Scene-7~いくつになっても恋をしたい/優介と優里~
『いくつになっても恋をしたい』のその後の物語。
僕と優里は同じ日に産まれた。同じ産婦人科医院で同じ時間に。優里には三つ年上の姉が居る。同じマンションに住んでいた僕たちはいつも一緒に遊んでいた。優里も僕も彼女の名前の一文字を貰った。
大人になった今でも、僕達は姉弟の様に付き合っている。
「優介!今日は朝まで付き合いなよ」
仕事帰りの電車の中で偶然、彼女に出くわした。彼女は父親が経営しているレストランを手伝っている。明日は店の定休日なのだ。
「優香ちゃんは明日、休みだからいいけど、僕は仕事だからね」
「いつも、そう言って逃げるんだから。今日は優里が帰って来てるんだよ」
「優里が?」
僕は高校を卒業して就職したのだけれど、優里は北海道の農大に進学した。その優里が久しぶりに帰って来ていると言うのだ。
「なっ!付き合わないわけにはいかないだろう?」
家に帰ると、僕はシャワーを浴びた。すぐに母さんが着替えを持って来てくれた。
「今日はどうだったの?」
「ん?棟上げで屋根の上から餅を撒いた」
「へー!今時そんなことやる人いるんだね」
僕は工業高校の建築家を卒業して工務店に就職した。工務店と言えば聞こえはいいが、要は大工だ。父さんが設計の仕事をしている。僕も小さいころは同じ仕事をしたいと思っていたのだけれど、中学生くらいの時から、自分の手で作ってみたいと思い始めた。中学を卒業したら父さんの知り合いの棟梁のところに弟子入りしようと思っていた。父さんは賛成してくれたけれど、母さんが高校くらいは出て欲しいと反対した。僕は母さんの願いを聞き入れて高校へ進学した。
「優里が帰ってるんだって」
「うん。さっき見かけたわよ。ちょっと見ない間にすごくキレイになっていたわよ」
「ふーん」
僕はあまり興味がないと言わんばかりの返事をした。
「優香ちゃんに三人で飲もうって誘われたから、出かけるね」
「えー!晩御飯は?」
「要らない」
「せっかく、カレーにしたのに」
僕は母さんのカレーが大好きだ。
「ホント?じゃあ、1杯だけ食べていくよ」
「まあ、嬉しいわ。じゃあ、今、よそっていくね」
着替えてダイニングに行くと、カレーとワラジほど大きなトンカツ、サラダの小皿が用意してあった。カレーは特盛だった。我が家ではこれが普通なのだ。母さんが父さんと同じ会社に勤めていた頃、近くにあった定食屋のカツカレーがこんな感じだったのだとよく聞かされた。僕はそれをペロッと平らげた。
エレベーターで1階に下りると、父さんに会った。
「おう!出かけるのか?今日はどうだった?」
「母さんから聞いて。優里が帰って来てるから、ちょっと出かけてくる」
「優里ちゃんが?そりゃあ、大変だ。早く行って来い。今日は遅くなるな?」
「多分ね」
父さんも母さんも僕が帰ると、必ず仕事のことを聞く。心配してくれているのかどうかは判らないけれど、気にかけてくれているのは嬉しいと思う。僕はエレベーターに乗り込む父さんの後姿をちらっと見て、駆けだした。
店に着いたら優香ちゃんと優里は既に飲んでいた。
「遅いぞ!」
そう言ってビールのジョッキを掲げたのは優香ちゃんだった。優里は少し遠慮気味に手を振っている。
「悪い!母さんにつかまっちゃって、カレー食って来たから」
「マジ?優介んちのカレーったら、すごい大盛りだろう?まさか、それを全部食って来たのか」
優香ちゃんが目を丸くして驚いている。ウチで何度も食べているからなおさらだと思う。
「普通だよ。でも、ちょっと腹がきついよ」
「相変わらず、愛されてるわね」
優里は両手で頬杖をついて、ニコニコ微笑みながら言う。
「仕方ないよ。優介は一人っ子だからな」
そう。僕は一人っ子だ。母さんは二人目が欲しくて頑張ったらしいけれど、結局、僕の弟か妹はできなかったのだそうだ。
「取り敢えず、座ったら」
優里が言う。こういうところはよく気が付く。優香ちゃんとは大違いだ。小さいころはとても引っ込み思案でおとなしい子だったのだと、僕の両親は話していたけれど、僕には到底信じられない。
「マスター!生二つ」
優香ちゃんは残り少なくなったビールを飲み干すと、僕の分も一緒に生ビールを注文した。
「優里は相変わらず、ウーロン茶か?」
僕が聞くと優里は自分のグラスを僕に差し出した。僕はそれを一口飲んだ。
「あれっ?」
「へへへ、私も飲めるようになったんだよ」
得意げな表情で僕を見る優里がとても可愛い。さっき、母さんが言っていた通り、ちょっと見ない間にずいぶんキレイになったと思う。
「へい!お待ち」
マスターがジョッキを二つと、僕の分のお通しを持ってきた。
「じゃあ、乾杯!」
三人でそう叫んで、ジョッキを合わせた。僕は一気に半分まで飲んだ。
「おい、あんまり張り切ると腹がパンクするぞ」
優香ちゃんがそう言うと、優里も笑って同調する。
「ところで、優くん、大工さんはどんな感じ?」
優里は僕のことを母さんと同じように“優くん”と呼ぶ。優里にそう呼ばれるのは少し、見下されているようにも感じるけれど、いつも一緒に居て、母さんも優里の母さんもそう呼んでいたのだから、優里も自然にそう呼ぶようになったのは仕方がない。
逆に、優香ちゃんが僕のことを“優介”と呼ぶのは、父さんが僕のことをそう呼ぶからだ。優香ちゃんは昔から僕の父さんになついていた。
優香たちの父さんはイタリア料理のレストランを経営している。普段でも、家に居ることが少なく、休日は店を休めないので、僕の父さんが車で色んな所に遊びに連れて行っていた。もちろん、母さんたちも一緒だったのだけれど、優香ちゃんは父さんのことを自分の父さんみたいに思っていたのかもしれない。
「まだまだ修行中ですよ。そっちはどう?北海道」
「楽しいわよ。私ね、大学を卒業したら、向こうの牧場で働こうかと思っているの」
「えー!」
二人同時に声を上げた。驚いた。優香ちゃんも驚いている。
「まさか、向こうで男でもできたのか?」
優香ちゃんもほんの冗談のつもりで聞いたのだと思う。
「うん」
優里は目を伏せながら、小さな声でそう答えた。確かに“うん”と答えた。これには更に驚いた。
「えー!マジか?」
優香ちゃんの驚きは一瞬で消え去り、次の瞬間から優里を褒め始めた。
「よしよし!よくやった。優里にしてみれば上出来だ。私は優里には一、生男なんて出来ないんじゃないかと心配してたんだ」
「出来なくてもいいよ。僕が居るんだから…」
そう言って、僕は“しまった”と思った。案の定、二人が僕を好奇の目で見ている。
「優介、お前、優里に惚れてたのか?」
「優君、そうなの?」
そんな風に問い詰められても、今更、どう答えればいいと言うんだ。僕はジョッキに残っていたビールを一気に飲み干した。こうなったら、もう、ヤケクソだ。
「そうだよ。産まれた時から優里が好きだったさ」
「産まれた時から…」
「そうだよ!産まれた時からだ」
「バカじゃないの?産まれた時なんか判るわけがないだろう」
「真面目さ!もっと言うなら、産まれる前から優里と結婚すると決めてた。同じ日の同じ時間に同じ場所で産まれたんだ。こんなに運命的なことってあるか?」
それを聞いた優香ちゃんは腹を抱えて笑い出した。
「私もそう思ってたよ…」
優里がそう言うと、笑っていた優香ちゃんが真顔に戻った。
「おい、優里、よく考えて言うんだぞ。そうじゃないと、優介が傷つくことになるからな」
確かにそうだ。僕は既に振られたのに等しい。なのに、僕とのことを“運命”だと言うのか…。大雑把なようだけれど、こういうところは優香ちゃんは人の気持ちがよく解っている。
「私ね、優くんは優香ちゃんのことが好きなんだと思ってたの」
「ハアー!有り得ないだろう」
「そんなことないよ。子供の時からそう。優香ちゃんが男子からいじめられていたらすぐに助けに行ったでしょう。かなうわけのない上級生に向かって。私のことを助けてくれたことなんて一度もないもの」
「違うって、優里。優里はいつも優香ちゃんが守ってくれていたじゃないか。だから優里を守ってくれる優香ちゃんは僕が守らなきゃって…」
なんてこった!とんだ誤解をされていたみたいだ。それで、優里は北海道なんかに行っちまったのか…。
「だけど、もう遅いよな。優里には北海道で男が出来ちゃったんだし、向こうの牧場に嫁いじゃうんだろう?」
優里の顔色をうかがう様に優香ちゃんが言った。
「遅くは無いのよ。それを確かめたくて帰って来たんだもの」
「えっ!って、ことは?」
僕は期待を込めて優里の顔を見つめる。
「私、卒業したら、優くんのお嫁さんになる!」
「ちょっと待て!向こうの男はどうするんだ?」
優香ちゃんは珍しく、少しパニックになっているようだ。
「ウソよ。そんなのみんなウソよ」
あっけらかんと言い切った優里は舌を出しておどけて見せたりしている。こっちの気持ちも知らないで。いや、知らなかったのは僕の方か。
「もう、どうでもいいや。とにかく、よかったじゃないか。優介。もう一回乾杯だ。マスター!生三つ!」
それから何がどうなったのかを僕は覚えていない。次の日は二日酔いで仕事を休んだ。店が定休日で休みだった優香ちゃんがずっとそばで、お笑いのDVDを見ながら笑っていたのは覚えている。優里はもう、そこには居なかった。あれは夢だったのだろうか…。
夕方になって、僕はようやく正気に戻った。なぜか僕の家で優香ちゃんがカツカレーを食べていた。
「優里は?」
「今朝、北海道に帰ったよ」
優香ちゃんはぶっきらぼうにそう言いながら、僕に手紙を渡してくれた。差出人は優里だった。
『優くんの気持ちが確かめられてよかった。クリスマスには、また帰って来るからね。プレゼントは期待していていいよね。給料の三か月分を』
やっぱり夢じゃなかった。僕は手紙を優香ちゃんに見せて抱きついた。
「優香ちゃん、やったよ!」
「よし、よし」
優香ちゃんはそう言って、僕の頭を撫でてくれた。
僕は嬉しくて、嬉しくて、もう二度と二日酔いなんかで仕事は休まないと心に誓った。そして、思った。優里が望んでいるクリスマスプレゼントは僕の安い給料の三か月分で大丈夫なのだろうかと…。