食事は静寂の中で
「思ったより大したことなかったな、ウッドマン。んむ、んむっ……まぁ五人で寄ってたかればあんなもんだろうけどよ」
「本来の生息環境と真逆だったから、はむ……弱体化してたんじゃない?」
カズトとリンディは食事を口に運びながら、先程討伐したウッドマンの話をする。
ここは管理局本部内にある食堂。局員にはどんなメニューも無料で提供される為、解放されている間は人が絶える事のない局員達の憩いの場である。
そこで一仕事終えた第十三対策室の面々は夕食を摂っていた。
「今回の戦いでわかった事は一つ。前衛の火力があがると、後衛はすごく楽って事だね。ま、ボクは前も後ろも出来る万能型だけどさ」
「あっ、それアタシも思った! 今回で初めて(カズトの)フォローを気にせず、アタッカーに専念できたもの!」
「うん。遠まわしにオレをディスるのやめような、お前等。……とはいえ、それも事実だわな。足の速さ以外、オレの上位互換って感じだもん。なぁ、ジャックさんよぉ!」
「ん? ああ、そうだな」
「そこは『そんな事はない。カズトもよくやってるさ』とか言ってほしかったぜ……」
「そんな事はない。カズトもよくやってるさ」
「……おう、ありがとよ」
ブルーノが十三室に入ってから一週間。その間にも小さな案件で出動した事はあったが、本格的な戦闘をしたのは今回が初めてだった。それを踏まえた変化を室員達は口々に語る。
「ねぇねぇ室長。室長もいい感じのパーティになったと思わない?」
「そうですね。理想的な前衛が入った事で安定感は格段に増したと思いますが、あまり浮かれ過ぎるのは感心できませんね。現状に甘んじず常に向上心を持つようにお願いします」
「うわー、まじめー」
「それからリンディさん。私が食事をしている時は──」
「──あぁ、おけおけ。そうだったわね、ごめんなさい」
「……わかればよいのです」
サクラとリンディのやり取りを見ていたブルーノは隣にいたリンディに小声で問い掛ける。
「リンディ。食事中のサクラには話しかけてはいけないのか?」
「あはは、そうなのよジャッくん。サクラちゃん──じゃなくて室長は食事にだけはすごい執着を持っててね、食べてる時に話しかけると怒りはしないけど、露骨に不機嫌になるのよ。それだけ食べる事が好きみたいなんだけど」
「へぇ……意外だな」
「普段が無愛想なだけに、そういうとこちょっと可愛いわよね。あとね、美味しいものを食べてる時だけ笑うのよ。油断してる時じゃないと見れないからレアだけど、機会があったら観察してみるといいわよ」
「なるほど、勉強になった。君はサクラと仲がいいんだな」
「え? ……そうね、十三室が出来てから三年。その間ずっと一緒にいたから、もう妹みたいなものよ」
リンディは微笑みながら、ミックスフライ定食の一品であるエビフライをもぐもぐしているサクラを見つめる。その時の彼女は姉の顔をしていた。そして自分が口にした『妹』という単語を反芻して実の妹を想起する。
しばらく顔を合わせていない実の妹に会いたくなったリンディは衝動的に立ち上がった。
「ごめんなさい。アタシ、用事思い出したから行くわね」
「あぁ? なんだよ、リン。付き合いわりぃな。なんならこのままカラオケにでも行こうと思ってたのによ」
「アタシは局員だけやってるアンタと違ってベル家の当主として忙しいのよ。少ない余暇くらい好きに使わせてもらうわ。あとカズト、アタシのトレイ、返却口に返しておいて。よろしく」
「局員だけやってるのはオレだけじゃないと思うんですがねぇ──ってオイ!」
カズトの言葉を聞き終える事無くリンディは食堂を後にする。しかし、幼馴染の彼には彼女が言った用事の内容がわかったのか、それ以上の文句は言わなかった。
「それじゃボクもおいとましようかな。実は事務の子とデートの予定が入ってるんだ。あとカズト、ボクのトレイも返しておいて。よろしく」
そう言ってカリナも食堂を去っていった。
「あのエロガキが。女のケツばっか追いやがって──ていうか、アイツ等! 食い終わった食器くらい自分で片付けろよ! なんでオレに全部押し付けんのさ!」
十三室の中で最も身分の低い者。悲しきかな、それがカズト・グレイトフルという男だった。だが、そんな事ではへこたれないのが彼の良い所であり損な所。なまじ打たれ強いから、いじられるのである。
カズトは溜め息を吐きつつ、残ったブルーノとサクラを見る。二人が注文したメニューはまだ半分ほど残っていた。
「つーか、食べるの遅いね、オタクら」
「ああ。今は戦闘でエネルギーを使ったからか腹が減っているが、竜の力を得てからというもの、長い間隔が空かないと空腹を感じなくなったからな。食欲がある時はなるべくゆっくり味わって食べるようにしているんだ」
美味しい食事は人生にとって潤いの時間だ、とブルーノは言う。竜の血を浴びて低燃費な体になった今、それを尚の事感じていた。
ブルーノの主張を聞いて、彼の向かい側に座るサクラは手を止める。
「ブルーノさん、それは正しい。美味しいものを食べる時は、誰にも邪魔されず、自由で……なんといいますか、救われていなければなりません。独りで、静かで、豊かで……」
口に白米を運ぼうとしたまま、サクラは突如として語り出す。持論なのか引用なのかはブルーノとカズトにはわからなかったが、とりあえず彼女が本気でそう思っているという熱意のようなものは伝わった。
言うだけ言ってサクラは食事を再開する。珍しく無軌道なサクラを見て、男二人は揃って肩をすくめた。
そんな三人のテーブルに、今しがた食堂へやってきたグループが近付いてくる。サクラと同い年くらいの少女が一人に、残りが男の五人組。リーダー格の少女がサクラの後ろを通過し、そこで足を止めた。
「あらあら、これはこれは第十三室の皆さまじゃないですか。シブヤでの活躍は聞いてますよ。さっきもグリーンランドのウッドマンを鎮圧してきたとか。竜殺しさんと関わってから快進撃じゃないですか。ねぇ、サクラさん」
ゆるふわウェーブの桃色髪を優雅に、ふぁっさぁ、としながら少女はサクラに話しかける。当のサクラは無視をした。というか、どちらかと言えば少女の事より食事を優先したといった様子だった。
「サクラさん? サクラさん、聞いてるんですか?」
「ほむ……はむ……」
「あのー、サクラさん? カスガイ・サクラさん?」
「もぐ……もぐ……」
「──~~っ!」
自分を無視して黙々と食事するサクラに、少女の口元がぴくぴくと微動する。我慢の限界が来たのか、彼女は手をテーブルに叩き付けた。
「サクラさん! 無視するのは失礼じゃないですか!?」
「──! …………、貴方こそ食事中の人に話しかけるなんてマナーがなっていないのではないですか? ましてやテーブルを叩いて揺らすなんて……。見てください。お味噌汁が一滴も零れてしまいました。この損失を貴方はどう補償してくれるのでしょうか?」
ようやく口を開いたサクラはトレイに零れ落ちた一滴の味噌汁を指差して少女を睨み付ける。
嫌味で言っているのではない。味噌汁一滴の損失を本気で悲しみ、本気で怒っていた。食べ物の恨みは怖いというが、サクラのそれは度を超えていた。──しかし、本気の思いと言うのはなんであれ伝わるもので、その思いを一身に受けてしまった少女は気迫に押され、一歩引きさがる。
「う……、ご、ごめんなさい」
そして謝った。強気な態度は既にない。
「自身の過ちに気付いたのなら、どこかに行ってください。それで免罪とします」
「はい。すみませんでした……」
少女は肩を落として、とぼとぼ歩き始めた──ところで、ぐいっと振り返った。
「ってちがーう!! なんで味噌スープ如きでこんなに怒られなくちゃいけないのよ!!」
「は? 味噌スープ“如き”……?」
「ひゃっ、ごめんなさい! その件は本当にごめんなさいでしたー!」
サクラの殺人的な眼光を受けて、少女は自分の失言を謝罪した。学習しない娘である。その様子を少し引いた視点で見ていたブルーノは、愉快な女の子だなぁ、とか思っていた。
「うぅ、こんなはずじゃなかったのに……。というかいいのよ。もう謝ったんだから味噌スープの事は置いておいて」
少女は気を取り直すように咳払いを何度もして、元の威勢を取り戻す。
「でっ、でなくてね、サクラさん。わたしが言いたいのは、あなたの活躍はそこの竜殺しさんのおかげで、あなた自身の成果じゃないって事よ。そこのところをちゃんと理解しているのかしら?」
「言いたい事はそれだけでしょうか、ルーニャさん」
「え……ええ。そう、そうよ。わたしが言いたいのは、あなたが大した存在じゃないってだけ事よ。十三室の活躍はリンディ様とか、吸血鬼くんとか、竜殺しさんとかの尽力のおかげなの。だから調子には乗らない事ね!」
二人の視界の外でカズトは「あれ、オレは?」と自分を指差してアピールしていたが、残念ながら気付かれる事はなかった。
「はい、わかりました。肝に銘じておきましょう。では、どっか行ってください」
「ぞんざい! わたしの扱い、ぞんざい! 嫌味を言ってるの! わたし、あなたに嫌味言っているの! もっと気にして! もっと傷付いて! もっと悔しそうにして!」
ルーニャと呼ばれた少女はサクラの反応が不服だと騒ぐ。癇癪を起こした子供のようだった。
近くで騒がれて、サクラもいい加減鬱陶しくなったのか、箸を置いてルーニャの方に目を向ける。
「ルーニャさん。貴方の言葉は正しい。私は室長として室員に恵まれています。今までの活躍も私の性能によるところはありません。なので私は貴方の言葉に対して反論を持ち合わせていないのです。貴方の言う事は嫌味ではなく、全て真実なのですから」
サクラはつらつらと言葉を並べる。
そのほとんどがうるさいルーニャを納得させる為のものだったが、全てが嘘であった訳ではなく、サクラ自身、そう思っている部分もあった。
その言葉を聞いて、ルーニャは満足げに胸を張る。
「そう、自覚があったんですね。ええ、自覚があるのは良い事です。うんうん。“偽り”である貴方にも自己評価くらいできますか。その謙虚さに免じて、これ以上の言及はしないでおいてあげます。わたしの懐の深さに感謝して、今後はもっと慎ましやかな態度でいる事ね。あと食堂を利用する時は隅っこのテーブルを使いなさい。貴方達は十三室。対策室の中で最も若輩なのだから!」
オーホッホッホッ──と古風な高笑いをしながらルーニャは食堂から去っていき、その後ろを申し訳なさそうに頭を下げる男達が続いた。わざわざ嫌味を言う為に食堂まで来たようだ。
彼女が去ったのを見て、サクラは食事を再開する。変わらぬ無表情さではあったが、先程のような楽しんでいる雰囲気ではなかった。
「カズト。今の桃色少女は誰なんだ?」
「ああ、今のは──」
「──ルーニャ・イズマイノフ。第十二対策室の室長をしている天族です」
ブルーノが問い掛けたカズトに代わってサクラが返答した。カズトは不服そうな顔をしていたが、自分よりサクラの方が詳しいだろうと口を閉じる。
カズトが、聞くなら室長にどうぞ、と言うようにサクラへと手を差し出したのを見て、ブルーノも彼女に問い掛ける。
「十三室を嫌っている様子だったが、何か因縁でもあるのか?」
「因縁なんてありませんよ。十二室は十三室しか後輩がいないので、先輩風を吹かせる対象が私達になっているだけです。それに彼女の場合、十三室を嫌っている訳ではありません。リンディさんあたりは本当に尊敬している様子ですしね」
「では、サクラ自身を嫌っていると?」
「はい、そうです」
「どうして」
「私が強化人間だからでしょう。……強化人間は通常の地球人よりかは強力ですが、異界人と比較した場合はまだまだ及びません。まず魔力を保持していませんから、どうしてもそこで差が出来てしまいます。ですので強化人間は現地スタッフ──つまりは管理局の末端として働くのが当然であり妥当です。一定の性能を大量に用意できるのが私達の強みなので」
対策室を精鋭部隊としたら、現地スタッフは一兵卒。対策室を必要としない細々とした小さな案件を担い、対策室が必要となる危険漂着物に対してはその命を捨ててでもサポートに徹し、対策室の活動を手助けするのが使命だ。代替が無数に存在するからこそ、その役目が果たせるのである。
その中で春日井 咲良は異質。強化人間が対策室に──ましてや室長として活動するなど前代未聞なのだ。
「なるほど。あの子は自分達の手足として使われるべき強化人間が、自分と同じ立場にいる事が不満なのか」
「ええ、恐らくそうでしょう」
「しかし、そもそもサクラはどうしてその地位になれたんだ? 強化人間の中で特別出来が良かったのか?」
造られた人間とはいえ多少なりとも個体差は存在するはずだ。それこそ天才という突然変異が生まれてもおかしくない、と浅学ながらブルーノは考えた。
「そうですね。その意見は間違っていません。私の身体は第二世代の最新型なので、部品から設計まで従来の強化人間とは別格なのですよ」
「へぇ。これからの強化人間がサクラみたいに高性能なら、対策室の出番はなくなるんじゃないのか?」
ブルーノはサクラの強さを知っている。武器によるところも大きいが、彼女の精密な射撃による攻撃力は竜殺しの自分に劣らない。それを軍として扱えば更に強力となるのは兵法に疎いブルーノにも理解できるものだった。
「残念ながらそれはありません。最新型と言いましたが、正確には技術研究用の性能追求型として製作されたので、この身体一つ造るのに従来の強化人間二百五十体分の費用が必要となります。従来より遥かに高性能となりましたが、費用対効果の観点から当然量産はされず、結局試作されたのは四体だけです。その後、せっかく造ったのを遊ばせておくのも勿体ないと、私は新設された第十三対策室の配属となったのです」
「そうなのか。残る三体はどうなったんだ?」
「え? ……確か、そうですね。初期化して保管されたと聞きました」
「そういえばオレも一つ気になってたんだけどさ。室長って、いつ室長になったんだ?」
ふと思い付いたのか、カズトも会話に参加する。
「オレが配属された二年前にはもう室長になってたよな?」
「私が室長となったのは、カズトさんが配属される一月前です。前室長が第七対策室へ異動になったので、指揮適正のあった私がなし崩し的に。稼働して一年ほどしか経っていないのに、いきなり大役を押し付けられて私も大変でしたよ」
「その割には今と変わらない鉄仮面っぷりだった気がするんだが……」
「無表情なのは生まれつきです。内心では緊張していたのですよ、カズトさん」
「ホントかよ」
しれっと言うサクラにカズトは疑いの視線を送った。
「待て。二年前の時点で稼働してから一年と言う事は、サクラの稼働時間はおよそ三年──言わば三歳なのか!?」
ブルーノが目を見開いて問い掛ける。
「はあ。まぁそうなりますね」
「──さ、三歳! そうか、そんなに差が……あったのか」
愕然として、ブルーノは頭を抱えた。
「何がそんなにショッキングだったのかは知りませんが、稼働時間が三年だからといって私の精神年齢が三歳な訳ではありません。私の身体は十五歳を想定して製造されていて、当然人格もそれ相応の年齢に設定されています。それから三年稼働したという事は、実質的に私は十八歳であると言えるでしょう」
十五年分の記憶はまるまるありませんが、と付け足してサクラは言った。やや詭弁であったが、子供扱いされるよりかはマシだとサクラは考える。
「十八歳……!」
それを聞いてブルーノは顔を上げる。それなら大丈夫だ──と、何が大丈夫なのか自分でわかっていないのにも関わらず、そう思った。
やがて夕食を食べ終えたサクラは箸を置く。
「さて、おバカさんのせいで不味くなってしまいましたが……ごちそうさまでした。私も帰ります。カズトさん、トレイの片付けよろしくお願いします」
「室長もかよォ!?」
カズトの叫びも虚しく、トレイをそのままにしてサクラは食堂を出ていった。
ぐぬぬ……と顔を歪めるカズトは、それでも律義にテーブルに放置されたトレイを自分の方へ手繰り寄せる。その哀れな男の肩にブルーノは手を置いた。
「……手伝おう」
「ジャック……。お前だけだぜ、オレに気を使ってくれんのはよ。さんきゅ。いつまでもそんなお前でいてくれ」
肩に置かれた手を取ったカズトは儚く笑い、ブルーノは憐憫の笑みを浮かべる。その時、二人は確かな友情を感じた。




