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九話 縁談破棄

扇堂家の大きな屋敷が建つ敷地内の西側には、今は本家よりも多い分家の者達が暮らす居住区画が存在する。西には他にも住み込みで働く下働きの者達が寝食を過ごしていた。

屋敷の東に位置する離れは、今も里の大主である扇堂杷勿の孫娘、扇堂雪那と、たった二人のお付きが生活を送るだけの空間となっていた。

そんなたった二人のうちの一人、昨年ぐらいから屋敷内でその姿を見かけるようになった、まだ年端もいかないだろう髪の短めの下女が亡くなったそうだ。

雪那様が縁談相手が住まう甲斐国に向かう道中、牛車ごと賊の襲撃を受けたのだとか。その際に下半身を潰されてしまい、匂いによってたかってきた獣に臓物を食い漁られ、なんとも軽い体で屋敷に明け方に帰ってきたのだという。

噂好きな同期が、あることないことそんな自分が直接聞かされたわけでもない話に戸鞠は心底うんざりとしながらも耳を傾けていた。

「今になってどうしたの?結構前じゃなかったけそれがあったのって?」

「違うのよ戸鞠聞いて!なんとね!今朝方早朝にね!その賊の残党と思われる人が雪那様と一緒に屋敷に連れてこられたそうなのよ!もう!びっくりしちゃうわよね!?」

「吃驚しちゃうなぁ。一日美琴様にこき使われていびられた後だっていうのに、あんたときたらそういう話をする時はいつだって疲れを感じさせないんだから。」

でも、そうやってずっと大きな声を張り上げていると、ほらお怒りが飛んでくる。

「巴月っ!!あんた夜遅いんだよ!?みんな寝てるのが見て分かんないのかい!!」

「姉さーん、そんな大声張り上げたらみんな起きちまいますよぉ…。」

掛布団を勢いよく剝いで大股で雑魚寝をしている同じ下働きの同僚達を若干踏みながらも近付いてきて、巴月のおでこに拳骨が振り下ろされるのを横目に戸鞠は心の中で小さく合掌を送った。

八畳程の狭い部屋だが、人数分の布団がしっかりと用意された部屋には十人程が雑魚寝をしている。

寝入る前以外は敷かれていたらぐちゃぐちゃになるだけの布団だが、この里にやってくるまでの生活に比べれば、一人に一つ布団が支給されるなど贅沢な話だ。

戸鞠は薄いものの若干の“色”を持つ。

まじまじと見つめなくては気付けない程度の薄い灰色がかった瞳だ。西の、産まれになる。

生家は小さいながらも良家であったそうだ。家自体が“色持ち”自体を拒絶する傾向があり、産まれて間もなく亡き者として扱われ、売られてしまった。物事をある程度理解できるぐらいまで大きくなった頃、おせっかい焼きの老婆がそう教えてくれた。

“色持ち”とはそれはそれは人を狂わせる魅惑的な存在であるというのに、死んだような瞳しか出来ない自分にはそれがなかった。

だからこそ、買われた先で愛想の無さや、与えられた仕事も熟せない使えなさからまた売りに出されることは数えきれない程。齢十七で数えられない程の経験を積み重ねてきた。同じ人間を売ったり買ったりなど、何だというのか。

そんな戸鞠に転機が訪れたのは十五の時だ。

里の南に位置する東海道沿いの大通りを人を売り買いしていた商人に紐で括られ引っ張られた時だった。

『もし、そこの御仁?この里内ではそういった事は全面的に禁止されているのをご存じないのですか。』

大主の元に身を置くという、前身の短い男が商人に声を掛けた。

『駄目ですよ。“色”があるなしで差別など言語道断です。何より、あの御方が許しませんよ。』

自分以外にも四人いた“色持ち”の商品はあっという間に商品から元の人間に戻されてしまった。しかし人間に戻っても行く宛がない。どこの産まれかも自分で覚えていない子もいる。そんな状況で突然与えられた当然の自由に、何をしていいのか呆けるだけの自分たちに、またも声をかけたのは同じ男だった。

『屋敷においでなさいな。あの御方は快く貴方たちを受け入れてくださいますから。この佐脇めがお約束します。』

それから二年の歳月、これまでの十五年間がまるで嘘のように充実していた日々を送っていた。

それもこれもこの里のおかげだ。

故に戸鞠はこの里が大好きだ。

出来るのなら死ぬとき迄ずっとこの里にいたいと思える程には。


同期である巴月は、一緒に商人に連れられていた存在だ。

年齢にそぐわない子供じみた言動を取るのは、出会った頃からだ。

それは環境が彼女に招いた結果なのだろうと、戸鞠は思っていた。

そんな巴月もこの里で、この扇堂家の屋敷で自分と同じように下働きをするようになってから、昔程酷い言動は減ったように思えた。

心の傷は中々塞がらないものだと、柄にもなく心象的な言葉を並べる、あの出会い以降一方的に恩師として崇めている佐脇がそうぼやいていたのを思い出す。

死ぬとき迄ずっとこの里にいたいのは間違いではないが、いつか一度だけで良いから、巴月と見た事もないような景色を見て見たいとなんて、戸鞠だけの秘密だ。


半刻も経つ頃には、巴月は小声ながらも殆ど寝言のようになっていた話もさっぱり途切れてしまった。肌蹴てしまった前を形だけ繕うに整えてあげると、ずっと話を聞かされていた戸鞠は逆に眠気が冷めてしまい、様々な憶測が過る頭を冷やす為に、廊下に出た。

長い廊下には似たような造りをした部屋がいくつも並んでいる。

廊下の奥には、屋敷では滅多に人が運ばれることのない処置室が存在している。といっても本来そこにいるべき人は、一年の殆どの時間を、里の大主であられる扇堂杷勿様の介助に手を貸しており、滅多にない休みだって、他に用事がなければそれでも杷勿様に付きっきりであった。

人の全く立ち入らない処置室に何の意味があるというのだろうと、戸鞠はその前を通る度に考えていたものだ。

今もこうして、夜中にその部屋の前に立ってみると、不気味さが際立つ。

直接治療室に入ったことはないものの、巴月の話曰く、生前の雪那様の母君、扇堂春奈様は生まれつき体が弱く、幼少期はこの処置室に隣接された療養室で過ごされることが大半だったそうだ。

(佐脇様は、どちらかというと薬学には精通されていない。先代のお医者様がきっとここにいたのね。)

廊下を更に奥に進む。夜風に当たるにはこの先の、廊下のどん付きにあたる場所まで行かねばならない。

草履も履かずに降りた地面は、昼間の温もりを忘れてしまったのではないかと思わずにはいられないほど、想像以上に冷たいものだった。

この里、榊扇の里の春はまだどこか冬の寒さが残りがちだ。

屋敷の壁沿いに植えられた桜の木々は明日明後日には満開を飾ることだろう。ある程度寒くならないと咲くことも出来ない花もこの世の中には存在するというのだから、何も温かければそれでいいというわけではない。きっとそれは人生と同じなのだろうと、戸鞠はすっかり冷え切ったつま先を見つめながら物思いに耽っていると、微かな轟音が耳に届いた。

何事かと音のしたであろう方に体を向けると、それは本堂が存在する東の方角からした。

『違うのよ戸鞠聞いて!なんとね!今朝方早朝にね!その賊の残党と思われる人が雪那様と一緒に屋敷に連れてこられたそうなのよ!もう!びっくりしちゃうわよね!?』

「賊の、残党…?」

つい先刻巴月が話していた話を思い出す。

賊の残党が今この屋敷の中にいるのかもしれないと、そう考えが浮かぶ。だってそうだろう。そんな事があった夜中にこのような、普段なら聞くこともないだろう轟音を耳にするなんて。

思わず戸鞠は汚れた足裏など気にもせず廊下に駆け上がり、部屋に戻り皆を起こさなくてはと体を動かそうとした、その時だった。

後方の茂みから音がした。

ガサガサと、茂みをかき分けるような、まるで重たい何かを引きずるようなずるずるとした音だ。

影が差す廊下に静かに身を潜める。

強く揺れる茂みの奥から、二つの影が姿を覗かせる。

その姿には見覚えがあった。

昼間に屋敷にやってきた客人だ。

確か退治屋を生業にしていて、連れが先にこの屋敷に来ているというので迎えにきたとか、そんな話をしていたと記憶している。

その退治屋がこんな夜半に一体何をしているというのだろうか。

目を凝らしてその姿を見て見ると、人を、抱えている。

自分と同じ身丈の男を、退治屋は引き摺りながら茂みから姿を現した。

意識がないのか、ぐったりと首を擡げている男の裾口から覗く肌には無数の赤い筋がはっきりと見えた。

退治屋は廊下、戸鞠のいる方を見つめると声を上げた。

「そこの方っ!どうか、どうか手を貸してはくれないかっ!?」

意識のない人の体というものは、常よりも重たく動かしというのはよく聞く話だ。

戸鞠は意識のないだろう男の方が怪我を負っていることに気付き、足元がふらつく感覚を覚える。

人売りに何度もあった彼女だが、そこに血なまぐさいことが介入したことは殆どなかった。

血なんて、見ても冬口のあかぎれを起こした掌に滲むもの程度だ。

「どっ、ど、どうすれば良いですか?!」

どもりながらも何とか壁に手を付き廊下の奥から姿を見せた。

「どこか安静に、横になれる場所、止血ができる、医者は、医者を知りませんか!?」

退治屋が矢継ぎ早にそう叫ぶ。また、足元が揺らぐ。

意識のない男が、退治屋の声に反応をしましたように呻き声を上げる。生きてはいるようだ。しかし退治屋が言うように医者、医者が必要だろう。戸鞠は迷わずに佐脇を思い出す。この屋敷内で医者など佐脇以外に頼れる相手はいないのだから。

二人して男の体を廊下に持ち上げる。二人が肩を貸すことでようやっと先ほどよりも早く進めるようになる。男の背中に回した手には、生暖かい液体のような感触を感じた。しかし、今はそんな悠長な事を一々考えていられるような状況ではなかった。











「いやいや悪い事をしたね。うちの家の者が迷惑をかけたみたいで。悪気があってしたわけじゃないんだよ。それは分かって欲しくてね。言い訳じみた事はあたしゃ嫌いなんだけどね、まずはそれを言わせてもらいたかっただよ。悪かったね。お目覚めの所早々にこうして呼び出しておいてこちらから話しかけてしまって。」

「なにそれ?謝罪のつもり?」

雪那は思わず腰を浮かせた。

自分の少し前で胡坐を掻いてゆったりと座った弥代は姿勢を変えぬまま、六尺程離れた位置で座布団の上、煙管を吹かせるこの里の大主、扇堂杷勿に動じることなく、そう切り返した。

自分の祖母でもある扇堂杷勿に対してそんな口を利く相手を雪那は知らない。といっても自分の知る祖母は十年程前の姿と、寝ずにいる昨晩からぐらいだろうが。

ゆっくりと煙を吸い、細く吹き漏らす。

吐き終えると、杷勿は喉を鳴らして笑ってみせた。

「そうだと、仮に言ったら。なにか、問題でもあるかい?」

「随分でけぇ態度の謝罪だなって、里の大主ってのは人に対する謝り方も尊大なもんなんだなって、念頭に置いとけるわ。」

不遜な態度と、人によっては思われるような姿勢で、そう弥代が返す。

たとえ自分に比がないと分かっていても、そこまで堂々と相手の言葉に乗って言い返す人がいるだろうか。

雪那は何度も何度も弥代を抑えたい気持ちに駆られるが、これもそれも大本の原因である自分が止めるのは、きっと良くないと、そう押し留めるしかない。

「ほぉ、言うじゃないかい。このあたしが誰か分かってるのかい?その上でそんな口が利けるってもんなら大層なもんだよ。子供の分際で。」

「謝るっていう時点で大人とか子供とか関係あんのかよ。誠意が感じられねぇな誠意が。」

「誠意?そんなの学のない奴に見せてどうにかなるってのかい?教えてほしいもんだね。」

「謝罪どころじゃねぇよなそんな言葉並べられたらよ。」

謝罪。そう、元は謝罪をしたいという祖母の言葉だった。

祖母からの託けで弥代が横たわっていた部屋を出た際、氷室から聞かされたのだ。

『いつでも構わないので、あちらの方が目を覚まされたら本堂に、杷勿様が謝罪を直接述べたいとの事でして。忘れませぬよう、願います。』

そう言い残して静かに離れを後にした氷室。

弥代が目を覚ましたのは、雪那が部屋から出ていた間の事だった。

要するに弥代は寝起きであるはずなのだが、佐脇によって用意された清潔感のある白い着物に袖を通し、これまでの使い古された包帯とは違い真新しい綺麗な包帯を傷口に巻かれている。

手当は、滅多にない筈の重症の怪我人により佐脇の手ではなく、氷室の手によって行われた。

しかし、屋根を突き破る勢いで落下したり、壁を破壊するほどの勢いの水流を何度も身に受けたというのに骨が折れているということもなく、怪我も掠り傷程度しかなかったと氷室が言っていたのを思い出す。

寝起きだとは思えないぐらいに快活に舌を捲し立て扇堂杷勿の言葉にすぐさま切り返すものだから、止めるどころか次第に驚きの方が強くなってしまう。

「つーか別に俺子供じゃねぇし。」

「え!?子供じゃないんですか!?」

思わず声が出てしまうと、弥代が立ち上がり、雪那の方に歩み寄ってきた。

「おーい素直か?上から下まで眺めるな失礼だろ。十六やそこらだ。成人は超えてる。」

「えぇ…?」

「少なくともアンタより色んな事知ってたろ。経験だけならアンタよりも大人だとは思うけどな、俺は。」

遠まわしに自分の方が子供だと馬鹿にされたのだと、これには流石の雪那も気付いた。そんなこと、と反論を述べようとするもそれ扇堂杷勿が鳴らした杖の音で飲み込まれた。

「話が、逸れてるねぇ。」

「もっ、申し「元々謝罪ですらなかったんだから逸れてるもなにもねぇだろ。」

反射的に雪那が謝罪をしようと口を開けば、それはいとも容易く遮られる。

雪那から扇堂杷勿に目線を戻した弥代だ。

その表情は先程までよりもどこか固い。

「別にさ、人様のお宅の事情に首突っ込もうって気は更々ねぇんだけどさ、そういう教育でもしてきたの婆さん?」

「どういう意味だい。」

「貴族の娘が、自分家に帰りたくないって言いだすって相当だなって。ちょっと思っただけだから。別に深い意味はねぇよ。」

「…」

「何、痛い所触れちまった?」

また一服。

味がしなくなったのか、手元にあった鉢に向かって煙管が振り下ろされる。

「口が過ぎると、言われたことは無いかね。」

「お宅の孫娘の方が喋らせらひっきりなし、ご立派なもんだぜ?」

「それはそれは、初めて知ったよ。」

「だろうな。」

次第に重たくなっていく空気。

先程までの件とは一転した二人の様子に口を紡ぐしかできない。

恐らく、二人とも若干腹を立てているのだろう。何が引き金になったのか分からない。けれども、この重苦しい空気だけは、なんとか、なんとかならないものだろうか。





まるで、そう針の筵だ。

佐脇は部屋の隅で、中央で向かい合いいがみ合い憎たらしい程の言葉の応酬を繰り返す二人と、その後ろで小さく縮こまる雪那を見て、そう思った。

たった二人の会話でよくもまあ、ああまで静かながらも言い合いに発展できるものか。

どこか感心してしまっている自分がいた。

そもそもこの里の大主である扇堂杷勿に対して、こうまで弁が立つ者は少なくとも佐脇が覚えている限りではいない。

佐脇自身も杷勿に対して時折軽口を叩く程度だ。

それは勿論杷勿から振られるもので、佐脇もそれに返す程度のものだ。

しかし、今目の前の光景はどうだろうか。

なんとも、まぁ、面白い光景だ。

あの扇堂杷勿が子供相手にむきになって言葉を並べて応戦している。出来ることならもう少しだけ事の顛末を見届けたくはあったが、それが出来なような報せがきたのであって、佐脇は前に歩み出た。

「杷勿様。お話中の所恐れ入ります。東門の警備の者から報告がありました。高台より、野田尻の方々が間もなく門をくぐられる頃合いとの事です。」

「おや、もうそんな時間かい。嫌だね歳を重ねると時間があっという間だよ。直ぐに過ぎるような気がしてならないよ。」

杷勿が腰かけていた座布団から杖を使い立ち上がるのに手を貸す。

「雪那。アンタはあたしと一緒に来なさい。相手の顔ぐらい破棄になた縁談相手でも合わせてやんなさいよ。」

「おい!まだ話終わってねぇだろっ!」

「五月蠅いね。お前さんと違ってあたしゃ忙しいんだよ。話相手が欲しいなら、佐脇。あの坊主のいる部屋にでも連れってっておやりよ。」

「昨晩から一睡もしていない私をさらに働かせるつもりですか貴女様という御方は?」

「この場にいる全員が寝てないんだよ!そこの餓鬼を除いてね!」

「寝たくて寝たんじゃねぇよ!?あんなの寝たの内に数えるわけねぇだろババアっ!」

「お黙りよ!ほらとっとと出てった出てった!!」

半ば強制的に本堂での謝罪という名ばかりの顔合わせから、佐脇の手により首根っこを掴まれ摘まみだされた弥代は、やけくそに近くにあった太めの柱を蹴りつけてみせた。

「ババアッ!あの、くそババア!ぜってぇに次こそ話つけてやっからな!覚えてろよ!!」

「……。」






どだばたと、忙しなく働き回る西棟の下女達の殆どは住み込みが多く。

その大半は同じく西の区画で生活をすることが多い、分家の者達の世話に追われている。

今日も今日とて慌ただしく。厨房の前を横切れば、時間が経つのは早いもので、夕餉の支度の香りが漂ってくる。

屋敷に住まうもの全員分の食事の支度な為、相当量を一日三度用意しなくてはならないのだから、自分なら到底務まらない仕事だろうと、佐脇は感心する。

普段だったらちょっと立ち寄ってつまらないと評判の世間話でもしてやるついでに味見ついでに小腹を満たしたい所だが、今日は出来そうにない。

後方でわりと距離を詰めて付いてくる、青い髪の子供がいるからだ。

子供はげんなりと、苦虫を噛み締めたようなそんな表情を浮かべて黙ってついてくるが、見るからに不機嫌であるのは窺える。

「見て、凄い“色”をされてるわ。」

「あんなに目立つ“色持ち”初めて目にしました。」

「貴女知らないの?雪那様はもっと鮮やかな御色をされていらっしゃるのよ。」

「どこの生まれの方かしら。」

「あんなに包帯を巻かれて、お労しい。」

「賊の残党じゃなかったの?物騒ね嫌だわ。」

「杷勿様から客人としてもてなすようにって話があったそうよ。」

「東の離れで昨晩は床に付かれたんですって、どういう関係なのかしら…。」

間違いなく、原因は彼女らにあるだろう。

女という生き物は噂話が好きで、あることないこと話に尾ひれを付けて広げるもので、最近は滅多に来ない客人というのが珍しいのも相まって、顔を覗かせながらひそひそひそひそと囃し立てるもので、隠しもせずに聞こえてくる小声に、子供も気付いている様子だった。

佐脇は一つ小さく咳払いをすると、子供の意識を自分に向けるように話を切り出した。

「随分と、言葉をご存じのようで。」

「何だそれ?アンタもあのババアと同じで俺の事馬鹿にしてるわけ?」

「とんでもないです。あのババア、フッ、あのババアにあんな口を利く人を私は知らないもので。おまけにあんなに強気に言葉を並べるものですから、ふっ、笑いを堪えるのも、大変でして。」

「うん、何も耐えられてねぇなアンタ。」

佐脇の声掛けはうまい具合に弥代の意識を逸らすことが出来たようで、しかし下女達の様子は変わらずだ。

これでは業務が疎かになってしまうと、腹を決めて手を叩く。

「貴女方、しっかり自分の仕事を終わらせてから無駄口をたたきなさい。もしお暇なら私の世間話でも聞きますか?今なら先日あった杷勿様の、それはそれは素晴らしいお言葉を一言一句お教えしてさしあげますよ。」

蜘蛛の子のように素直に散らばっていく様は、最早素直を通り越して傷つく。

想像していたどおりの結末だが、誰一人関心を示さずにそそくさと足早に去っていくもので、これには弥代も別の意味で表情を潜める。

「まぁ、私の手にかかればこんなものですよ。」

「アンタ、かわいそうな奴なんだな。」

目尻を抑える。と、視界の隅によく見知った下女がいるのに佐脇は気付いた。

「戸鞠、貴女は仕事に戻らないのですか?」

「佐脇様のお話が伺えると聞いて、いてもたっても居られずに来てしまいました。」

「貴女は彼女らとは違って可愛げがありますね。」

「いや療養室は!?早く進めよ?!」






佐脇に客人である弥代を療養室まで案内するように言づけられた戸鞠は、無言で足早に案内を行った。

折角仕事が一段落ついたので、逃げかえってきた同僚たちから佐脇様が珍しく西に来ているというので向かったというのに、全く意味がなかった。

そのお姿をお目に掛かれただけでも十分であったが、欲を言うなら是非くだらないと評判の世間話(大半が杷勿様は凄い自慢だが)を聞きたかったものだ。

溜息一つ零すのも気が重たい。

「そろそろ療養室になります。」

「んで、療養するだろう場所から激しい物音がするわけよ。」

「不思議ですね。あっ、扉を開けるのはご自身でお願いします。」

「お姉さん当たりが強いって言われたことない!?」

扉一枚、療養室というのだから静かなものかと思えば壁の向こう側からはどたばたと引っ切り無しに物音が響いている。

途中怒鳴り声のようなものも聞こえてくるもので、取っ手口に手をかけることすらも勇気がいる。

本堂から西棟へ移動する際に、自分が案内をされているのは昨晩自分を地下牢から連れ出してくれた男がいる場所だと佐脇から聞かされていた。

療養室という事は何かしらの怪我をして手当を受けた後だろうに、何故こんなにも物音がするのだろうか。

恐る恐る扉を開くと、何とも奇妙な光景が広がっていた。

男が二人、寝台にまだ体を四分の一程預けている状態の男を取り押さえるようにしているのだ。

じたばたといい年をした男らが必死になって掴みあい、寝台に無理やり横たわられようと半ば取っ組み合いのような事をしているのだから、奇妙という以外なんと言えようか。

「なにこれ…」

「汚らわしい…」

当たりが強くないかと聞いたばかりだが、そこの言葉には強く賛同できた。










祖母の手により着付けらえた色留袖はそれはそれは上等なものだった。

分厚い生地は均等に織られた反物からこさえられたものであるのは間違いないだろう。

春先によく映えそうな、淡い青緑色に所々桜色の花弁がちりばめられたような柄をしていた。前に突出した人並み以上の胸元には厚みを持たせた帯が巻かれ、段差をなくしている。

おかげで息苦しさはあるが、しばらくぶりに歩行が楽に感じられた。

つい先日までは胸が動くたびに揺れてしまい、それだけで歩くのも億劫に感じられた程なので、これは助かる。

支度をと用意されたものに袖を通した時、ようやっとそれに気付いた雪那は、周りに誰もいなかった為、恥を忍んで祖母扇堂杷勿に着付けを頼んだ。

まさかこの年になって、祖母に着付けを、着付けの際に肌を見せることになるとは思ってもみなかった。

流石に着付けが出来ないという雪那に、杷勿も驚きを通り越して呆れかえったような表情を浮かべていたが仕方がない。長年屋敷の離れに籠るばかりで、まともに外行き用に袖を通したことなどなかったのだから。

「…。」

では以前はどうしたのだろう。

一月程前、屋敷を出て野田尻に向かう道中、数日を従者の氷室と過ごしたのは間違いない。

ここ一月弥代と過ごす中では胸が揺れ動くのがとても邪魔に感じていたが、思い返す限りでは道中そんな事は一切なかったように思える。

何故だろう。

雪那は考え事をしながら杷勿の数歩後ろを付いていく。

本堂には客人用に設けられた茶室がいくつかあり、その中でも一等杷勿がお気に召している部屋だという。その途中だ。

昨晩、屋根に大穴が空いたり、廊下沿いの壁が破壊されたりといった現場から離れているために選ばれた可能性もあるだろう。

夜中だというのにどこから入った情報か、杷勿は縁談相手が直接里にやってくるから、と雪那に告げた。

どんな顔をすればいいのか分からず、出来ることなら会いたくないと思っていた雪那だったが、それは敵わなかった。まさかこうして上等な着物に着替えられられ、茶室で顔を合わせることになろうとは。

長い廊下の先、西棟から繋がる渡り廊下に先ほど弥代を連れて部屋を出て行った佐脇の姿が見えた。

「杷勿様、既に鈴木の方々はお部屋にてお待ちとの事です。」

「なんであっちから来たお前さんがそんなことを知ってるんだい。気色悪い奴だね。」

自分に目もくれずに杷勿に話しかける佐脇。

そう、佐脇とはこういう男だ。

それを雪那は幼い頃から知っている。

佐脇は、雪那の祖母でありこの里の大主である扇堂杷勿を心の底から慕っている。

長年の付き合いもあるのだろうが、若干他の者と比べると、昔から親し気に杷勿と言葉を交わすのだ。軽口のように聞こえる時もあるが、その一番下には絶対的な尊敬の念が存在する。

だからこそ、佐脇は雪那を見ない。

次期当主としての責務を何も果たしてこなかった、今尚こうして扇堂杷勿にすべてを背負わせている雪那を、決して佐脇は見ようとしない。

そういう男なのだ。

「さぁ、野田尻の坊がお待ちだよ。」






「嫁殿っ!!!!」

興奮気味に立ち上がるや否や彼は開口一番に、恐らくは雪那の事をそう呼んだ。

何たる声量だ。こんなにも大きな声で話す人間は初めて目にする。

あまりにも大きな声量に鼓膜が強く揺れる。最早痛みを伴う程だ。反射的に目を閉じれば、直ぐ様雪那の右手は誰かに握りしめられている感覚に陥る。

そっと目を開けば、そこには、大声の主である彼がいた。

この快活そうな青年が自分の縁談相手であった相手で間違いはないだろう。

東の産まれの“色持ち”の中には青に近しい、緑を帯びた“色”を持つ者もいると、書物で知り得た知識の中にあった雪那は、彼鈴木凌一郎が自分と同じ“色持ち”であることを理解した。

後頭部の高い位置で結われた細い髪が勢いよく彼の動きに釣られて揺れる様がどこか子供っぽく見えてしまう。

「おぉ!嫁殿っ!お会いしたかった!話をいただいたその日から寝る間を惜しむほど、貴女に早くお会いできぬものかと、この凌一郎は願っておりましたぞ!」

まるで絵に描いたような笑顔を浮かべてそう真っすぐに告げられるもので、雪那は思わず助けを求めるように杷勿の方に視線を送るが、杷勿は既に佐脇の手を借りて茶室の自分が座る位置に腰を下ろしている真っただ中だった。

「凌一郎様っ!出会い頭にそのよう女性に絡まないでください!驚いて声もあがらないように見えますぞ!」

彼の気迫に腰が引きだした頃、彼の後方にいた恐らくは従者と思しき男が、彼を止めにかかった。

雪那の右手を掴んで離さないその手元を、指一本一本を剥がそうと試みるが、がっしりと、しかし痛みを雪那が感じることはなく、器用に力加減がされているのか、彼は尚も雪那の右手を離さない。

「噂に違わぬ美貌をされている!が、あまりにも肌が白い!もう少し健康的に焼けた肌の方が私としては好みですぞ!」

「これこれ、話を勝手に進めようとするんじゃないよ若人共。」

左手が離れたと思えば、その手は迷いなく雪那の腰に回された。

これには流石に雪那の表情も強張る。ふとあの吉野での漢らを思い出してしまうほどには。が、それは杷勿の呼びかけによってそれ以上進むことはなかった。

「杷勿殿!嫁殿をっ!下さいませぬか!?」

「声が大きいんだよ。いくつになっても下手くそかい。とりあえず座りなさい。佐脇、茶。」

「いえ、あの、私なんかに茶なんて淹れさせて、茶葉を無駄にしたいのですか杷勿様?」

「佐脇っ!早く茶淹れなっ!!」



鈴木凌一郎は今年で齢十九を迎える。

雪那同様にとうに成人をしているが、下の二人の弟を含めてまともに働いたこともなく、三月程前に他界した彼らの父にあたる鈴木泰祥の意向により、土地を治める者としての役割を教わることはないまま育ってしまった。

元々鈴木家は、甲府家にお仕えしていた武家であったそうだ。

それらに関する正式な文献に杷勿が目を通したことはないが、生前の泰祥からそう聞かされていた。甲斐国の統治が行われる為に作られたと、そう先代からは教え込まれてたそうだ。

代々それは受け継がれ、それも継がれる度にどこかで湾曲した可能性もあろうに。

鈴木泰祥という男は目の前で表情を一切崩す事なく、期待に満ちた面立ちで杷勿を見つめる凌一郎以上に愚直で、あまりにも哀れな男だった。

三人の子を授かり、無理が祟り衰弱した妻の姿を、ずっと追い続けていた。

「近年甲斐国も元は徳川の所有物であったものを、かの藤原家が領土を広げているのが現状です。」

「この里に手を出さなくなって二十年、周囲から囲っていくつもりだろうねあの家は。」

「統一したその先に、一体何を望むというのでしょうか。」

それは当人らにしか分からない話だ。

凌一郎の従者である喜久二との会話に杷勿は意識を傾けるが、それは直ぐに戻される。

「坊、そんなにそわそわして何か言いたいならはっきり口にしなさいよ。」

「嫁殿との縁談話を!!」

「手紙を送ったと思うんだけどね。悪いけど今回の話は白紙に戻させてもらったよ。」

「なんとおぉ!?!?」

これには凌一郎も驚きを隠せず、思わず立ち上がってしまう。

「忙しないねぇ…」

「喜久二ー!貴様もしや知っていたのか!?」

「言いましたとも!!だというのにアンタときたら我慢ならないと駄々をこね!休む間もなく早馬を乗り継いで!ここまで二日と経たずに到着させるだなんて!!気付いていらっしゃいますか

!?屋敷を出る際私の他に五人いた付き人、誰一人いませんからね!?」

「気付かなかったーーーーっ!!」

大げさに頭を抱え膝を付くもので、杷勿は大げさな奴めと零した。

後方でまともに飲めなさそうな茶を汲んだばかりであろう佐脇が噴き出す声が聞こえる。

どいつもこいつもといったところだ。

「しかし!白紙に戻されたとしても!私は諦められなく!!嫁殿っ!貴女の答えをお聞かせくださ「お断りします。」…?」

突然話を振られ、どのような反応を返すかとみていた雪那の口から出たのは、明確な拒絶だった。

杷勿は、静かに眉を顰めた。



(意外だ。)

産まれて間もなく、母親を亡くしたかの孫娘は同年代の娘と比べるとあまり意志表示をしない傾向にあったと、そう佐脇は記憶している。

十かそこらの頃までは、ひっきりなしに杷勿に構ってもらおうと周りをうろちょろとしていたが、中々直接口にすることはなかった。

あの事故以降、彼女のために建てられた東の離れに引きこもるようになってしまってからは全く知りもしないが。

それまで野田尻の客人、元縁談相手であった彼に腰を抱かれた時の様子からは想像もつかないような、静かな強い意志を感じさせるその一言に一瞬で意識が向いた。

恐らくは、昨日の朝方屋敷に連れ戻され、治療を施した頃からまともに見ることのなかった相手を佐脇はここにきて初めてしっかりと認識した。

ふと、自分が彼女の亡き母、扇堂春奈に出会ったのも、彼女が齢二十かそこらだったことを思い出した。

「今の私は、どなたであっても嫁ぎも、嫁がれる気も毛頭ございません。」

深く、深く頭を差し出すその様は、やはりどこかあの娘を、連想させた。











「隈野郎、お前怪我大丈夫なのかよ。」

「問題ない。そこの二人が、大袈裟に騒ぐだけだ。」

「相良さんっ!!あの人今俺らの事指さして、大袈裟って!!大袈裟って言いましたよ!?相良さんっ!!」

「一々喚くな。あの人はいつもそんなだろう。」

下女である戸鞠に案内された療養室には、三つの寝台が並んでいた。

一番日の当たりが良い窓際に設置されたそこに、今は大人しく上半身を起こした状態で弥代に話しかけるのは、隈野郎こと春原千方だ。

昨晩、神仏にあたる水虎様からの襲撃を受け、弥代が空に吹き飛ばされた後、春原曰くただの同業者という身内の、壁際に並び様子をうかがっている一方に見つけられたそうだ。

弥代を部屋に案内してきた下女に対して、昨晩はありがとうと、礼を述べていたので、彼女の手助けもあり、今春原はこうしてここにいるのだろうと、弥代はそう憶測を立てる。

佐脇と呼ばれたあの男は、あの当主様の付き人か何かかと思ったが、こうして考えてみると治療を施したのは彼なのかもしれない。

(じゃぁ脱がしたのもあいつって事か。)

何も隠しているわけではないが知られて気を使われるのは気が引ける。

知っているという点では、恐らくいやきっと間違いなく、自分と過去に面識があるだろう春原も知っていることだろう。

「お前本当に俺の事気に掛けてたのな。なんか申し訳なさの方が勝ってきたぜ。心配するのが馬鹿々々しいぐらいに。」

「目を覚ましたら、お前がいなくて。」

「うん。常に目を覚まして目の前にいるのは普通じゃねぇだろうけどな。さも当然の様にいないことが可笑しいみたいに言うじゃんお前。」

「普通じゃないのか?」

これでは申し訳なさも薄まり、一言二言話しただけで呆れの方が大きくなってしまう。

「すごい、春原さんと会話が成立している!」

「いや、俺はこれっぽちも成立してねぇと思うんだけどな。」

部屋の壁際で後ろ手を組んで綺麗に並ぶ二人の腰には、先日小仏近郊の河原で春原が所持していた刀によく似ていた。

だからこそ、春原はただの同業者とだけ説明したが、彼らが春原の仲間か何かなのだろう。

わざわざ療養室で横になるのをそんないつでも手の貸せるような位置にいやしない。

強い寝ぐせのような髪型をした青年が、一々驚いた声を上げるもので、弥代はつい反射的に返してしまう。そうでないと思ったので口をついて出ただけで深い意味はない。

「芳賀が失礼をしました。挨拶もなく、お二人の会話の際に口を挟むなど、私が芳賀に代わり謝ります。申し訳ございません。」

片や堅物という言葉が恐ろしい程似合いそうな男だ。

かっちりと固められた前髪は、寝ぐせ頭の青年に変わり頭を下げた程度では一切乱れることがなく、人間の体はそうまできっちりと動かすことが出来るのかと思わせるような動きをして見せた。

「お前のお仲間、変な奴ばっかりなんだな。」

「仲間じゃない。ただの知り合いだ。」

「同業者ですらなーーい!!」

「流石にそれは酷すぎます。」

三者三様の反応はどう見ても賑やかだ。

春原自身、長く思い前髪が邪魔してどこか辛気臭そうな空気を漂わせていたが、こんな二人が仲間にいるのならそうでもないのでは…。

「おめぇその前髪どうした?」


杷勿に離席を促された雪那は、大人しく茶室を後にした。

茶室を出て暫く、目の前の廊下をただ茫然と歩いていたが、西の区画に繋がる渡り廊下に当たりに差し掛かると、足を止める。

先刻、佐脇によって弥代が案内されたであろう西に足を運ぼうかと思うも、“色”を持たない下女や人が多くいる、西へ向かうのはやはり気が引けた。

どうすることも出来ずに、しまいには立ち続けるのも疲れてしまい、縁側に腰を下ろす。

まさか祖母に着付けをされるなんて思ってもみなかった合わせ目そっと手を乗せて、胸を撫でる。

正直あまり好きではない足袋を脱いで、素足を行儀悪く地面に付けてみせる。

こんな姿、きっと誰かに見られたらなんて言われてしまうのだろうか。

若干陽が傾きだした空を見上げていると、ふと視界の端に夕暮れ時の空よりも派手な赤い髪をした男を筆頭、何やら大がかりな荷物を抱えた集団が、丁度中庭を通りすぎようとしているのに気付いた。

「雪那様じゃありませんか?いやぁたまげたなぁ!数年お姿を見ない間にお綺麗になられまして。」

「林屋の旦那様?」

赤髪の男には見覚えがあった。

雪那の視線に気付いたのか、彼は自分が抱えていた梯子を直ぐ右手にいた男に押し付けるように渡すと、雪那のいる縁側まで駆け寄ってくる。

離れに引きこもるよりも遥か前、本堂の修繕や西の区域の増築に屋敷に頻繁に出入りしていた、里きっての大工職人の一門だ。

「いえいえ自分は親父の息子です。先代は数年前に隠居したもんで、今は自分が任されております。」

「若旦那、様?」

雪那がそう零すと、息子と名乗った彼は後方にいた仲間たちに、若旦那様だってよ!と野次を飛ばす。

「おい嫁には言わないでくれよお前らっ!?」

「言いやしませんよ大将っ!女将さんの機嫌損なっちゃ、俺らも上手い飯にありつけやしませんからね!」

「応よ!言わねえ言わねえ!あの雪那様に若旦那様なんて言われて、一瞬でも頬が緩んでたかもしんねぇなんて、おいら達言いやしませんよ!」

「まぁ酒が入っててポロッと零しちまったら、そいつは目をつぶってくだせぇや。」

「お前らなぁ!!」

彼は小さく会釈をすると、直ぐに十人そこらの元いた集団の所まで戻っていった。

遠くなっていく背は、どこからどう見ても楽しげだ。

一人、派手な赤い髪をした彼以外は、この陽が沈みだす頃合いでも特に“色”を持つ人間には見られない。“色”を持たない彼らを恐れていた自分の目の前で、何事もなく肩を組み彼らに、雪那は見つめる。



自分と同じあまりにも特異な、髪と瞳に"色"を宿した存在を思い出す。

一人で逞しく生きる姿は、自分以上にきっと辛い目に合い続けてきたのだろう。だというのに、一切弱音を吐きこぼすことなく、毅然と振舞ってみせる。

"色持ち"が本来迫害を受ける、煙たがられるような存在であることをとても理解している様子からは、彼自身がそれを目の当たりにしてきた証拠とも言えるだろう。しかし彼は、自分とは違い“色”を持たぬものであろうと、持つものであろうと変わらず、そうまるで今しがた言葉を交わした林家の若旦那とその同僚たちのように、自然と接するのだ。

「私だけ、なんだ。」











氷室と名乗る男が療養室に入った時、何が起きてるのか全く状況がつかめなかった。

寝台から上半身を起こした、よく知るその彼が、未だかつて見た事のないような緊迫した表情を浮かべて、あの青髪の子供の胴に腕を回して、その腕により自由に身動きの出来なくなった子供がうめき声をあげ、男の腕を離させようと二人の青年が奮闘していた。

何が、どうしてそうなったのだろうか。

「離せ!離せ隈野郎!!俺はこんなカビくせぇ部屋でなんか寝たくねぇんだ!!」

「春原さん諦めて!!嫌がってるじゃないですか!!諦めて腕を!!怪我人の強さじゃない!!」

「往生際を知るべきです春原さん!貴方もう立派な大人でしょう!!子供みたいに駄々をこねないでください!!」

「……弥代。」

額に手を当てる。こんな展開は一切想像していなかった。

ある程度想像がつく展開であれば動揺も隠せるのだが、これは、流石に本当に想像していなかった。

一度深く息を吐いてから、口を開こうとした時だった。

「五月蠅いですよ!時と場所を弁えなさいな!!」

後方から自分の真横を目にも止まらぬ速度で通過した茶碗が、華麗に彼の額に直撃した。

ぐらつき体はそのまま寝台から雪崩落ちる。

「あーーっ!!春原さーーんっ!」

上手く抱き留める事も出来ず、子供の胴に腕を回したまま傾くので、子供を下敷きにするようになる光景は、とてもじゃないが目も当てられない。

「佐脇貴方、何故茶碗なんてもの投げたのですか。鈍器ですよそれ。」

「あんだけ騒げるならもう怪我人じゃないですよ彼。なので何も問題はありません。所で貴方、何をしにこちらに?」

「あぁ、そうでした。」






「大変な目に合わせたみたいですね。」

「いやお前も同じ目にあってみたら大変どころじゃねぇの分かるぜ?自分より頭一個ちょいでけぇ意識のねぇ男の体が乗っかかってくるんだぜ?たまったもんじゃねぇぜ…」

氷室が迎えにいった弥代は、先ほど離れた際よりも何故か怪我が増えたような様子で雪那の前に戻ってきた。

杷勿の用意した着物から昔から普段着として着用していたゆったりとした造りに着替えて間もなくの事だった。

「普段着っつーけど俺からしたらそれもまぁ上等なもんに見えちまうな。」

「弥代さんの先日までのあれは、その、何ともまぁ、…言葉にするのは難しい程でしたからね。」

「あれ?何か俺悪いことでもしたかな?」

黙々と氷室は二人の前にお膳を並べていく。

「いやぁ悪いねえっと、ひむろ、さんだっけ?俺こんないい扱い受けちまってさ。」

「杷勿様より客人としてもてなすようにと言われています。」

「あのババア、まともに謝りもしねぇでそういうことは口にするんだ。」

「立場がございましょう。そう易々と頭を垂れる事さえも許されないような御方です。」

「そりゃ随分な話だぜ。」

「冷めぬ内に、どうぞお召し上がりください。」



陽が完璧に沈んだ頃、屋敷の至る所では等間隔に設置された灯篭に火が灯される。

雪那が暮らす東の離れからもその灯りはとてもよく見える。

夜風は寒いだろうが、一月前に出会った頃に比べればそこまで寒くないだろうと、戸を開ける弥代だったが、この屋敷自体が大山の中腹に位置することもあり、陽も暮れれば季節を錯覚してしまいそうなほど冷え込むことを、昨晩の夜風と同じものを肌に感じて思い出した。

「寒すぎんだろうが!?」

「私が小さい頃から、いえこの屋敷が建った頃からずっとそうなのだそうですよ。」

「はーー夏前だってのに火鉢なんか持ってこられるわけだぜ、まじで寒いわ。」

こうして、風のない場所で面と向かって話のも、実に一月ぶりだ。

ゆっくりと話せたのはきっと、吉野で初めて会ったあの日以来だろう。

それからは野宿が殆どで、疲れも中々取れない日もあって、話すこともなく眠りについてしまうことが殆どだった。

「本当にありがとうございました。もう、随分と前の事のように感じてしまいます。」

「礼言われたくてやってるわけじゃねぇって。あ、いや、うん、初めて会った時もこんな事言ったな多分俺。」

「言われたような、そんな記憶が私にもありますわ。」


「酷い目に合われましたでしょう。てっきり嫌になってどこかへ行ってしまうのではないかと、私、弥代さんが寝ている間そんな事を考えていました。」

「酷い目は合ったぜ。でもお前が直接俺にしたことじゃねぇだろ。そんなんで中途半端にはいさよならんてしたら気分が悪いぜ。」

雪那は、弥代はよく気分が悪いと口にすることを気付いていた。

気分が悪いからどうだ、と言う機会が多いが、それはきっとただ素直に心配だからとかが口に出来ないだけのただの照れ隠しなのだろうと。

「私、本当に感謝しているんです。

弥代さんにはどうこの気持ちをお伝えしたらいいのか、本当に、本当に…。」

だからこそ

「ありがとうございます。」

自分がこれから取る行動で、弥代が本当に気分を害してしまうかもしれないと、そう思うと、雪那の胸はとても、とても痛んだ。

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