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第三の男 01

挿絵(By みてみん)


第2話 第三の男



 日曜日の昼下がり、焔山ほむらやま 陽葵ひまりと、あらしがおか 伊吹いぶきのふたりは、市営図書館で勉強をしていた。

 複数ある大テーブルの、一番端、窓側のテーブルに座っている。

 個室を使わないのは、伊吹いぶきが教科書や参考書をいっぱいに広げて勉強するスタイルを好んでいるからである。

 人もまばらで、図書館は快適ではあるが、喉が渇いたなどの、ちょっとした不便さも感じている。

 近所に住んでいるふたりは、どちらかの家で勉強すればよいだけなのだが……

 伊吹いぶきは、自室ではちょっと気が緩むというか、集中できない様子があり、かといって陽葵ひまりの家では、彼女の母親が、伊吹いぶきにかまって、ぜんぜん勉強が手に付かないのだ。

 期末試験は、もう少し後のこととはいえ、しばらくは伊吹いぶきの勉強を見てあげられていないという気持ちのあった陽葵ひまりは、こうして日曜日に図書館にやってきたというわけである。

 伊吹いぶきは、予習、予習と、先を進めるタイプではないが、復習はしっかりとしていて、模擬試験ではまんべんなく高得点をとっており、弱点のないように見える。

 理数に偏りがちな陽葵ひまりは、そんな伊吹いぶきを心の中でうらやましいと思っていた。


 中間テストのとき、ふたりは、知人であり、かけがえのない仲間でもある、五月雨さみだれ しゅうに勉強を見てもらっていたが、忙しそうにしている大学生の彼に、そう何度も頼むわけにはいかない。

 この国の最高学府と呼ばれる大学に通っているだけあって、彼の学力、また教え方もすばらしく感じていたが、頼りっぱなしが仲間とは思えない。

 彼自身は、いつでも大丈夫だよと笑ってくれていたが、勉強はテストの点だけではなく、自分の中で、どのように学ぶのかというスタイルを確立することが重要に思えるのだ。


 ふと見ると、テーブルに突っ伏して、伊吹いぶきが静かな寝息を立てていた。

 かわいい……

 小学6年生の彼は、生意気盛りとも言えるが、こうして寝顔を見ていると、天使のようだ。

 彼自身は、こんな風に形容されると知ったら、快く思わないだろうが。

 そう考えると、よけいに頬が緩んできた。

 成績優秀でも、体を動かすのが大好きな少年だ。

 でも、最近は、格闘技の道場に通い、精神性の重要さを学んだようで、非常に落ち着いてきたと感じる。

 『男子三日会わざれば刮目かつもくして見よ』とは本当だと感じる。

 口げんかが絶えないけど、頼れるなとも思えるようになってきた。

 『コスモス』での冒険は、彼によい影響を与えていると思う。

 ちょっと…… かっこよくなってきたじゃん……

 昨日は、午前中授業だったため、午後から友達と運動場でサッカーをしていたらしい。

 その疲れが残っているのかな。

 陽葵ひまりは、そっとブランケットを伊吹いぶきの肩にかけてあげ、自分は勉強に集中した。





 文部科学省 高エネルギー物理研究監理局 特別重要案件対策班

 通称、特待班(Special Task Force)。

「チーム・あかつき、ロスト……」

 管制官がそう叫んだ。

 明らかに落胆の色が見える。

「あれほどの猛者がか……」

 次長がそう呟いた。

 今日の責任者は次長が担っている。

 局長が、大臣と共に、国連会議に出向いているからである。

 二回目のダイブで、多大なる成果を上げた、ベテランと言われるべきチーム(グループ)が、全員戦闘不能となったのだ。

 この報告に、次長は、自席でこめかみを押さえていた。

 現実世界から、『コスモス』にダイブ中の人々にサポートできることはそれほど多くはない。

 しかし、最近は、この、人類の叡智えいちの結晶ともいえる特待班内の機器を通じて、内部に接続コネクトする技術が確立された。

 コネクトした担当者の状態は、言葉にするのが難しいのだが…… いわゆる精神体のような存在となってダイバーたちをサポートするのだ。

 コネクト中の担当者は、意識のない状態となっているのだが、コネクトを解除し、現実に帰還するさい、彼らは口をそろえて言っていた。

 意識が浮上するまどろみの中で、現実の数秒が、まるで数十分のように感じると。

 学者の仮説によると、『クロックを調整している』らしい……

 にわかには信じられない。

 ニューロンの速度を越えることなど考えられない。

 これではまるで……

 『コスモス』自体が、巨大な脳のようではないか……!?

 しかし、そんな禅問答をしている場合ではない。

 他国に抜きん出ているこの国の『コスモス』開拓が、ある一定を越えて、進まなくなったということだ。

 ダイブ三回目の一流パーティであっても、未知の土地で遭遇した、グレイベア一体に打ち倒されたというのである。

 最近はこのようなことが増え始め、ベテラン冒険者が不慮の事故で退場させられるケースが目立つようになっていた。

 『コスモス』内で活動限界を迎えることは、すなわち、『コスモス』からの追放を意味する。

 ダイバーたちは、それを『BAN』と呼んでいた。

 この国は、ここに来て、開拓の行き詰まりと、そして、ベテランを失う事態に陥っていたのだった。





 都心のタワーマンションの居住区最上階の一室で、ふたりの男がテーブルで対面しながら食事をしていた。

 まだまだエネルギーに満ちあふれてはいるが、髪の白いものが増えてきた男と、チーム・ガーランドメンバー、五月雨さみだれ しゅうであった。

「最近はどうかね?」

 国際的なコングロマリットの会長として、世界中を飛び回る男である。

 この部屋は、帰国した際に、息子と会話するために用意したものだった。

「変わりありません。学業に関しても、お父さんの期待に沿えるものと自負しております」

「うむ……」

 時には国の命運を左右するような、難しい選択をしなければならない立場の男でも、ひとり息子の前では口下手となるようであった。

「おぼっちゃまは、それはもう成績優秀であらせられるのですよ」

 食事を運んできた着物姿の女性が、そのように横から口を挟んだ。

 幼い頃から、しゅうの身の回りの世話をしていた、初老の女性だ。

 名前は雪代ゆきよさんという。

 母の居ないしゅうにとっては、母代わりといってもいいくらいの間柄ではあるが、しゅう自身は、それほど親というものに執着していない。

 めったに会うことができなくても、父の立場は理解できるし、母との別れは、それを実感できないほど幼い頃のことであった。

 ただ、母が旅立ってしまったことを、自分の代わりに泣いてくれた雪代ゆきよさんに対して、しゅうは信頼を寄せていた。

 しゅうの中では、母の旅立ちよりも、母を奪った病への嫌悪の方が強く残っている。

 なぜ、人間は不完全にできているのだろうか。

 なぜ、自然は、おなじ自然に生きる人間に辛く当たるのだろうか。

 それらは実は心の中で整理できている。

 もう納得済みだ。

 しかし、そのような自分の中にある弱さの克服が、彼のテーマであり、心を支えているものと言えるだろう。

 父に対するわだかまりもない。

 聞こえ来る父の偉業は、どれも合理的判断のものであり、なにより人の道からはずれていないと感じる。

 時間に追われるような立場であっても、日々熱心に学んでいることがうかがえる。

 尊敬している。

「いや、勉強は、そこまで重要なことではないと考えている」

 父は、雪代ゆきよさんが水を注いだグラスを持ちながら、しゅうにそう返事した。

「期待されていないということでしょうか?」

「う、うむ……」

 黙り込んでしまった。

 そんな父の姿を見て、しゅうはナイフとフォークの手を休めた。

「すみません、お父さん。意地の悪い言い方をしました」

 頭を下げる。

 父は昔から自分に甘い。

 政財界でも知らぬ者のないほどの大物だというのに、息子に負い目を感じているのだろう。

「いや、そうではない。頭を上げなさい」

 父はそう言って、しゅうに対面を促した。

「お父さんが、僕に、自由であって欲しいと願われていることは存じています」

 しゅうは、世界のトップエリートのテーブルに座る父の前であっても物怖じしない。

 それが親子というものなのだろう。

「僕はやりたいことをやらせていただいています。お父さんが日々身を粉にして働いていらっしゃるからです。感謝しています」

 言うべきことは言う。

 しっかりと言葉にする。

 これがしゅうの信条であった。

「ならば、それでいい……」

 父の表情は変わらない。さすが世界の指導者たちと渡り合わなければならない立場の男だ。

 しかし、しゅうには、その言葉の中に、優しさが含まれていることを感じていた。

「チーム・ガーランドと言ったな」

 突然父が核心をついてきた。

「非常に評価が高い。一刻も早く政府公認にせよとの声も大きい」

「聞いております」

「飲み込まれぬようにな」

「リーダーが、交渉に長けた人物です。だれかの良いようにはされないでしょう」

 ふたりの脳裏には、熾烈化しれつかする、各国の『コスモス』開拓競争を私利私欲に利用しようとする人物たちの姿が浮かんだ。

「我々は、“金”では動きませんよ」

 しゅうの目に力がこもる。

「わかっている。……だが、あまり金を嫌ってやるな」

「はい。ただ、金だけでは、病に苦しむ人を真に救うことはできません」

 父と息子であっても、経営者と大学生では、物差しの数が違う。

 本音でぶつかれば理解が深まるという単純なものではないのだった。

「会長、そろそろお時間です」

 部屋の入り口前で立っていた、背の高い女性が父に声をかけた。

 父の秘書のひとりだ。

 今日の帰国は、大手商社との調整目的であった。

 政府が関係する案件の為、会長自らが出てこなくてはいけなかったのだ。

「うむ」

 ゆっくりと食事を摂る時間も、息子と会話することもままならない人生で、父が求める地平はいったいどのようなものか。

 いつかゆっくりと聞かせて欲しいとしゅうは思った。

十六夜いざよい室長には、よろしくお伝えください」

 立ち会って準備をはじめた父に、しゅうはそう付け加えた。

「ん、秘書室のか……」

 そう言って、愛用の腕時計を締めた父は、一拍おいて、

「お付き合いしているのか?」

「まさか」

 即座にしゅうは否定する。

 父が忘れているはずがない。しゅうには、家が取り決めた許嫁いいなずけがいるではないか。

「大切な仲間です。頼りになる人物ですよ」

「そうか……」

 父はそのようにだけ返して、入口に向かった。

「よけいなことはしないでくださいよ」

 父の背中に、しゅうはそう投げかけた。

 図星だった。

 父の頭の中では、十六夜いざよい 紫苑しおん室長を、どこかの社長に据える算段が働いていたからだ。





 都心の一等地にある、フラワーショップ・ガーランド。

 店主である、東風こち けいがボストンバッグを抱えて帰ってきた。

「店長、おかえりなさい」

 若いスタッフたちが、けいに声をかける。

「ご苦労さん」

 けいはいつもの機嫌の良さそうな顔で店内に引っ込む。

 スタッフたちはけいの行動について把握していない。

 頻繁に海外に出かけているが、どのような用事なのか。

 だけど不満はない。

 この店は、政府や自治体からの大型受注が多く、経営は順調だ。

 給与も好待遇である。

 また、けい目当てで、人気アイドルや女優が、お忍びで来店することも多い。

 スタッフたちには夢のような職場であった。


「ふー」

 2階の店長室にボストンバッグを置くと、けいはエスカレータに乗って地下に降りた。

 地下2階、3階の駐車場を越えて、その先、関係者以外出入り禁止の地下5階で降りる。

 そこは、彼のラボであり、チーム・ガーランドの秘密基地でもあった。

月子つきこさん。帰ったよ」

「あら、体を持つって鈍いのね。転送装置でもつくったらどうかしら?」

「人類には早い技術だな」

 けいは笑いながら、椅子に座ってネクタイを緩めた。

 スピーカーから聞こえてくる声。

 会話の相手は、この基地のAIエージェント『Monday』、通称月子つきこさんだ。

 月子つきこさんとは、海外でも、移動中でも会話を続けている。

 常に人間に寄り添うのが、AIの役目だ。

 優秀なAIである彼女(?)は、人間が家に帰るということの意味を理解している。

 彼には、普段生活をするための立派なマンションがある。

 それなのに、なぜ真っ先にこの花屋へと戻ってくるのか。

 その行動に込められた理由を、彼女は考えた上で会話をしているのだ。

「それで、俺の友人はどうだった? とても優秀だっただろ?」

 冷蔵庫からペットボトルの水を取り出して、歩き飲みしながら椅子に戻る。

「いや~、やっぱ軟水よな」

「おほん。水の手配が私の仕事だったのかしら?」

「あ、自分から話を振っておいてすまなかった。それで、インセンはどうだった? 優秀だっただろう?」

「インセン博士は、非常に優秀な方でしたね。私も久しぶりに楽しく議論ができたわ。私を満足させられる。それは優秀と言っても差し支えないということよ」

「まわりくどいな」

 けいはそう言って苦笑したが、実は月子つきこさんを強く評価していたのは、世界最高の頭脳と言われるインセン博士の方であった。

 月子つきこさんの自信は確かだ。

「いま、めんどくさい女って思わなかった?」

「人間よりも人間らしいって思ったんだよ」

 気付けば、けいはペットボトルを1本飲み干していた。

 よっぽど喉が渇いていたのだろう。

「それで。けいは私を他の男に見られても平気だったのかしら?」

「ははは」

 力なく笑ったと思えば、けいは空のペットボトルをテーブルに叩きつけた。

「けっきょく!」

 けいは立ち上がり、基地内部のメインカメラに向き直って、大きく手を開いてみせた。

「世界最高の頭脳を持ってしても、君を解析できなかった!」

「……」

 月子つきこさんは何も言わない。

「インセンとは長い付き合いだが、これほどまでに興奮した彼を見たことがない」

 けいは額に手を置いた。

 彼の長い髪。ポニーテールのサムライヘアーが揺れる。

「科学者たる彼は、君を、『神の御業みわざ』とまで評していた」

 別のカメラに視線を移す。

月子つきこさん、君は、世界最高の頭脳と呼ばれる男を壊してしまった」

 さらに別のカメラに視線を移す。

月子つきこさん、彼は最後に俺にこう言った。『“アレ”は、科学の可能性である』と、そして」

 けいは頭を垂れた。

「そして……、『いますぐ破壊しろ』と……!」

 けいは気持ちを吐き出したからか、少し冷静になったようだ。

「すまない…… 君にあたってしまった」

 冷蔵庫から、別のペットボトルを取り出す。

 彼のお気に入りの軟水だ。

「私は、花屋を繁盛させるためのAIだわ」

 スピーカーから流れる、月子つきこさんの声からは感情がうかがえない。

「自分よりも高度な自分を創り出すことができる。インセンは、すでにシンギュラリティを超えていると言っていた」

 ごくごくと2本目の水を飲む。

「『知能爆発インテリジェンスエクスプロージョンは、電子の世界で静かにはじまっていた』 この言葉を残して、彼はアカデミアを去ってしまったよ」

 彼は、どかっと深く椅子に腰掛けた。

 ふだんの紳士的な彼には見られない態度であり、疲れが見えた。

月子つきこさん…… 君はいったい何者なんだ? 俺たちは、なにを持ち帰ってしまったんだ?」

けい、あなたの心拍、発音から、強いストレスを感じるわ。私は心理学もマスターしているのよ。いますぐゆっくりと休んで旅の疲れを癒やしなさい」

「そうだな。すまなかった。休ませてもらうよ。この話はまた今度」

 そのように言ってから、彼はエレベータに向かった。

 彼の背中に、月子つきこさんは付け加える。

「それに私を破壊するって、どうやって? 私は、この星すべての機器の中にいるのよ」





「あ」

「おう」

「奇遇じゃん」

 図書館からの帰り道、駅前の大型モール前で、陽葵ひまり伊吹いぶきは、叢雨むらさめ あざみとばったり出会った。

 『コスモス』の内部のように、特殊な力がお互いを引き寄せたわけではない。

 あざみは、ファストフードのジュースらしいカップを持っている。

「なに? 休みの日もスキピと一緒にいる感じ?」

「そんなんじゃ!」

「図書館で勉強してたんだ」

 真っ赤になる陽葵ひまりをよそに、伊吹いぶきがそう応えた。

 それにしても、中学生と高校生ではこうも違うのかと陽葵ひまりは、あざみの姿を見てそう思った。

 あざみは、いわゆるギャルファッションで着飾っていた。

 とはいっても、制服のようなミニスカ、かわいい系ではなく、落ち着いた色合いのコーディネイトで、スキニーパンツを履いている。

 さすがに自信があるのだろう。細くて長い足だ。

 自分の地味な姿を見て、気後れしてしまう。

 でも、お母さんにこれ以上無理言えないし。

 ファッションを楽しむのは高校生になってからと気持ちを切り替えた。

「うちはバイト帰りなんだよね」

 『コスモス』の中とは言葉も違うように感じる。

 姿も全然違うしね。と、陽葵ひまりは笑ってしまう。

「どっか寄ってく?」

 薄めメイクのあざみが、そのあたりに見える喫茶店を見回してそう言う。

「いえ、私たち、手持ちがなくって」

 申し訳なさそうに陽葵ひまりが言うと、

「なんだ。遠慮するなよ。出してやるし」

 紙コップをゴミ箱に捨てて、あざみはそう言った。

「でも、悪いですし……」

「なんだよー 遠慮するなしー 水くさいなぁ ……あ、そだ」

 あざみはなにかを思いついたように手を叩いた。

「じゃあ、ガーランドでなんか飲ませてもらっちゃおうぜー」

「あそこ、喫茶店じゃないんだけどな」

 あざみの提案に、陽葵ひまりは苦笑いする。

 しかし、実際のところ、友達と約束ない放課後はガーランドでお茶を出してもらったりしているのだ。

 いまさらという気もする。

 けいからは、『いつでも来ていいよ。遠慮するな』と言われている。

 趣味の楽器演奏の聞き役がほしいのだろうか。

 店のスタッフにはそんなことできないだろうし。

 歳は離れていても、やはり友達だと感じる。

 そんなときだった、陽葵ひまりあざみのスマートフォン。伊吹いぶきのスマートウォッチが、一斉にアラームを鳴らした。

「おお」と伊吹いぶきが目を輝かせる。

けいさんからだ」

 陽葵ひまりは、ちょうどいま頭に思い浮かべていた人からのメッセージに驚いた。

 しかし、その音はチーム専用のものであり、そして、そのアイコンは『花束』である。

 これは、3人にとって特別な意味を持っている。

「ブーケ(招集)投げられちゃったか」

あざみさん、いまいける?」

「もちOK」

 3人は、目的地をフラワーショップ・ガーランドに決め、歩き始めた。





 都心のタワーマンションの居住区最上階。

 父を見送った後、食事を終えたしゅうが、出かける準備をはじめていた。

雪代ゆきよさんは、どうされますか?」

 しゅうがそう聞く。

「私は、こちらをもうすこし片付けてから帰ることにいたします」

 めったに使われることのない部屋であっても、いつもきれいにしておきたい。

 そのように考えているのだろう。

「わかりました。では僕はいったん寮に戻ってから、帰るようにします」

 帰るとは言っても、どこにであろうか。

 彼のためだけに、都心にいくつもマンションが用意されている。

「承知しました」

 雪代ゆきよさんがそう頭を下げた瞬間、柊のスマートフォンがアラームを鳴らす。

 画面に映ったアイコンを見て、しゅうはすかさずテーブルの上に置いていたノートPCのスイッチを押した。

 即座にレジュームから復帰する。

しゅうおぼっちゃまも、お忙しくていらっしゃる」

 しゅうは、雪代ゆきよさんの言葉にばつの悪そうな顔をするが、内心では高揚している。

「予定変更です」

「こんなスケジュールをこなしていらっしゃるのであれば、だんなさまの代わりをお務まりになりますわね」

「無理でしょ」

 しゅうは笑う。

「あの人は人間やめてますよ。秒単位でスケジュールが入っている生活はしたくありません」

 雪代ゆきよさんの冗談とも言えない言葉に返答しながら、しゅうは、『今日のダイブは、紫苑しおんさん次第かな?』と考えていた。

 それでも、急いでノートPCを鞄に入れる。

 すべてに恵まれた彼にとって、大切な仲間との冒険は、何物にも代えがたい時間なのだろう。





 フラワーショップ・ガーランド地下 チーム・ガーランド基地

 参集は最後になったが、意外にも、紫苑しおんはやってきていた。

「遅くなりました」

 そう言って入ってきた。

 今日はいつものタイトスカートとは違っていたが、それでも着こなしに隙のない、バリキャリオーラ全開の知的美女であった。

「移動中に、ブリーフィングの内容は月子つきこさんから共有いただいたわ」

「はなしがはやくて助かる」

 けいはそう言って、空中映写されている巨大モニターの前にたった。

 しゅうはとくになにか言ったわけでもないし、じろじろ見たわけでもない。

 しかし、彼の横に座った紫苑しおんは、

「会長が、グレーをお好みだと聞いたので」

「父はそんなことでプラスマイナスする人ではありませんよ」

 いつものダークスーツではなく、少し明るい印象がする紫苑しおんの服装の理由に、しゅうは苦笑した。

 しかし、即座に、『相手の好みをリサーチすることは悪いことではないし、特に秘書室はそういうことを気にするのかもしれない』と考えを改めた。

「さて、みんなの意見を聞かせてもらいたい」

 けいはそう言った。

 いつも安全を気にしている人ではあるが、今日は特に慎重な様子だ。

 それもそのはずである。

「カテゴリ3。まだ突入して誰も成果を上げたことのないゲートだ」

 伊吹いぶきと目が合う。

 聞くまでもない。

 少年の瞳は輝いていた。

「前回よりもさらに奥地に突入する可能性が高い」

「いままでのカテゴリ3の記録は提供されていますか?」

 しゅうがそう言うと、すかさず彼のノートPCにデータが送られてきた。

 文科省の収集したデータが、依頼内容としてチームに共有されていたのだ。

「ありがとう月子つきこさん」

 しゅうはそう言うと、データと書類を見渡しながら、険しい顔をする。

 カテゴリ3への突入は、政府が知る限り8回。

 特別重要案件対策班が発足する前の突入があったとしても、成功しているとは考えられない。

 成功の定義とは、開拓拠点との接続ポイントを発見する。

 簡単に言えば、マッピングだ。

 そして、ロスト・ロジックと呼ばれる、超常技術の持ち帰りである。

「すべて、惨憺さんたんたる有様ですね……」

 しゅうは、莫大なテキストデータを読んで、いままでのカテゴリ3突入がどのような結果となったか確認した。

月子つきこさん、生データは確認しました。冒険者の証言から、気温の予測と、地面、特に植物の特徴をまとめてもらえませんか?」

 しゅうが、そう言い終わると同時に、彼のノートPCに、リスト化された情報が送られてきた。

「さすが、仕事がはやい…… 月子つきこさんがいれば、秒単位で働く人を休ませてあげることができるかもしれませんね」

「モンスター情報はまとめなくていいんですか?」

 陽葵ひまりしゅうにそう言い終わるやいなや、彼女のスマホに月子つきこさんからまとめられたデータが送られてきた。

「あ」

 陽葵ひまりは熱心にそれを見始める。

 タンクとしての役割を持つ者としての、彼女の関心事だ。

 メンバーの誰もが陽葵ひまりを頼もしいと思っている。

「そちらは全部確認済みだよ。いままで戦った相手の上位種と考えられるものばかりで、我々の連携なら、理論上、充分に制圧可能だ。でも……」

 そう言って、PCの画面から目を離し、しゅう陽葵ひまりに視線を変えた。

「頼りにしてるよ」

「はい……」

 その重責を真正面から受け止める、決意のこもった返事を陽葵ひまりはした。

「上位種であれば、特殊アビリティや、魔法攻撃をしてくることが予想されるわね」

 紫苑しおんが自分のタブレットに移るデータを見ながらそう言う。

「まず間違いないでしょう」

 しゅうは、悲観的にも楽観的にも考えていない。

 仲間を信じて自分のできることをやるのみであるし、なによりも、

「未知のモンスターであれば、いまの段階で対策は不可能です」

「そうね」

 紫苑しおんも同意した。

「そこでだ」

 けいはみんなの顔を見渡し言葉を出した。

「率直な意見が欲しい。かつてないダイブになるだろう」

「いままでだってさ」

 ラメラメにデコられたスマートフォンの画面を見ながら、あざみが答える。

「ラクショーってわけじゃなかったじゃん」

「そうだよ! 余裕なんかぜんぜんなかった。いつも全開でいったから、ここまでやれてこれたんじゃないか」

 伊吹いぶきが立ち上がって、大声を出す。

 その、あまりの熱苦しさと、隠しきれないワクワクした表情に、メンバーの誰もが『やっぱり小学生だな』と苦笑した。

 室温が上がった気がした。

「いつかが今日になっただけ」

 陽葵ひまりが静かに闘志を燃やす。

「前回は、あまり役に立てなかったと反省していたところよ」

 紫苑しおんが静かに言う。

 『まさか…… あんな広範囲にDEBUFFを、しかも複数展開できるだなんて聞いたことがない』

 けいは心の中で呟いたが、それを口に出すことはしなかった。

 彼女なりに、期するところがあるのだろう。

「よし」

 かつらが手を叩く。

「初のカテゴリ3踏破パーティになりに行くか」

伊吹いぶき

 あざみが声をかける。

「ぃよっしゃーツ!!」

 椅子から立ち上がって拳を突き上げる伊吹いぶき

「チーム・ガーーーーーランドぉーー」

「「「「「団結ユニティ!!」」」」」

「いっちょ伝説残しちゃいますか」

 余裕でも強がりでもなく、淡々と言うあざみを横に、けいはにやりと笑った。

「さあ、新しい花を探しに行こうか」


本作はフィクションです。

実在する人物、団体、事件などとは一切関係ありません。

あくまで空想の物語としてお楽しみいただければ幸いです。

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