摂理の外
通路の突き当たりにあるエレベーター乗り場にブルーノとサクラの二人は佇み、エレベーターの到着を待つ。会話はない。二人とも徐々に下がってくる階数ランプを見つめていた。
その沈黙の中でブルーノは口を開く。
この三日間に長々とあった考える時間で、彼は一つの疑問を抱いていた。
「この三日間、ずっと君の事を考えていた」
「は?」
「ん?」
いきなり何を言ってんのこの人、とでも言いたそうにサクラは無感情の目を向けた。ブルーノも自分の言い回しの不適格さに気付いたのか、ハッとして枷の付いた両手を胸の前で振る。
「いや、違う。君の事は考えていたが、違う。そんな浮ついた事を考えていたんじゃない、本当だ」
「では何を考えていたのですか」
特に気にする風ではないサクラは真意を問う。ブルーノは一度咳払いをしてから話を切り出した。
「……君は言った。この地球には異世界から来た獣人や吸血鬼、天使などがいると。それは理解した。実際目にしたし、それ以外の種族もこの三日の内に見た。……では君はなんだ、サクラ。戦っている君は地球人とは思えない身体能力だった。けれど異世界からの来訪者にも見えない。君はいったい何者だ」
髪も肌も白い外見からは乖離しているが、春日井 咲良という名は日本人のものだ。地球人とは思えない地球人。その疑問をブルーノはぶつける。
「ああ、そんな事ですか」
サクラは自分の正体を問われながらも無関心な口調で言った。エレベーターが到着し、彼女は一足先に乗り込む。そして──
「──私は強化人間です」
ブルーノの方へ振り返りながら返答した。
「きょうか、にんげん……?」
聞き慣れない単語に困惑する。呆けるブルーノに、サクラは早く乗るように手招きした。戸惑いつつもブルーノはエレベーターに乗る。扉が閉まり、密室で二人だけになった。
「強化人間というのは貧弱な地球人を異界人に対抗できるくらいまで改良した人間の事です。私の身体はその第二世代に該当します」
「……?」
「人間の肉体を機械で補強し、サイボーグ化させる後天的強化が第一世代です。一方、優れた生体部品を製造し、人間を一から組み立てる先天的強化が第二世代。つまり私は造られた人間なのです」
「な……」
一切の抵抗なくサクラはそれを口にする。自分は造られた人間──造られた生命だと言った。誇るでも、恥じるでもなく、ただただ機械的に答えた。
ブルーノは驚愕する。人が人を造る。愛情から齎される自然な誕生でなく、機械を組み立てるように人を造る。そんな事が可能なのかと。そんな事が許されるのかと。彼の常識と良識が揺さぶられる。
「驚かれているようですが、今日に至って強化人間は珍しくありません。現在稼働している強化人間の総数は約二十万五千。そのほぼ全てが管理局の現地スタッフとして各国で活動しています。恐らくブルーノさんが日本で暮らしていた時、街中ですれ違った何人かは強化人間のはずですよ」
「……知らぬ間に君のような人と遭っていたかもしれないのか」
「ええ。とはいえ現地で活動している人は私よりも人間的でしょうから見分けはつかないと思いますが」
「そうか。そういうものなのか」
世界の知らない部分を垣間見た気分だった。
正直に言えば複雑な気持ちだったが、ブルーノはそれを呑み込む。造られた人間だろうと、この世に生きる生命には変わらない。その価値に差があろうとも、与えられるべき尊厳は同等であるべきだ。そして何よりブルーノは竜の血によって焼かれて一度死に、竜の血によって再び生を受けた男。摂理から外れた生命という意味では同じ。そんな自分が何かを言う資格はない。
「私の事、嫌悪されても構いませんよ。普通の人からすれば人形が人間のマネをしているのは不愉快でしょう。大丈夫です。そういうのは慣れています」
「いや、しない。絶対にしない。俺も似たようなものだからな」
ブルーノははっきりと否定する。嫌悪するどころか、むしろ仲間意識すら芽生えたくらいだった。対してサクラは珍しく露骨に嫌そうな表情でブルーノを見ていた。
「……そうですか。竜殺しと似たようなものにされるとは、私達強化人間の人権もそこまで落ちましたか」
「えっ。竜殺しとは、そこまでヒエラルキーが下なのか」
一応今は遠き故郷では英雄と思われているはずなのだが、とブルーノは弁明する。同時にサクラの仲間達や、ここの局員達から蔑視されているような気がしていたのを思い出す。
「はぁ……誰も教えてはくれなかったようですね。仕方ない。私が教えましょう」
本当は嫌だけど仕方ないから嫌々教えるといった様子でサクラは口を開く。
「管理局において竜殺しは疫病神の別称です。竜の呪いを受けた者は無敵とも言える肉体を得ますが、その代償として破滅が約束されると言われています。その破滅とは言わば致命的なまでの不運であり、それは竜殺しの周囲にまで及ぶのです。……代表例を語りましょう。少し話からズレますがブルーノさん、ネス湖のネッシーを知っていますか?」
ブルーノは肯定する。竜の事を調べていた時に目にした覚えがあった。
「アレ、竜界から漂着した竜だったんです」
「な、なんだって──!」
「二十世紀の六十年代。姿が撮影され、話題になっていた頃に管理局は調査チームを向かわせ、そこでネッシーとされた高位の竜を発見。保護しようとしたものの抵抗に遭い、激しい戦闘の末、一人の獣人族の戦士によって討たれました。その時、竜の血を浴び、戦士は竜殺しとなったのです。彼は無敵の戦士となって活躍しましたが、常に不測の事態に襲われる事になります。出撃すれば百年に一度の嵐に遭遇し、戦場に着けば人員輸送機が謎のエンジントラブルで墜落。彼が所属した対策室は百を超える死亡者を出し、彼以外が全滅する事もよくあったと言います。けれど、どんな絶望的な状況下でも彼は生き残ってしまいました。やがて竜殺しは仲間を殺し、自分は生き残る死神として忌み嫌われるようになったのでした」
おとぎ話を語るようにサクラは昔話をする。
「その戦士はどうなったんだ?」
「死にました。自らの心臓を引き抜いて。……どれだけ力を尽くそうと否応なく仲間が死んでしまう事に苦悩しての自殺でした。その人が代表的ですが、それ以前、もしくはそれ以後の竜殺し達も大なり小なり不運に見舞われていたと記録が残されています」
「……俺、ここにいていいのか?」
「さあ? そればかりは結果が出ないとなんとも。運の善し悪しというのは結局は結果論ですからね。管理局では『幸運』という能力を数値化できますが、それも“何もせずに良い結果を引き寄せる力”の目安であって、数値が低くても良い事は起きますし、その逆もまた然りです。……なので今のところはいても大丈夫です。今のところは、ですが」
「君の慰めは辛辣だな」
「慰めているつもりはありませんから。私はただ事実を述べているだけです。──着いたようですね。降りますよ」
長い間上昇していたエレベーターは止まり、扉が開く。
扉の先は日の光が差す地上。ブルーノがこの三日間軟禁されていたのは地下深くの保護観察棟であり、エレベーターは地下から地上へ昇っていたのだった。
久しく地上に出たブルーノは太陽に目を細める。
「やはり青い空はいい」
呟き、ふと前を見るとサクラは既に先を進んでいた。慌てて追いかけ、横に並ぶ。そのままついていき、付近にあった他の建物より一層高い建造物に入った。そここそが近界漂着物管理局の本部であり、組織のトップに立つ近界漂着物管理局、局長のいる場所だった。
「お疲れ様です、かおりさん。例の保護観察対象を連れて来たので、局長に繋いでください」
「はい。少々お待ち下さい」
サクラは受付にいた大人しそうな眼鏡の女性局員へ話しかける。備え付けられた受話器を取って連絡している、その比較的美人な局員をブルーノは見つめ続けた。
「確認が取れましたので、奥のエレベーターから最上階へお進みください」
一礼したサクラはエレベーターへと向かうが、ブルーノは女性局員を見続けていた。その視線に気付いた局員は不安そうに訊ねる。
「あのぅ……まだ何か御用でしょうか?」
「……不躾だが、俺とどこかで会った事はないだろうか」
「えっ」
「具体的には三年前くらいに貴方のような人と出会った気がするのだが」
「三年前ですか……? すみません。三年前のあたしは人生のどん底だったので記憶が判然としなくて。ごめんなさい」
申し訳なさそうに謝る局員に、ブルーノも頭を下げた。
「いや、こちらこそすまない。きっと俺の記憶違いだろう」
うすぼんやりと思い出せる記憶の女性は、もっとこう……凄まじい戦士のような女だった。それが受付嬢などやっているはずがない。そう自己解決してブルーノは受付前から立ち去った。
エレベーター前で待っていたサクラは無表情でブルーノに問う。
「意外と手が早いんですね。英雄色を好むと言いますが、流石は竜殺し。初対面の受付嬢だろうとすぐに手を出しますか」
「ん? なんの事だ?」
「聞いていましたよ。ブルーノさんが『俺と昔出会った事はないか』──なんてキザなナンパ文句を言う人だとは思いませんでした。イメージが変わります」
「待て! 俺はナンパなどしたつもりはない!」
「隠さなくとも結構です。女性局員の中ではもう噂になっていますよ。新しく保護された竜殺しさんは見た目に反して紳士的だ、とか。見た目に反して優しい、とか。見た目に反して女のツボをわかってる、とか。竜殺しだけど彼ならアリという方が多いと聞きました。なかなかのプレイボーイじゃないですか、ブルーノさん」
「馬鹿な……! 俺は女性に好まれるような行いはしてないぞ!」
この三日の間に多くの女性局員と関わってきたが、特別な事をした覚えはない。普通に言う事を聞いて、普通に親切にして、普通に頼まれ事とか快諾しただけだ。そんな当たり前の事をして女性が喜ぶわけがないだろう──と、これまでの人生で女っ気が一切なかったブルーノはそう思った。……この世にはギャップ萌えというものがあるのを彼はまだ知らない。
ブルーノの表情を見て、本当にそういう気がないと察したサクラは心中で小さく笑った。
「なんにしてもかおりさんには手を出さない方がいいですよ。彼女は局長がどこかから直々に引き抜いた直属の部下です。きっと単なる受付嬢ではないでしょう」
「いやだから、俺は元からそんなつもりなど──」
弁明を聞き終える事無く、サクラは到着したエレベーターに乗る。そして早く乗るように手招きをする。ブルーノは溜め息と共に弁明を諦め、手招きに応じてエレベーターに乗り込んだ。




