世界の形
「──空間接続まで三……、二……、一……。接続を確認。ゲートイン開始」
東京の空に穴が空き、輸送管制機ゴリアテはその穴へと突入する。空洞の先には確かな光が広がっていた。
「──……ゲートアウト。ゴリアテ、通常空間に移送しました。到着時点の誤差は許容内。接続終了シーケンス……完了。続いて第七エアポートへ向かいます」
オペレーターが事務的に告げる。あらゆる色が溶けずに混ざったかのような空洞を抜けて、ゴリアテは青い空が広がる楽園へと辿り着く。東京とは時差があるのか、ここは未だ日中だった。
ブルーノは貨物室の窓から下を覗く。
見渡す限りの緑があった。手付かずの自然。その中にぽつぽつと人の集落が窺える。少し進むと故郷であるカゲートを彷彿とさせる石造りの家が見えた。大きな街もある。そして驚く事に付近の山の岩肌には竜がいた。退屈そうにあくびをしている。
「サクラ、ここはどこだ。どこの国だ」
「どこの国でもありませんし、この土地は世界地図のどこにも存在していません」
「……?」
「ここは異界から流れてきた者達が創った、異界人による異界人の為の隔離世界。地球の一部でありながら隔絶されたこの世界を私達は第六の世界──新界ピースと呼んでいます」
「ぴーす……」
なんとも平和そうな名前だとブルーノは思った。そんなブルーノをサクラはその場に座らせて毛布を羽織らせる。
「ん……、なんだ。別に俺は寒くないぞ」
「いえ、貴方を慮ったのではないです。その痛々しい腕は見ていて精神衛生的によくありません。なので隠しておいてください」
「そうだったのか。すまない」
「ともあれ安静にするようお願いします。少し話しておく事もありますので」
サクラ以外の三人はこの場にいない。ほの暗い貨物室に二人きりであった。
「…………」
サクラはブルーノの隣に正座し、左腕の腕時計型情報端末を外して前に置いた。彼女の眼前に半透明のディスプレイとキーボードが投射され、操作を始める。それをブルーノは横目で見つめた。
「……何をしているんだ?」
「報告書の作成です。エアポートまでは時間があるのでまとめられるものはまとめておこうと思いまして。……ああ、話は片手間にしますので、気にせず聞いていてください」
ディスプレイを見つめながら両手の指を器用に動かすサクラは話し始める。
「貴方は近い内に事情聴取されるでしょうから、それをスムーズにする為、基本的なこの世界のあり様を教えます。わからないところがあれば、その都度質問してください」
そう前口上を言ってからサクラは本題を口にする。
「まず私達『近界漂着物管理局』について話しましょう。これまでの出来事でなんとなく想像はついていると思いますが、管理局は異世界から突如として出現した人や物──『漂着物』と呼称するそれらを保護し、管理する為の機構としてあります。公にはされていませんが、一応国際機関です。管理だけでなく脅威となる漂着物への対策もまた重要な役目で、今回の事もその一環でした」
「管理局とやらが異世界から来た者に対する警察や軍隊のような存在であるのはわかった。しかし、そもそもの話なんだが……なぜこの世界は異世界から漂着物が来るんだ? いや、それとも俺の世界でも知らなかっただけで漂着物は来ていたのか?」
ブルーノがいた世界には異世界からの漂着物どころか、異なる世界が存在している事すら認知されていなかった。地球と同じく民間には秘匿されていたのかもしれないが、カゲートの国が行う情報規制では限度がある。人の手によって行われていれば綻びは生じるはずだ。唯一出来得る存在は──竜。世界の運営を司る竜であればそれも可能だろう。
「いえ、管理下にある老いた竜の発言ではカゲートに異世界からの漂着物はありません。異なる世界がある事は知っていたようですが。……カゲートだけではなく他の世界にも漂着物はありません。あくまでこの現象が起こるのは地球だけです。そして、なぜそんな事が起こるのか、それは私達にもわかっていません。有史以来──いいえ、恐らく有史以前からも同様の漂着現象は発生していたと推察されますが、原因は未だに解明されていないのです」
「……君達にもわからない事があるんだな」
「ええ。私達も万能ではないという事です。むしろ世界に振り回されっぱなしです」
やれやれです、と無感情に言うサクラは休むことなく指を動かし続ける。
「ふむ、ここまではまだ理解が追い付く。……それで異世界というのはどれだけあるんだ? 君に口ぶりからすると複数あるようだが」
「私達が認知する限りでは、五つの世界が確認されています。一つは集積世界『地球』。この世界の事です。二つ目は竜が統べる世界『竜界』。地球人と酷似した人類がいて、竜が存在する以外は地球における中世に近い世界です。貴方の出身世界ですので詳しい説明は不要ですね」
ブルーノは頷く。
「三つ目、自然満ちる世界『緑界』。自然を尊重した文明を持ち、獣と人間の中間に位置する獣人族が支配する世界です。文明レベルは低く、野性味が溢れる人達ですが、その分思想も単純なので貴方とは波長が合うかもしれませんね。また強力な動物が多く生息している事でも有名です。異能こそ持っていませんが、普通に生物として強いです。特にゴリラはヤバいです。地球のゴリラの千倍は強いです。ブルーノさんも気を付けた方がいいです」
嫌な思い出でもあるのか、サクラは眉をひそめながら単調な口調で言った。
「四つ目、異形達の世界『夜界』。単一種族が支配していない唯一の世界です。その多様性は異常の一言。吸血鬼を筆頭に化物や妖怪、幽霊の類いまでなんでもいます。この地球に伝承として語られていたり、創作上の存在とされている異形達の多くは、かつて夜界から漂着した者達が人々に語り継がれ、或いは物語として記録されたものだというのが定説になっています。……ただ種類は多いのですが、一種族あたりの個体数も少ないので、全体的にまとまりがなく、それぞれの種族だけで好き勝手に暮らしているという生物としては欠陥だらけの人達です。もっとも、死んでも死なない種族とかもいるので、そもそも生物として扱う方が間違っているのかもしれませんが」
そこまで言って一息吐く。キーボードを走る指も僅かな時間停止する。二秒間休憩してサクラは再び作業に戻った。
「最後に有翼人の世界『天界』。翼を持ち、優れた魔力を有する天族が住む世界です。神と呼ばれる上位者と共存していて、この地球よりも便利で平穏な世界とされています。魔法という物理法則に囚われない超常的な作用を齎す技術を発達させた彼等は、私達の活動には不可欠な協力者だと言えるでしょう。今搭乗しているこのゴリアテという機体も魔法の応用で動いていますし、軍事、医療、情報、あらゆる分野でこの地球に恩恵を与えている存在です。けれど忘れないでほしいのは、彼等もまた一個の生物であるという事です。私達と同じ感情や情緒を持った人類。超常の術を持っていても彼等自身は超常の存在ではないのを理解してください」
「ああ、了解した。……一つ質問なんだが、その天族の魔法ならば俺を──いや俺みたいな漂着物を元の世界に戻せるんじゃないのか?」
そう言ったブルーノを、サクラは初めて横目で見る。呆れたような、しかし感心したような顔でもあった。
「……それが出来ていればさっきの神龍も私達だけでどうにかできていましたよ。ですが、よい所に気付きました。これが最も重要なのですが──地球から他の世界へは移動できない、のです。いえ、それでは語弊がありますね。正確には──本来、“世界から世界への移動は不可能”なのです。世界を星であるとするなら、物理的に宇宙を渡り、他の星に行く事は理論上可能です。ですが、五つの世界は距離によって隔たれているのではありません。恐らく時空が異なる並行宇宙的分岐世界。元を同じとする惑星がそれぞれ別の可能性を辿った同列世界。それがこれら五つの世界だと言われています。異なる世界にも関わらず太陽や月などの観測できる天体が共通しているのがわかり易い証拠ですね。なので地球に漂着物が来る事自体がそもそもとしておかしな話なのです」
なるほど──とブルーノは頷く。話はまったく理解できなかったけれど、たぶん説明されてもよくわからないので頷いておく事にした。
「例え魔法でも時空を飛び越える奇跡は起こせません。どういう訳か異世界から地球へ瞬間的に世界が繋がる事はあっても、その逆はない。一方通行に漂着し、あらゆる世界の要素が集まる。それ故に地球は集積世界と呼ばれています。……ですので、地球人で実際に異世界を見た者はいないのです。さっき他の異世界について色々説明しましたが、それは漂着した各世界の人達から話を聞き、まとめられた情報に過ぎません。そして当然、各世界との交流もありません。希望を否定するようで心苦しいですが、地球に来てしまった時点で諦めてください。貴方はもう二度と元の世界には帰れません」
心苦しいと言いながら容赦のない言葉だった。けれど、そこまではっきり言われると諦めもつく。最初からあまり期待してなかったのもあり、ブルーノに落胆はなかった。
「とりあえずここまで話しておけばいいでしょう。何か質問はありますか?」
「いや……正直白状すると情報が多過ぎて質問を考える余裕がない」
「そうですか。では講義はここまでにしましょう」
ッターンと、キーボードのエンターキーを押したサクラは立ち上がる。書類作成は一通り終わったらしい。
「どうやらちょうどよく到着したようですね」
窓からの風景を見てゴリアテがエアポートに着いたのを知る。その様子を感じ取ったブルーノも立ち上がり、サクラの指示を待った。不意に目が合う。サクラはそのまま見つめ返し、ブルーノはそっと視線を逸らした。
「ブルーノさん」
「なんだ」
「私の顔に何かついてますか?」
「いいや。何もついていないが」
「そうですか。それならいいのですが」
会話が途切れてから間もなくしてゴリアテはエアポートに着陸した。
◆
広い一室の中心に豪華絢爛な作りの机と椅子。その背後には極上の絶景が見下ろせる一面ガラス張りの窓。それ以外には何もない空間。そこは無駄に広いという言葉を体現したかのような部屋だった。
その部屋にいるのは二人。椅子に深く座り、立て肘をついて眠るように瞳を閉じる金髪ツインテールの少女と、その横に立ち、瞳を閉じて微動だにしない銀髪ポニーテールの女性。二人とも上品なドレスを身に着け、その佇まいは両極端ながらに美しい。
不意に銀髪の女性が瞼を開け、真紅の瞳を覗かせる。
「局長。どうやら東京での一件が終息したようです」
「……知らせよ」
銀髪の発言に金髪が答えた。
「先行させた第十三室からの報告になります」
銀髪が宙に手をかざすと、半透明のディスプレイとコンソールが展開された。それらを操り、次々と空中に現われるディスプレイを金髪の机へと送り出す。ディスプレイ一つ一つにそれぞれ画像と文章が表示されており、渋谷での事件が簡略的にまとめられていた。
その全てを瞬時に読了した金髪は片目を閉じる。
「またも若き神が無駄に命を散らせたか。悲しき事だ」
龍が死んだ事を金髪は嘆く。何度も口にした言葉なのか、その声の感情は薄い。
「しかし、よもや十三室だけで事を成すとはのう。……助力したという竜殺しはよほど強力な竜の呪いを受けておるみたいじゃな」
「局長。お言葉ですが、第十三室の尽力も著しいかと。半端者の集まりと揶揄されているようですが、能力において他室と見劣りはしません」
「もちろん正当に評価しておるよ。特にリンディは良い。街への被害を考えてのフォローは、まさに天使の鑑よな」
「いえいえ。実質的に龍のトドメを刺したカリナこそ真に評価されるべきでございましょう」
「フハハ、ぬかしおる。もうよい。おぬしと推しメン談義をするつもりなど毛頭ないわ。……我が言いたいのはじゃな、末端ながら他室と見劣りせぬその十三室でも、単独ではあの龍神を鎮める事は絶対に出来なかったじゃろうという事じゃ。そもそも精鋭を招集する時間を稼ぐ為に先遣隊として出てもらった訳じゃしな。故にその“絶対”を覆した竜殺しをこそ注目すべきよ。この男、雑多な竜を殺したのではない。竜界の古き竜を殺めていると見た」
蒼の瞳に光を蓄える金髪は注意深く竜殺しの資料を見つめながら言った。
「局長はその竜殺しに興味がおありで?」
「そうじゃな。興味は当然あるが……、それよりもやや心配の方が上回るかの。強い力はいるだけで良くも悪くも周囲に影響を与える。竜の呪いを受けし竜殺しともなれば尚更じゃ。それが良い方向に傾くと思えん」
「では秘密裏に処断致しましょうか?」
「ならんよ。──今はまだ、な」
金髪は自身のデスクに広げられた情報を一掃し、再び瞳を閉じる。
「ともあれ偉業を成した戦士達の帰還を待とう。その内、ここにも竜殺しを連れて顔を出すじゃろうし、我はそれまで寝る」
「はい、お休みなさいませ」
そうして銀髪もまた瞳を閉じる。
最初に戻った。無駄に広い部屋で、その部屋の主達は静止する。まるで時が止まったかのように。




