し頑張らないといけないらしい」


「……憂鬱です。しかし、やるしかないですね」


「いやぁー! もういやよー! あんなぬるぬるねばねばと戦うのはもういやぁー!」


 二人がやる気を絞り出す中、さっきのしおらしい雰囲気なんて微塵もなくなったルーニャは駄々をこねていた。著しくやる気を削がれたが、気持ちはわかるので二人は責めないであげた。


「ルーニャさん、貴方は部下の皆さんを連れてアルビオンに戻ってください。私達だけでなんとかやってみます」


「やーだぁー! あなた達を見捨てて逃げるなんてやーだぁー!」


「どうしましょう、ブルーノさん。ルーニャさんがかつてないほどうざいのですが」


「そっとしておこう。今は眼前の敵を討つべきだ。十二室を輸送機に搬送している猶予もないようだからな」


 端末から表示されるレーダーを見て、ブルーノが言う。北東と南から襲来するシッセリアの進行は速い。触手全てを用いた移動速度は車を優に超えていた。接敵まで一分弱。輸送機を降下させて、負傷者を回収している余裕はない。


 その事を理解した二人は準備を始める。


「オペレーター。私には『ハウンドドッグ』、ブルーノさんには『ドラゴンブレス』を送ってください」


「りょうかーい!」


 サクラは使い慣れたガトリングガンを装備し、ブルーノは初めて見る大型銃器を手にした。長く太い銃身に、両手で構える為のグリップ。ロボットアニメで登場しそうな玩具じみたキャノン砲だった。それを腰に構え、なんとか形だけはそれらしくみせる。


「これは……どう使うんだ?」


「簡単ですよ。魔力を込めて、狙いを定めて、引き鉄を引くだけです」


「なるほど、簡単だな」


 納得したブルーノは手持ち大砲を構える。

 そうしている間に接近してくるシッセリアが見えた。ブルーノは北東側を担当し、サクラは南側を迎え撃つ。


「…………」


 ブルーノは見えた巨体に狙いを付ける。魔力は既に装填済み。引き鉄を引くだけで、竜の莫大な魔力は鉄砲水のように撃ち出される。──しかし、その引き鉄が引けなかった。


「……くっ」


 照準がまとまらない。銃口は右に、左にと動き、定まらない。

 シッセリアは密林を軽快に進んでいる。なぎ倒せない大きな木は避けて進んでいる。その際に生じる平行移動にブルーノは対応できなかった。


 ここだ──というタイミングで引き鉄を引いたが、対象の斜め上を通過し、外れた。


「まだ二回は撃てる……!」


 チャンスはある。あと二回撃てるだけの距離はある。

 今度こそと引き鉄を引く。だが、二度目も外した。背中に汗がにじむ。焦りが生まれ、照準は更に定まらない。ブルーノは確かにこの魔力砲を使えるが、それはあくまで使えるだけだ。『使える』のと、『扱える』のとでは雲泥の差がある。この武器を扱うには彼の銃器に関する習熟度は低過ぎた。


 慣れない武器を使うべきではなかった──と悔み、地面に刺した大剣を見る。効果がないとわかった上で、ブルーノは使い慣れた剣に手を伸ばそうとした。


「──ウチが動き止めてあげるやさかい。そこを狙ろうてや」


 不意に声がした。インカムから聞き覚えのない女の声。それを聞いて伸ばした手を止める。そして不思議なものを目にした。


 艶のある長い黒髪。白い着物に青の帯。薄い桃色の紅が塗られた唇は柔らかい微笑みを浮かべる。汗一つない涼しげな顔で、そんな美女がシッセリアの頭上から降ってきた。およそアマゾンの熱帯雨林には似つかわしくない光景にブルーノは言葉を失う。


 シッセリアの直前に着地した美女は振り返りざまに袖を振る。──それで全てが停止した。


 美女の振り返った先。扇状に十メートルほどの範囲。その範囲内にいたシッセリアを含めるアマゾンの自然達が瞬時に凍結する。あらゆる運動。あらゆる活動。あらゆる生命が停止──凍り付く。恐ろしいほどに冷たい光景だった。


 再度振り返った美女はブルーノへと笑顔を向け、魔力砲の射線から退いた。


「俺に撃てと言うのか。……撃つまでもなく、もう決着しているのに」


 だが引き鉄を引いた。あの状態から復活するかもしれない可能性を潰しておく。

 ブルーノの魔力砲は完全に停止した目標には命中する。流石にそこまで下手ではなかった。


 突如現れた和服の美女はぴょんぴょんと小刻みに跳躍しながら、ブルーノのところまでやってくる。近くで見ると、より一層美しい女性である事がわかった。思わず息を飲むほどに。


「君は……?」


 戸惑いを浮かべるブルーノに、美女は笑いかけ、小さく敬礼する。


「第九対策室、室長──雪峰(ゆきみね) 桃子(とうこ)。遅ればせながら救援に参りました」 


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