考えていることを言葉にするのは難しい。
頭の中で考えていることをいざ言葉にしようとすると詰まってしまう、という経験に心当たりのある人は多いかと思う。自分の場合、ごちゃごちゃした考えをある程度整理し、一定の道筋をつけてからキーボードに指を乗せたものの、なかなか文字を打ち込むことができず時間ばかりが過ぎていくという事態に陥ることがしばしばである。
頭に浮かんでいることをそのまま言葉にすれば良いのだから簡単にできるはずだ、という思いがあるため、素早く言葉を出力できないことに苛立ち、戸惑いを覚えるばかりだったのだが、最近考えを改めるようになった。
考えていることを言葉として出力することが簡単だという認識に誤りがあったのではないか。この考え方は、頭の中で考えていることは全て言葉で成り立っていることを前提にしているのだが、これが思い込みで、人間の思考というのは言葉で成り立っているものと、言葉にならないことが渾然一体となっているのではないだろうか。
頭の中にあるうちは、言葉と言葉以外のものの区別が曖昧なままで、思考はまとまった一つのものとして認識されている。そのため、まとまったものをそのまま出力すれば良いから簡単だと思いがちだが、出力手段は基本的に言葉に限られるという点がネックになっているのではないだろうか(絵画や音楽などその他の出力方法や、組み合わせによる複合的な出力方法もあるが、それは一旦脇に置く)。
思考の出力に当たって、言葉以外の部分を言葉に置き換える必要があるが、この難関を通過するために想像以上の労力を費やすことになる。そのため、言葉に詰まってしまうのである。
では、どのように思考の言葉になっていない部分を言葉に置き換えるのか。なんだか堂々巡りをしているように思えるが、それは言葉になっていない部分について考えることである。思考について思考するという段階を踏む必要がある。
思考の中に言語的ではなく、映像的あるいは音声的に存在する部分がないか当たりをつけ、その部分を深掘りしていく。深掘りして特定したものを自分なりに咀嚼し、その内容に相応しい言葉に置き換えていくのである。そうして言葉に置き換えたものと、もとより言葉として成立していたものを繋ぎ合わせて初めて出力へと進むことになる。
さて、そのようにして出力された言葉が自分の思考を完全に表現しているかと言われると、おそらく否である。言葉以外のものを言葉に置き換える過程でこぼれ落ちてしまうものが確実に存在するからだ。言葉を完全なものと過信してはいけない。言葉で表現できないものがあるからこそ、言葉以外の表現方法があるのだろう。音楽家や画家といった芸術家は自分の中にあるものを言葉以外で表現する道を選んだ人なのではないだろうか。
そして、言葉による表現の道を選んだ作家や文筆家と呼ばれる人たちは、自分の中にある思考と出力された言葉を完全に一致させようと日々努力をしているのだろう。そのためには才能と鍛錬が必要とされるはずだ。
ほとんどの人間が言葉を使うことが出来るにも関わらず、それを生業とすることができる人間が限られているのはそのためなのだと思う。
そう考えると、自分の中にあるものと向き合うことなく、自分の外にあるものをうまいこと見繕って作り上げられた表現、作品というものに価値を見出すことはできなくなる。
生まれた瞬間から人生の残り時間は減るばかりである。世の中に溢れている様々なものについて、自分にとって価値あるものなのか、周りの評価に流されずに見つめ直すことも大事である。終わり




