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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

幽霊少女

作者: 青白



「……ああ、どうも初めまして」


 あっけに取られたような顔で、彼女はそんな間の抜けた挨拶をしてきた。

 私はたった今、マンションの自分の部屋に帰ってきたところだった。そう、ここは私の家で、私は一人暮らしのはずだ。それなのに、なぜ見知らぬ少女が平然とここにいるのだろう。開け放った扉のドアノブから手を離さずに、私は彼女を観察する。

 白いセーラー服を着ていた。おそらく学校の制服だろう。髪は肩くらいまでの長さで、前の方は眉毛のあたりで揃えられている。中学生か高校生くらいだろうか。ひょっとしたら家出でもしてきたのかもしれない。


「あなたどこから入ったの? 鍵を掛けてたはずなんだけど」


 問いかけて、すぐに気がついた。立っている彼女の体から、その後ろにある本棚がぼんやりと見えている。透けているのだ。極めつけは、彼女が言った台詞だった。


「……やっぱりあなた、私が見えているんですね」


 案の定、彼女はどうやら幽霊のようだった。




「あ、言っておきますけど、私ここで自殺したとかじゃないですから。そこは安心してください」


 へらへらと幽霊少女は言う。私たちは背の低いテーブルを挟んで、向かい合って座っていた。


「私、浮遊霊なんです。さすらいの旅人みたいな?」

「そのさすらいの旅人が、何で私の部屋に来たわけ」

「偶然ですよ偶然。何となく入ってみただけで。でもまさか、私が見える人に出会えるとは思わなかったなぁ」


 彼女は足を伸ばしてすっかりくつろいだポーズをとる。体さえ透けていなければ、幽霊であることを忘れてしまいそうだった。


「ていうか、私のこと怖くないんですか?」


 今更そんなことを聞かれて、私は呆れてしまう。


「別に。見慣れているから、幽霊は」


 わりかし、それらしいものは小さい頃から見てきた。今では怖がるのも面倒な始末だ。


「へえ。霊感があるんですねぇ」


 言いながら彼女は私のことをじっと見つめてくる。


「あなたは何してる人なんですか? 私とあんまり年が離れてないように見えるんですけど」

「大学生。今年入学で一年生。ひと月前からここで一人暮らし」


 彼女はふんふん頷いていたが、やがて思いついたように手のひらを叩いた。


「なるほど。一人暮らしなら、しばらく私がここにいても問題はないですよね!」

「はあ? つまり居座るつもりってこと?」

「まあ、いいじゃないですか。見たところあなた、まだ大学で友達も出来ていなそうですし!」


 爽やかにカチンと来ることを言われたが、言い返せなかった。図星だったからだ。


「私、北条早紀ほうじょう さきって言います。あなたは?」

「……塚原りさ」

「ではよろしくです、りささん!」


 こうして、ほとんど押し切られるよう形で、私と幽霊少女の関係が始まったのだった。




 隣を歩いている早紀は、眠たそうに大きな欠伸をした。大学を見に行きたいとか言って付いてきた癖に、講義の時間はほとんど横で眠りこけていたのだ。それに釣られて眠りそうになりながらも、何とか日程を終えて今帰っている最中だった。


「何というか……大学の授業はとっても悠長で退屈ですねぇ……」

「まあ、一回の講義が長いからね。ていうか、外ではあんまり話しかけない約束でしょ? 人に見られたら、私が一人で喋ってる感じになっちゃうんだけど」

「いいじゃないですか。元から友達いないんだし」

「あんたね……これでもこっち出てくる前は、それなりに友達いたっての」

「へえ。りささんって、高校はここじゃなかったんですか」

「高校までは地方に住んでた。実家もそっち」


 そういえば、早紀はどうなのだろうと思った。今まですっかり聞くのを忘れていたが、私は彼女が中学生か高校生かもわからないのだ。


「……あんたってさ、中学生なの? 高校生なの?」

「へ? ぴちぴちの高一でしたけど……子供っぽく見えました?」

「そうなんだ。まあ、子供っぽいと言えば子供っぽいけどね」

「一言余計です! ……まあ、高校生活も、入学してちょっとの間でしたしね」


 そう言った早紀の顔に、一瞬暗い陰が差したように見えた。だけど彼女はすぐにそれを笑顔で隠してしまう。


「さあ、とっとと帰りましょう。りささんが変人だと噂になってしまう前に」


 ずんずんと前を歩く彼女の背中を見て、私は何とも言えない気持ちになる。

 ……高校に入学してから、何かあったのだろうか。気にはなったが、聞くに聞けなかった。

 きっと彼女にも、色々と事情があるのだろう。

 その点では、私も同じようなものだと言えるかもしれない。




 それから一緒に過ごす中で、私は少しずつ早紀のことを知っていった。


「あっ、人参はしっかり皮を剥いて、ジャガイモは一口サイズに切ってください。鍋で煮込むときは、しっかり灰汁を取らないとだめですよ!」


 彼女は料理が得意なようで、あまりそういったことに慣れていない私に度々アドバイスしてくれた。「お母さんが作るのを、よく手伝っていたんです」彼女は恥ずかしげにそう話した。


「このアーティスト、私好きなんです。特にこのアルバムのこの曲! 激しい感じなんですけど、その中に透明感もあって……」


 彼女は自分がよく聞いていた音楽を私に教えてくれた。元々、私も音楽は聴く方だし、彼女の紹介する曲は不思議なほど私の好みでもあった。彼女は流行の曲よりも、あくまで自分の好みの方を優先するタイプらしい。私もそうだ。


「……りささんは、よくこんな難解な単語が並ぶ本が読めますね。私、さっぱり頭に入ってこないんですけど」


 逆に彼女は、小説などの活字だけの本を読むのは苦手みたいだった。一応読んでいる私に付き合って後ろからのぞき込んでいるのだけれど、しばらくして振り返ると寝息を立てている。やっぱり子供だなぁと私は微笑ましく思った。

 一日ごとに早紀のことがわかっていく中で、私は自分の中に生まれつつある彼女への想いに気づいた。

 彼女と一緒にいると、どことなく落ち着かなくなるような、くすぐったくなるような、そんな気持ち。

 自覚したときには、もうそれを打ち消すこともできないくらい大きくなってしまっていた。


 ……やっぱりわたしは、懲りない性格らしい。




「……あの、りささん」


 それは、雨の日の憂鬱な日曜日だった。窓の外を大粒の雨が滴るように落ちていき、絶え間なく水の音を立てている。こんな調子ではどこへも出かけられないから、私たちは家でくつろいでいたのだ。


「ん? どうかした?」


 本から顔を上げて早紀を見る。彼女は何か言いたげだったが、それを口にするのも戸惑っているように見えた。一体どうしたのだろう。

 やがて彼女はきゅっと口元を引き締めて、言った。


「りささんに、私のことを知ってほしいんです」


 そうして、ぽつりぽつりと語り始める。

 中学を卒業して、そのまま近くの高校に入学したこと。同じ中学の友達も多くて、それなりに楽しい学校生活が送れていたこと。

 だけど……と彼女は口ごもった。


「高校生になってから、一ヶ月くらい経った時でした。朝、私はいつも通り学校に向かっていたんです。本当に何も変わったことのない日でした。……ですが、途中にある横断歩道を渡っていたときに……車が走ってきたんです」


 信号は確かに青だった。なのに向かってくる車はまるでそんなものが見えていないとでもいうようにすごいスピードで迫ってきた。そこで記憶が途切れて、気づいたら空中に浮かんでいたらしい。


「びっくりしましたね。だって自分の体が、雲みたいにふわふわ浮いてるんですよ? ……それでわかりました。私……死んじゃったんだって」


 真っ先に早紀は自分の家に向かった。両親は一体どうしているだろう。帰らなければ。その一心で。

 しかし、彼女の家はものけの空になっていた。見慣れたリビングが、よく料理を手伝ったキッチンが、好きなもので溢れていた自分の部屋が、まるで最初から無かったかのように跡形もなくなっていた。両親は引っ越してしまったのだろう。行き先さえも、早紀にはわからなかった。


「……それからずっと、私はこの街をふらふらしてました。誰かの家に忍び込んだりもしたけれど、気づいてくれる人は誰もいませんでした。――つい、最近までは」


 彼女は私を見る。その瞳は、薄く潤んでいるようにも見えた。


「だからりささん。あなたが私を見つけてくれた、記念すべき第一号なのです。誇りに思ってくれて、いいですよ」


 そう言って彼女は笑う。明らかに無理をしていた。そんな笑顔がいたたまれなくて、見ていられなくて、私は無意識のうちに手を伸ばしていた。

 自分でも驚いた。当たり前のように、私の手は彼女の頭に触れたのだ。そのまま、ゆっくりと優しく彼女を撫でてやる。


「……辛かったね」


 そんな言葉を掛けたとたん、早紀は声を出して泣き出した。彼女の頬を、なぞるように涙が伝っていく。

 彼女が泣き止むまで、私はずっと撫で続ける手を休めることはなかった。




 夜になるとようやく雨は止んで、虫の音も聞こえないほどの静寂が訪れた。

 早紀は泣き疲れて私のベッドの上で眠っていた。今まで胸の中にため込んでいたものを話したせいか、その顔はとても安らかなものだ。

 起こさないように、そっとその頬に触れてみる。手のひらには確かに彼女の頬の柔らかさが伝わってきた。だけどそこに体温はなく、温かくも冷たくもない。不思議な感覚だった。彼女に触れることは出来るけれど、やっぱり彼女は幽霊なのだ。

 ふと彼女の安心しきった寝顔に、胸が高鳴るのを感じた。私が、彼女の寂しさを埋められたら。彼女の側にいられたら。そんな想いが、鼓動になって胸の中に溢れていく。


 気が付けば、私は眠っている早紀の唇に自分の唇を合わせていた。かすかな弾力の感触が、私の頭を満たしていく。いけないことだと思ったが、私は自分を止めることが出来なかった。


 一方的なキスを終えて、私はそのまま目を閉じた。一体私は何をやっているのだ。寝ている早紀にこんなことをするなんて、最低もいいところだった。


「……りささん?」


 そこで彼女の声が聞こえてきて、ぎょっとした。目を開くと、彼女は横たわったままじっと私のことを見つめている。


「今のは……」


 彼女が自分の唇に触れるのを見て、気づく。


 起きていたのだ。


「……ごめん」


 戸惑っている彼女に対して、私はそれしか言うことが出来なかった。




「……説明してください」


 気まずい沈黙を破るように、体を起こした彼女はそう言った。


「今の……えっと、キスは、一体どういうつもりだったんですか」


 彼女の瞳はまっすぐに私を捉えている。誤魔化すこと何て出来そうもない。私は覚悟を決めた。


「私、高校の時に、女の子と付き合ってたの」


 唐突に始まった私の話を、彼女は黙って聞いてくれた。

 彼女には、付き合う前に私のそれなりにいる友達にも話していないことを、全部打ち明けた。小さい頃から、幽霊が見えることだ。

 きっと気味悪がられるだろうと思っていたが、意外にも彼女はあっさりと受け入れてくれた。それがあまりにも嬉しくて、私は思わず泣き出してしまったものだ。

 それから彼女と過ごした日々は、私にとってバラ色だったと断言できる。何もかもがきらきらと輝いていて、もう何も怖くなかった。だって私の隣には、彼女がいてくれるのだから。


 ……そう思っていた。


 三年生になってから、彼女と会える回数が少しずつ減っていった。電話をしてみても「忙しいから」とあまり取り合ってくれない。それでも私は信じた。彼女とは一緒の大学に行こうと約束していたから。きっとその受験で忙しいのだと。


「……それで、ある時友達から聞かされた。彼女が受ける大学は、約束していた大学とは違うところだって」


 私はすぐ彼女のところへ行って尋ねた。すると、彼女は面倒そうに吐き捨てたのだ。


 ――もう別れよう。私、あんたのこと、ずっと気持ち悪いと思ってたし。


 今思えば、私が彼女に対して無邪気に幽霊の話なんかをしていたせいだったのだろう。彼女はそれを聞き入れつつも、心の中ではきっと毒づいていたのだ。

 気味が悪い、と。


「……で、私は彼女と来るはずだったこの街に、私は一人できた。そういうことがあったから、もう誰のことも好きにならないって思ってたけど……」


 全てを語り終えて、私は最後に付け足すように言った。


「……今は、あんたが好きみたい。さっきのキスは、そういう意味」


 しばらく二人とも無言だった。目に見えるような沈黙が、背中にのしかかってくる。無表情のまま、早紀が尋ねてきた。


「……りささんは、私に何を求めてるんですか」

「何って……そんなのわかってるでしょ」

「りささんこそ、わかってるんですか」


 彼女は言う。その声は感情を押し殺したように、震えていた。


「私はもう……死んでるんですよ。人間じゃないんです」


 自分の体を抱くように彼女は手を交差させた。半透明のその姿を、窓から差し込む月の光が突き抜けている。


「……そうですよね。私とりささんは一緒にいるべきじゃなかった。……ごめんなさい。私のことは、忘れてください。」


 すっと彼女は立ち上がった。このままでは、彼女はどこかへ行ってしまう。すれ違って行こうとするその手を、私はほとんど反射的に掴んだ。


「私はあんたの姿が見えるし、声が聞けるし、こんな風に触ることだって出来るよ! 私にとっては、あんたはちゃんと人間だよ!」


 頭で考えるより先に、そう口走っていた。幽霊とか、人間とか、そんなことはどうだってよかった。

 早紀に、ただ傍にいてほしい。ただそれだけだったのだ。

 早紀の動きがぴたりと止まる。そして振り向いた彼女に、私は言葉を失った。彼女は声も出さず、ただ静かに涙を流していた。


「……でもやっぱり――私は、幽霊なんです」


 私の手からするりと逃れて、彼女は窓の向こうへ消えてしまった。


「早紀!」


 慌てて窓を開ける。しかしそこにはもう彼女の姿はなく、ただ月の鈍い光が呆然としている私を照らしていた。




 それから、早紀は忽然と私の前からいなくなってしまった。

 帰ってくるだろうと淡い期待を抱いていたが、彼女が私の部屋にやってくることはなく、辺りをくまなく探したが彼女を見つけることは出来なかった。本当に彼女は、消えてしまったのだった。

 私は大学にまじめに通い、それなりの友達も出来た。だけれど、早紀のことはいつも頭の片隅から離れない。自分の部屋に帰ってくる度に、私はどこかにぽっかりと穴が空いてしまったような空しさを覚えてしまう。


 彼女はどうしていなくなってしまったのだろう。そのことをずっと考えた。いや、最初から私はわかっていたのだ。全部自分のせいだってことに。

 好きだという自分勝手な気持ちを、私は早紀に押しつけてしまった。彼女の置かれている立場を、考えもせずに。

 私には未来がある。しかし早紀には、それは遠い昔に失ってしまったものだった。彼女の時は止まってしまっていて、私の時は絶えず動き続けている。

 生きていようが死んでいようが構わない。私のそんな想いは、皮肉にも私と早紀の間の境界線を明確にしてしまった。そんな考えは、生きている者の甘えでしかなかったのだ。

 例え私たちの関係がより深いものになったとしても、そこに未来なんてものはあり得ない。でも私が想いを伝えてしまったから、もう元の関係には戻れないだろう。だから彼女はいなくなってしまった。


 あの時彼女にキスなんてしなければ、あるいはまだ私たちは一緒に居られたのだろうか。余計なことに気づかず、ずっと笑い合えていたかもしれない。後悔と自責は、何度も私の胸を駆け巡った。

 だけどいずれにしても、私と早紀は別れることになっていたのかもしれない。だって私たちは、最初から出会うべきではなかったのだろうから。




 そして、灼けるような本格的な夏がやってきた。テストを無事終えて夏休みに入った私は、列車に揺られてある場所に向かった。

 早紀の両親の所だ。ほとんど駄目元で調べていたのだが、彼らが引っ越した先は大した苦労もせず見つけることが出来た。

 両親の家を訪れた私は、早紀の友達を名乗って、彼女の遺影がある仏壇に通してもらった。久しぶりに見る彼女の姿だった。写真の中で、彼女はいつかと変わらずに楽しそうに微笑んでいる。私はその前で手を合わせ、目を閉じた。


 ――ごめんね、早紀。本当に、ごめん。


 もう謝っても遅いのだろうけれど、そうせずにはいられなかった。私の身勝手な想いのせいで、彼女はまたひとりぼっちになってしまったのだから。

 私の名前を呼んで、楽しそうに笑う早紀の姿を思い出す。誰にも見つけられることのなかった自分の存在が、初めて認められた時、彼女はどれだけ嬉しかっただろう。


 彼女は昔の私だった。でも今度は、私の方が裏切ってしまったのだ。


 早紀はまだ、一人であの街をさまよい続けているのだろうか。もう私は、彼女に二度と会えないような気がした。

 どうか神様、一生のお願いです。彼女がいつかまた誰かに見つかって、そして今度こそ幸せになりますように。


 私は祈るような気持ちで、そう願った。


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