失墜
龍が支配する空から落ちる。再び上昇しようとしても、その頭を鉛玉に抑え付けられる。龍を低空に縛り付けるビルの谷はまるで檻のようだった。
「よくやった室長! これでオレも活躍できる!」
外壁を蜘蛛のように走るカズトは、サクラの手腕を褒めながら手の届く位置に降りてきた龍へと飛び掛かる。それと同時に懐から一本の黒い針を取り出し、それに微量の魔力を流し込む事で縮小の魔法を解く。針は瞬時に膨張し、槍としての姿を取り戻した。それが彼の武器。市販されているマジックアイテム『でっかくなっちゃったスピア』。年末の忘年会シーズンに大人気の一品である。
その黒槍を龍へと突き刺す。渾身の一突きは鱗に阻まれ、表面を僅かに傷付けただけに終わった。大量生産されている商品で龍に傷を付けられたのはさりげなくすごい事だったが、それが龍の逆鱗に触れた。実際、不運にもカズトが傷付けたのは唯一逆向きに生えた鱗であった。
追い詰められた龍は怒りを露わにする。雄々しく生える角が青白い輝きを強め、かつてない雷撃の予兆が示された。
「ヤバ──」
カズトの第六感が命の危険を訴える。すぐさま龍から離れようとしたが間に合わない。今にも雷撃が放たれようとした時、片翼の天使──リンディが彼を抱きかかえ、離脱した。
「光よ集え!」
そしてカズトと自身の周囲に魔法障壁を展開し、間もなく放たれた雷の爆発を間一髪のところで防ぎ切る。間近で受けていれば間違いなく死んでいた。その事を二人共理解するが故に冷や汗が止まらなかった。
「バッ、バカズト! 無暗に突っ込むんじゃないわよ! 死んだらどうすんの!」
「ごめん! 今のは全面的にオレが悪かった! 助けてくれてマジでありがとう!」
「うっさい、バカ! 死ね!」
「ざけんな! オレは生きるぞ! 生きてレティと添い遂げる!」
「アンタみたいなバカに妹は絶対やらないわ! いっぺん死んでバカ治してから出直してきなさい!」
二人は抱き合いながら互いに生きているのを喜ぶように喧嘩する。そんな二人の隣に黒い羽を翻して吸血鬼カリナがやってくる。
「幼馴染の微笑ましい喧嘩はほどほどにしておいた方がいいよ。これからは常にあの雷撃が龍を守る。遊んでいたら一瞬で丸焦げだ」
忌々しそうな顔でカリナは言う。少女が如き可憐さはそこにはなかった。
「おいカリナ、お前吸血鬼なんだから一回や二回くらい死んでもなんとかなるんだろ? こういう時こそ夜界特有の不死性の見せ場だぜ?」
「確かにボク等は一度や二度死んだくらいじゃ死なないし、格好良いところも見せてあげたいけど、残念。あれは例外だ。あの龍が操る雷は聖なるもの。浄化の光に超威力の攻撃判定を付けたような反則だ。ボク等と致命的に相性が悪い。まともに受けたら一発で成仏しちゃうよ」
「やっぱり、あの雷撃をどうにかしないと防戦一方なのね」
「防戦一方というか一方的に狩られちゃうんじゃないかな──おわっと!?」
喋っているカリナ目掛けて飛んできた雷撃を寸前で回避する。続いてカズトを抱えるリンディを狙って雷撃が走る。飛行できる二人は二手に分かれ、雷撃から逃げ出した。その間にもインカムで会話する。
「じゃあカリナくん、どうすればいいのよ!」
「あの角だ。あれが雷を生み出し、操っている生体機関の中枢。角を潰せば奴は最後の優位性を失う」
「よっしゃ! お前の出番だぜ、リン! ド派手な神聖魔法でドカンとやっちまえ!」
「どんだけバカなのよ、アンタ。そりゃアタシは攻撃、回復、補助となんでもこなせるスーパーウィザードだけど相手は神様よ? 天界における上位者なのよ? 神聖な存在に神聖魔法をぶつけた場合、どちらの神秘が上かの勝負になる。天使と神様とじゃ神格の差で超不利。……無理をすればあの雷撃と相殺くらいは出来るでしょうけど、それ以上は無理ね。角を折るには至らないわ」
天界に属した天族の血筋だからこそ、あの龍の威光を理解する。何気なく放っている雷撃は本来、高位天使級の術者が入念な準備をした上でどうにか発動できるほど高度な魔法。龍のそれは魔法という術の域を逸脱し、身体に宿った機能──『権能』に昇華している。一介の天使がどうにかできる相手ではない。
「チッ! やっぱ元からオレ等だけじゃどうにもなんねぇ相手だったってことかよ!」
「アンタは特に何もやってないけどね」──とリンディは小声で呟く。
「フフ、カズトの全く以て言う通り。ボク等だけではどうにもならない──が、今はボク等だけでないのを忘れてやいないかい?」
その声に応えるようにビルの谷間を縫って竜殺しは現れる。狙いは真っ直ぐ龍を目指し、与えられた剣で腹に斬りかかった。刃はガリガリと鱗を削り、やがてその肉へ入り込む。一閃。通り過ぎる一陣の風となって龍の腹を切り裂いた。
「浅い。剣が軽すぎるせいだ」
それだけの働きをしながらも文句を零す。やはり剣の性能に不満がある様子だった。そんな余裕を見せたが故に以前よりも激しさを増した雷撃に気付かないブルーノは、先程と同じように雷撃を避けようともせず直撃した。道路に転がった彼はそれでも生きていた。痛がりながらもすぐさま立ち上がり、ビルの壁を駆け上がる。
「さっきよりもビリビリするな。龍め、怒っているのか?」
街をこんなにしておいて怒りたいのは俺の方だぞ、とブルーノは再び斬りかかる。見事に肉を切り裂いて、そしてまた雷撃に落とされる。立ち上がり、斬りかかる。雷撃に落とされる。その繰り返しだった。龍の巨体を二メートル程度の剣でいくら斬ろうと致命傷にはならないが、それはこちらも同じ事。広い空へ行く事を封じられた龍はもう自由には動けない。柔軟に対応できるのは雷撃でのみ。素早いブルーノには雷撃しか当たらないと龍もわかっていた。だが雷撃の効果は大きくない。同等の竜の力を持つブルーノにだけは相性が悪かった。
ブルーノがしているのは消耗戦。互いに効果が薄い攻撃でジリジリと削り合い、余力を残した方が勝つ。そういう戦い。そして、それならば自分が勝つと判断する。根性論が通用する勝負ならば負けん──と、その眼は語っていた。
そんな光景を上空から眺めていたカリナは笑う。
「ククッ。あそこまで猪武者だと呆れを通り越して、いっそ見事だね。そしてやはり竜の呪いによって堅牢な身体を得た竜殺しならば、あの雷撃にも耐えうるか。あのままでもいずれ決着はつきそうだけれど、このまま傍観して不測の事態が起きても困る。なにより面白くない。……よし、カズト! キミは下に降りて、あの竜殺しに角を狙うようにと教えてあげて。その方が早くケリがつく」
「マジかよ!? あんな奴等の近くになんざいきたくねぇよ!」
「大丈夫。ボクとお姉さんで龍の注意を引くから、その間に竜殺しに作戦を伝達。その後は竜殺しが角を折るのを指咥えて見てればいいよ。楽な仕事だろ、メッセンジャーボーイ」
「ざけんな! オレはお前の小間使いじゃ──」
「──無駄口はいいからさっさと行く」
抱えられていたリンディにその手を放され、カズトは文句を言いながら落下した。そして真下にあった建物の屋上に着地する。屈強な獣人が住まう世界──緑界シンラの血を引くカズトにとって高所からの着地など造作もなかった。
話の通り上の二人は龍の陽動へと向かう。それを見て、オレもやる事やんねぇとな、と気合を入れた。
持ち前の敏速性を発揮し、あっという間にブルーノの下へと駆け寄る。丁度ブルーノは雷撃を受け、吹っ飛ばされた直後だった。上に乗っかっていた瓦礫をどけてやると、ブルーノはその仏頂面をカズトに向ける。
「君は……あれか、サクラの仲間か。ありがとう、助かった」
それだけを言って龍に向かっていこうとしたが、すんでのところでカズトが止めた。
「待て待て待て!」
「なんだ。心配しなくても龍は俺が殺すぞ」
「いや、そうだろうけど、そうじゃなくてだな。一応万全にしたいっつーか、万が一があったらいけねぇじゃん? だからこっちの作戦に乗ってほしい。一人よりも四人でやった方がもっと楽だし確実だ。そう思うだろ?」
ブルーノは少し考えて、龍の方に向けていた足を戻す。確かに一人で戦うよりも協力して戦った方が良いに決まっている。カゲートにいた頃からいつも一人で、ぼっちな戦いを強いられ続けてきたブルーノにはなかった発想だった。
「共に戦う仲間か。ふふふ」
今までにない経験に変な笑いが零れる。カズトはその笑いを聞いて後ろに一歩下がった。
「了解した。君の意見に従おう」
「お、おう。助かるぜ」
ブルーノの奇行におっかなびっくりしながら作戦の内容を話す。もっとも作戦と呼べるものではない。注意を引き付けるから隙を見て角を折る。そんなシンプルな指示だ。ブルーノもすぐに理解できた。
上では既にカリナとリンディが撹乱を開始している。カリナは指先に自らの血を垂らし、それを血の刃として放つ。リンディは光の矢を複数周囲に展開し、次々と射出する。万全の龍だったならばどちらも通用しない技や魔法だったが、これまでの戦いで傷付き、露出した傷口を狙う事で二人はダメージを与えていく。そうなれば龍も無視できない。自身よりも上にいる二人へ雷撃を放とうと空を睨む。地上からは視線を外し、空を仰ぐ。
男達はその時を狙った。
龍の眼前に影が躍り出る。灰色の髪を逆立てた獣の目をした男。屈強な獣人と貧弱な地球人の間に生まれた半獣の子。名をカズト・グレイトフル。緑界シンラにその者ありと言わしめた偉大な戦士『灰狼』を父に持ってしまった劣等感まみれの十七歳。
「──全力だ、受けてみな」
彼は純粋な獣人に比べて強大な力はない。肉体も頑強ではない。だが、その筋肉は素晴らしいほどにしなやかだ。よく曲がる。よく伸びる。よくしなる。そのコンプレックスを乗せた一投。握るのは黒槍。込めるは全力。身体は弓のようにたわみ、鋭利な眼光はただ一点を指し示す。そうして自身のポテンシャル全てを用いた魂の一撃が放たれる。
槍は音もなく姿もなく直線に加速する。龍の瞳を狙った一撃は、角膜を破り、弾性の強い眼球を貫き、最奥に隠れた核たる結晶を砕く。余分なものは傷付けず、致命的な箇所だけを射抜く、まさしくそれは針の一刺しだった。
突然視界の半分を奪われ、龍は悲鳴を上げる。混乱した龍は無作為に雷撃を放つ。上下左右前後。全てに対して怒りをぶつける。けれど狙わぬ攻撃が命中する事はない。
「今だ! 竜殺し!」
カズトの合図よりも先にブルーノは動く。カズトが潰した瞳側の死角から忍び寄り、二本の角の内、一本の根元へと剣を突き立てる。発せられる雷撃の元を断とうとする以上、剣を通して伝わる電流は先程までの比ではない。龍もまた必死になり、その出力は限界を超えた。
「────ッッッ!!」
攻撃している龍自身すら感電するほどの雷がブルーノを襲う。呼吸は止まった。目は光に覆われて何も見えない。耳も鼻も利かない。痛覚すら消し飛んだ。それでも身体は動いた。まだ動くのなら、動かなければならない。それが生命というものだ。
ブルーノは徐々にとろけていく刀身で根元から角を切り落とす。まずは一本。剣はもう使い物にならないので投げ捨てる。二本目には組み付き、力任せにへし折ろうとした。だが硬い。というより太い。大樹のような角であるが故に腕が回らず、満足に力が込められなかった。──だったらと、拳を突き立て、角の内部へと強引にねじり込んだ。拳は表面を砕き、神経が巡る中身に手が届く。硬い表面に比べて、中はいくらか柔らかい。これならいける。そう思ったブルーノは角の中身をほじくり、掻き出し始める。
一角を折られ、断末魔に近い声を上げる龍が更に一段と苦しんだ。生きたまま神経を掴まれ、千切られ、棄てられる。その苦痛は神たる龍であっても耐え難い。しかし、竜殺しは構わない。角を折る為に中身からボロボロにしていく。それは虫歯に蝕まれた歯の如くだった。
時間はあまり掛からなかった。一分もせずに龍の角は半分まで抉り取られていた。そうなってしまえば終わり。木こりだった時と同じ所作でブルーノは角を蹴る。角は軋みをあげ、自らの重さに耐え切れずに倒壊した。
龍は絞り出すように断末魔を発すると、最後の力でブルーノを振り払い、天へと昇る。折れた角から血を吹き出しながら、生き逃れようと天を目指す。上にあがった龍に銃弾が浴びせられる。サクラが撃つガトリングガンなど、もはや意に介さない。鱗が砕けようと、肉が飛び散ろうと構わない。一刻も早く天に帰る。それだけが龍に残された活路だった。身に纏う雷電は既になく、神の威光は地に落ちた。大半の龍鱗が剥がれ落ちたその姿は単なる大蛇と変わらない。そんな哀れな神の前に“夜”が訪れる。
「クハハッ! 上出来だ、竜殺し! 邪魔な雷装はこれで無くなった! さあ、神の血がどんなものか味わわせてもらおうか!」
進路に待ち伏せていた銀髪の鬼──カリナは、龍の顔に張り付くと鱗が剥がれた眉間に手刀を突き入れる。手首まで突き刺さり、血が吹き出た。その血から龍の生命力を吸い取る。彼は華麗なる血統──吸血鬼に属する者。牙で噛まずともよい。口で啜らずともよい。血を吸うのではなく、血から全てを吸い出すのが吸血鬼。その行為は、ただ両者が血で繋がっていれば事足りる。
カリナは龍の血を吟味する。神。至高の存在。天界の上位者。その味はどれほど芳醇なのかと、吸血鬼ならば試さずにはいられない。故に吸う。故に味わう。故に楽しむ。──龍はやがて飛行する力すら吸い尽くされた。
「うーん……六十五点かな。やっぱり清純な処女の血が一番おいしいや」
吸血前の興奮など忘れ去り、龍の血を飽きるほど堪能したカリナは無慈悲な採点と共に腕を抜く。それと同時に龍は落ちていく。天を目前にしながら、到達できずに落ちていく。全長六百メートルの巨体が、千五百メートルの高高度から落ちていく。地上にそのまま落ちれば大惨事。そうなる事をカリナは全く考慮していなかった。
「いっけね、ちょっと吸い過ぎちゃったか。──お姉さん、フォローお願い!」
「もう! カリナくんは帰ったら反省文だからね!」
リンディが空にあがる。落ちてくる龍を見上げながら空中に印を結ぶ。片方しかない純白の翼が輝きを増し、濃密な魔力が周囲に満ちる。天族の翼は心臓に次ぐ第二の魔力炉。それ故に天族は豊富な魔力を有し、魔法という術を発達させた。魔法とは万能の法。魔力を糧にあらゆる奇跡を具現する。
片翼の天使は半端者。欠けた翼の分、健常な天族よりも少ない魔力量を強いられる。しかし、当然例外も存在する。例外とは彼女。リンディ・ベルは片翼でありながら高位天使すら上回る大天使に最も近い才女。それも神に愛された施しの天使なれば──
「光よ集え。奇跡をここに」
祈りこそ空想の原点。願いこそ幻想の根源。魔力はそれらを結び、集いし光が奇跡を描く。そうして魔法は完成する。落ちゆく龍を淡い光が包み込み、落下速度は急激に遅くなった。輝く雲。それに乗った龍は何一つ破壊する事なく緩やかに地上へ着陸した。
「神よ。せめてその魂は天へ帰らん事を」
片翼の天使は死した神に祈りを捧げる。龍は動かない。輝く雲に揺られている段階で既に動かなくなっていた。終わった。嵐は止んだ。──誰もがそう思った。
突如、開かれたまま色を失っていた龍の眼に光が灯る。それは怒り。身体は死んだ。だが、その心は──その心臓はまだ怒りを滾らせる。意思のない感情の暴走。龍の怒りは世界に向けられ、この地を終わらせんが為に駆け巡る。飛行する力はない。小さき四肢で大地を掴み、起き上がり、その怒りを吐き出──
「──果てろ、龍よ」
その怒りと共に心臓が砕かれた。竜殺し──ブルーノの腕が龍の胸を突き刺していた。けれど動き出すと想定しての行動ではない。死んでいないと知っていたのでもない。例え動かないままだろうと。例え死んでいたとしても。彼はこうした。龍がどの運命を辿ろうと、龍が手の届く範囲に戻ってきた瞬間、心臓を潰す。そう考え、実際にそうした。情けや容赦、ましてや憐れみなど人と竜の間に必要ない。故に終わらせるにはこれしかない。竜を殺すとはそういう事だ。竜殺しとはそういうものだ。
龍は今度こそ死ぬ。心も、その魂さえも。
明確な終わりを告げるように暗雲が消え去り、雲間から眩しいほどの夕暮れが広がっていった。




