街
街にやって来たのは朝だった。街の名称を書いた門や標識のようなものは一切見当たらなかったが、街に入ったのだという確信はあった。街の中央を縦断する目抜き通りはどこまでも真っ直ぐで、街路樹の下を人々は忙しそうに歩いていた。皆、それぞれの行き先があり、今日中に片付けなければならない仕事があり、お前なんかに構ってられないといった様子だった。私は誰にも呼び止められなかった。ここで私は誰にも必要とされていないのかと思うとなんだか少し寂しかった。
二十分くらい歩いて目的の建物にやって来た。建物には威圧感があり、近付く者をまったく寄せ付けないような冷たさがあった。私はそのオーラに負けないように気を引き締めながら扉に手をかけた。その瞬間、建物の中から出て来る人と接触した。相手は振り向きざまに不快な表情で私を見ていたが、こんなやつの相手をしている時間はないという様子ですぐに立ち去って行った。建物の中はいくつかの部署で区切られていた。御用の方はボタンを押してくださいと表示された機械が置いてあった。ボタンを押すとモーター音がして番号札が排出された。それを手にして、私は近くにあった椅子に深く腰かけた。順番を待っている人はたくさんいた。皆、一様にうなだれていた。
「午前中の受け付けは終わりました」
紺のスーツを着た女性が言った。2時間待ったが、順番は回って来なかった。街と同じように建物もまた私を拒絶しているようだった。私には待つことしかできなかった。
「26番の番号札をお持ちの方は、3番の窓口にお越しください」
私は握りしめていた番号札を確かめた。そこには26という数字が印字されていた。ようやく私の番が来たのだった。私は窓口に記入済の申請用紙を差し出した。係の男がペンで項目を指しながら、目を通していた。
「不備がありますので、申請をやり直してください」
素っ気なく男は言った。どこに不備があるのかよくわからなかった。そこで呆然としていると番号札を持った次の人がやって来て、蔑んだ目で私を見た。
<邪魔だからどけよ>
そんな無言の圧力が浴びせられた。
<どこに不備があるのだろう?>
申請用紙を何度見てもわからなかった。もともと私の居場所は用意されていないのかもしれなかった。街にやって来た時の違和感は、そのことを私に告げようとしていたに違いなかった。
刻々と時間だけが過ぎて行った。番号札を持った何人もの人々に私は追い越された。
<彼らに聞いてみればいいかもしれない>
そんな考えが一瞬、脳裏を過ったが、それは自らこの街に受け入れられていない事実をあからさまに大勢の人々に伝えることに他ならなかった。その時、人々は皆、蔑んだ目で私を見ることだろう。不快感や敵意をあらわにして、じっと私を見ることだろう。そんな状況には到底耐えられそうになかった。
「本日は終了しました」
係の人が事務的にそう言った。これ以上、ここにいても仕方なかった。敗北感を噛みしめながら私は建物を出た。既に陽は沈んでいた。暗い道をとぼとぼ歩いていると、街灯が一斉に灯った。周囲はすっかり明るくなったが、私の心は暗いままだった。私はさっき出て来た建物を見た。それは恐ろしい怪物のように見えた。その怪物は炎を吐き、鋭い爪の伸びた手をこちらに向けて、いつまでも私を威嚇していた。その時、電話が鳴った。妻からだった。
「住所変更の手続き終わった?」
「・・・まだです」
「もう~、一日かかっていったい何やってるのよ。またもじもじしてたんでしょう? わからないことがあったら恥ずかしがらずに周りの人に聞きなさいよ。まったく子供じゃないんだから。もしかしてまたカフカごっこやってたんじゃないの? 門が私を通さないとか、城が私を拒んでいるとか」
妻はすべてお見通しのようだった。明日はカミュにトライしてみようかと思っていたが、怒られそうなのでやめておこうと思った。




