二人だけの部屋
管理局本部五階。通路の突き当たりに第十三対策室は存在する。変哲のない黒の扉と味気ない表札。それだけが目印だ。その扉の前に立ったブルーノ・ランバージャックは一度深呼吸をしてから、ドアノブを掴み、入室する。
「おはよう」
「はい、おはようございます」
入ると同時に朝の挨拶を口にする。当然のように、室内から返答が戻ってきた。平坦で感情の薄い声色。けれど、どこかまだ幼さが残っている可愛い声。春日井 咲良の声はブルーノの耳を心地良く刺激した。
部屋の奥。室内全体を見渡せる位置にある自分の机で作業をしていたらしいサクラは、ブルーノが出勤してきたのを認めると作業をやめ、彼の方を見た。サクラは上着を着ておらず、白のワイシャツを露出させている。
「ブルーノさん、今日は貴方と私の二人だけです。他の三人は都合によりお休みなので、出動の際は注意していきましょう」
「ああ、わかった」
既にその事は知っていたが、ブルーノは素直に頷いておく。わざわざ「知っている」と答え、無用な説明だったと彼女に思わせる必要はない。
「こういう事はよくあるのか?」
「こういう事……というのは室員が同時に休む事ですか? でしたら、よくはありません。基本的に一室単位で公休となる日が決められますので、局側から個人の休暇が定められている事はまずないです。曜日毎に誰かが欠けていたらチームとしての強みがなくなってしまいますから。勿論、他のメンバーの出勤状況を考慮して、休めそうな日に事前申請しておけば個人の休暇が認められる事もあります。今日だとカリナさんがそうですね」
「なるほど。……それで、今日の仕事はなんだ?」
「今日の十三室に計画的な出動はなく、突発的に起きた案件に備えての出動待機が命じられています。なので要請があるまで一日中デスクワークですね。未だ管理局の機材に慣れていないブルーノさんには良い練習の時間となるでしょう。何か不明な点があれば聞いてください」
それだけ言ってサクラはブルーノから視線を外し、自分の机に浮かび上がったディスプレイに目を戻す。ブルーノはサクラの言葉に頷いて、自身に割り当てられた作業机の席に着いた。不慣れな手つきで情報端末を起動させ、ディスプレイとキーボードを展開する。自分に課せられている作業内容を確認し、早速業務を開始した。
そのまま一時間ほど会話もなく、二人は静寂の中を共にした。
「サクラ。すまない、手順がわからないものがある」
昨日鎮圧したウッドマンに関する書類を作成していたブルーノは、測定記録の引用を載せる事に手が止まった。正しい操作がわからず、ディスプレイにはエラーを告げる文章が表示されている。
「今行きます」
席を離れ、サクラはブルーノの背後までやってくる。ディスプレイを一見し、ブルーノがわからないとするものを察したサクラは手を伸ばす。サクラの手はブルーノの肩の横を通って、キーボードに伸ばされた。自ずと両者の距離は近付き、ほぼ密着する。
「これはまずウィンドウを分けて引用元を指定するのです。それから──」
サクラの声が耳元に響く。息遣いすら聞き取れる距離。触れ合う箇所からは体温と女性的な柔らかさ。横目を向ければ整った彼女の横顔が見える。瞳は澄んだ水色の光彩を放ち、言葉の度に薄い唇が艶を帯びる。大人とも子供とも違う、けれど、どちらでもあるような彼女の風貌から目を放せない。胸が高鳴る。変わらぬ仏頂面のまま表面に出る事無く、ブルーノの胸は高鳴らせた。
「──……ブルーノさん、わかりましたか?」
「……え」
どれほど呆けていたのか。サクラの説明は気付けば終わっていた。
「え……、ではありません。ちゃんと理解できましたか? 理解し切れない事があったら、この機会にしっかり質問して──失礼します」
ブルーノが我に返った途端、サクラのデスクから着信音が鳴り、彼女はそれを確認しに戻る。ディスプレイをいくつか操作したサクラは、しばらくして壁にかけてあった上着を取り、袖を通した。
「ブルーノさん、出動要請です。現行作業を中断して準備してください」
出動と聞いて意識のスイッチが切り替わる。ブルーノは立ち上げていた端末を休止状態にすると、緩めていたネクタイを締め直す。準備はそれだけだった。アイコンタクトで準備が出来た事を告げ、二人は十三室を後にした。
◆
「パターン『緑界』。クラス『獣人』。現地からの情報だとコボルト族みたいですね」
「数は?」
「十体前後です。強化人間からの保護勧告を無視して暴れまわっている、かなりのならず者らしいので本格的な戦闘も視野に置くのをオススメしまーす。ま、室長と竜殺しくんのお二人でしたら心配無用。例え百や二百いてもなんとかなりますよ、たぶん!」
「……オペレーター。いつも言っていますが、余計な私語はなるべく慎むように。あと根拠のない事も言わないでください」
「こちらもいつも言っていますが、私の軽口はみなさんの緊張を和らげる為のものなのでやめません」
「私は必要としていませんのでやめてください」
「嫌です。断固拒否します。真面目に伝えるだけじゃ肩がこるんです。年長者は敬うべきだと思います」
「……ああ言えばこう言う。年長者だというなら、それらしい振る舞いをしてほしいですね」
「ふーん。私の態度、室長以外には好評ですもーん」
輸送管制機ゴリアテに乗り込んだブルーノとサクラは、パイロットとオペレーターのいる広い操縦席で、これから向かう案件の情報をまとめていた。はずなのだが、知らぬ間にサクラとオペレーターの言い争いに発展していた。
人工的な緑色の髪をした女性オペレーター。名前はシオン。第十三対策室の創設から所属している最古参の一人である。
「なんでもいいが。そのコボルトというのはどういう種族なんだ?」
人の話に割り込むのがあまり得意ではないブルーノだったが、話がまとまりそうになかったので意を決して口を挟んだ。サクラとシオンの視線が一斉に彼へと向けられる。しかし、一応それで区切りとしたのか、二人は言い争いをやめた。
「……コホン。コボルト族というのはわかり易く言えば犬人間です。素早い身のこなしが特徴で個体数も多いスタンダードな獣人の一種ですね」
「ほう。で、強いのか?」
「それほどではありません。徒党を組まれたら少しだけ面倒……と言った感じでしょうか。個体性能で言えばブルーノさんより劣るのは当然として、私と比較しても弱いくらいです。なので大した相手ではないですよ。だからこそ現状二人しかいない十三室に鎮圧が要請されたのでしょうし」
サクラが説明し終えたところで、新界の上空に滞空していたゴリアテの前に空間と空間の繋ぎ目が開く。空間接続による長距離跳躍。移動先の空間座標を算出し、固定する時間が必要となるが、地球で観測できる場所なら瞬時に移動できる一つのワープ航法を管理局は有する。規模としては大きくない近界漂着物管理局が世界中で起こる事件に対応できる大きな理由である。
「接続確認。これより空間跳躍を開始します」
シオンの声に従ってパイロットが舵を切る。移動は一瞬だった。短い空洞を越えた先に広がったのは、新界には存在しない砂漠地帯。中国──ゴビ砂漠の只中にゴリアテは移転した。見渡す限りの砂の海。見ているだけで水分が奪われそうな光景を見下ろす。
「昨日のグリーンランドとは一転して暑そうだな」
「おまけに今は夏ですからね。最高に暑いですよ」
「えーと、外気温は四十五度ですね。砂漠は照り返しも強いので体感はもっと暑いですよぉ。頑張ってくださいね!」
これから下に降りる二人とは異なり、完全に他人事なシオンは無駄に良い笑顔で応援した。サクラは後部ハッチから放り出してやろうかとも考えたが、そんな事を考えるのも面倒だったので、さっさと仕事を済ます為も出撃デッキへと向かう。ブルーノもそれに続いた。




