誰がために鐘は鳴る 02
ニードルウルフの群れを撃退した6人は、キャンプ地で夜を明かし、目的である『タカネ』への移動を再開させていた。
未開拓の樹海は深く、当然まっすぐに進むことができるわけもない。
川や崖を越え、いくつもの迂回を余儀なくされる。
山向こうとはいえ、おいそれとは到着できない道のりだ。
それは、大自然の厳しさと人間の小ささをまざまざと突きつける行程だったが、6人の足取りが重くなることはなかった。
ローレルの適切な休憩指示による恩恵も大きいが、なによりも、この電子の海『コスモス』では、現実世界とは別次元といえるほどの強靱な肉体を得ることができるからだ。
危険なのは、むしろその『万能感』にある。
初めてこの世界に降り立った時の、重力から解き放たれたような開放感。それに飲み込まれ、現実への帰還を拒んだり、あるいは現実に戻っても気持ちを切り替えられず、事故を起こすケースが多発していた。
政府が管理に乗り出したのは、そのような理由もある。
突入許可証保持者、いわゆるダイバーたちに、何よりも『精神の安定性』が求められるのはこのためだ。
一般人の知らぬ水面下で、各国によるこの世界の獲得競争が繰り広げられている中、外国ではダイバーに精神性より体力を優先する国もあるというが、この国のアプローチは異なっていた。
先頭を行くサンは、数時間にも及ぶ進行、途中で恐るべきモンスターとの戦闘があったにもかかわらず、心地よい緊張感を保ち続けていた。
このような、愚直ともいえる真面目な姿勢こそが、メンバーから絶大な信頼を置かれる所以である。
盾の先で巧みに木々を払い、足下に注意し、なるべく音を立てずに進んでいく。
6人は険しい森を進みながら、無駄な言葉こそ交わさなかったが、背中越しにお互いが“そこにいる”という確かな信頼感を覚えていた。
やがて、視界が開けた場所に出た。かなり大きな林冠ギャップ――木漏れ日が差す休憩ポイントだ。
ローレルは小さく息を吐き出して、帽子のつばを持ち上げた。
「少し休憩しよう」
その判断は適切だ。未知のエリアの進行には、慎重さが求められる。
ただ力強く進めばよいというわけではない。
疲労はないはずのサンだが、即座に森の死角への警戒を残したまま、腰を下ろした。
同じく休憩に入ったストームが、水筒から水をごくごくと勢いよく飲んでいるのを見て、彼女は眉をひそめた。
「飲み過ぎるとお腹タプタプになっちゃうよ」
「へーい。おばさんと違って、サンは細かいなぁ」
「なんですって! お母さんがアンタに甘すぎるだけよ」
サンが頬を膨らませる。その様子は、巨大な鎧を纏っていても、どこにでもいる姉弟の喧嘩のように微笑ましい。
そんな二人を横目に、ローレルのまわりにホリーとアスターが集まっていた。
「マッピングはどうだ?」
「順調です」
ホリーが空中に展開した光の地図を指先で操作する。
「何度も星の位置と合わせて確認したけど、間違いないわ。ホリーのマッピングはいつもエクセレント・クオリティね」
アスターが、眼鏡に指を添える。
ホリーは褒められても、ことさら謙遜はしない。
淡く微笑むだけだ。
実際に彼の空間把握能力は、他国が好待遇で勧誘に来てもおかしくない最高レベルである。
だが、ホリーがここにいる理由は、自身の能力を誇示するためではない。
自分と同じ水準の能力と志を、ガーランドのメンバーに感じているからだ。
これぐらいできるからこそ、このメンバーの一員でいられる。
しかし、それは二番目の理由に過ぎない。
本当は、彼はメンバー全員が好きなのだ。
背中を預けられる実力を知っているが、それ以上に魂の相性の良さを感じている。
お互いにプロフェッショナルでありながら、最後の最後に信じることができるのは、『好き』という感情があってこそだ。
それは、『仲間』という意識や、『友情』と呼べるものなのかもしれない。
ソーンは、みんなと少し離れた位置に座っていたかと思えば、ふっと陽炎のように消える。
消えたと思えば、また別の木陰で休んでいる。
神出鬼没。
休んでいる時は、愛用している赤黒い短剣、『皇太子の爪』の手入れをしていたり、リラックスしているように見える。
しかし、その気配は常に周囲の影と溶け合っていた。
最後の一人としてチームに加入したソーンであったが、その持ち前の性格ゆえか、すぐにメンバーに馴染んでいた。
彼女の単独行動が許されているのは、リーダーであるローレルに逐一念話で報告を入れていること、そして何より、彼女の斥候能力に誰もが一目置いているからだ。
ソーンは、またみんなと離れた位置に座って、頭のホワイトブリムならぬ、黒いヘッドドレスを締め直していた。
ローレルが、みんなの靴底の減り具合を見て回り、そろそろ出発するかと考えていたときだった。
「ホリー!」
アスターの鋭い声。
「ええ、感知しました」
ホリーがメイスを握る。
「どうした?」
「攻撃魔力が使用されました」
「ソーン!」
ローレルが叫ぶ。
「りょ!」
ソーンは短く答え、一瞬で姿を消した――かと思えば、遥か頭上、大木の高い枝の上に現れた。
「3時の方向、魔法の光! ってか、剣が空を切る音……足音多数……四本足、ニードルウルフだ! どっかのパーティがガチヤバっぽい!」
ソーンの報告は的確だった。
人間といっても、この世界に存在していると言われているエルフやドワーフの可能性もある。
しかし、ソーンが「ダイバーのパーティ」と断言したのであれば、間違いない。
「6体は少なすぎると思ったが、俺たちは誘導で、あっちが本命か!」
ローレルはとっさにリュートの弦の張りを確かめた。
「ガーランド、ユニティ!」
全員の支度は、号令の前にもうできていた。
「「「「ユニティ!!」」」」
「陣形を崩すな!」
小回りのきく片手斧を持った大男が、血を吐くように叫んだ。
「わかってるって!」
いつでも短剣を抜けるよう気にしながら、背の高い男が弓を射る。
この世界では、銃器と弓は同等の存在だ。その人の資質によってスタイルが変わるだけである。
ニードルウルフの群れが唸り声を上げ、彼らのパーティとの距離を詰めようと、右へ左へと体を跳ねさせる。
「ぐるるるる……」
彼らの膝下ほどのサイズしかないオオカミ型モンスターだ。
しかし、その数は20体を超えている。
鋭い牙と爪は、鋼鉄さえも引き裂く。
屈強な戦士でも1対1で戦えるかどうか。
しかも、中には魔法のごとき遠隔攻撃を仕掛けてくる特殊個体も混じっている。
彼ら6人組は、追い詰められていた。
「ちゃんと正規ルートを進んできたっていうのに!」
「泣き言はあとにしろ!」
男たちが大声を張り上げる。焦燥感は隠しようもない。
弓を射る男の横で、別の男がようやく魔法の詠唱を完了した。
魔法に目覚めた者が一様に口にするのは、頭の中に何らかの『スイッチ』あるいは『ドミノ』が見えるという感覚だ。
それを繋ぎ、押し、引き、倒すことによって、魔法が発動する。
「いくぞ!」
魔法使いの男が叫び、3回目の魔法を発動させた。
電球のような白い光を放つ炎の玉が、群れに向かって発射される。
着弾。
魔法の威力は絶大だ。数体を焼き払い、ダメージを与えることには成功した。
だが、決定打にはならない。
「しまった!」
爆発が、視界を遮るほどの土埃を舞い上げてしまったのだ。
モンスターの動きが見えない。
とっさに男たちは感知能力を最大に上げ、煙の中の殺気に神経を尖らせた。
「があああああ!」
完全に不意を突かれた。
先頭に立っていたリーダーの大男に向かって、一匹のニードルウルフが影から飛びかかったのだ。
(なんとか仲間だけでも!)
左腕を盾にし、モンスターが腕に食らいついた瞬間に首を刎ねる――大男は片腕を失う覚悟を決めた。
しかし、モンスターは甘くない。ニードルウルフの牙にかかれば、丸太のような腕など一瞬で噛みちぎられるだろう。
絶体絶命。
最後という感触が迫った、その時だった。
ドッ!!
目の前まで迫っていたモンスターの体が、真横へ吹き飛ばされた。
その時は全く気付かなかったが、後から思い出せば、一陣の風を感じたような気がする。
「マジごめん! 待たせた!」
大男の目の前に、いつの間にか少女が立っていた。
黒衣を纏った幼女だ。
まがまがしいデザインの短剣を逆手に構えている。
いつ? どこから? どうやって?
大男は混乱したが、長年の戦闘経験が、まず仲間とのフォーメーション確認を優先させた。
「A! M!」
「いける!」
「位置を戻した!」
大男の後方に立つ二人が叫ぶ。
彼らが織りなす三角形のさらに後方に、治癒担当らしき男が目をつぶって集中している。
このような状況でも冷静に、HoT(持続回復)に集中している。
これこそがヒーラーの適正であり、ヒーラーの適性を発動させた者の素養であろう。
心臓の鼓動に合わせるように、癒やしの力が体内から湧き上がる感覚を覚える。
治癒担当者は、瞬時に3人の状況を判断し、回復魔法を使用していた。
次のニードルウルフが飛びかかってくる。
一瞬、モンスターの中に戸惑いが見えた。
人間が思う以上に知性を持っているのかもしれない。
現れた時と同様に、突然少女が消えた。
まるで自身の影の中に溶けてしまったようだ。
だが、今の少女……可憐に見えたが、その影の中に、得体の知れない赤い瞳の輝きを見た気がした。
そんなことを考えている場合ではない。飛び込んできたニードルウルフに迎撃の構えをとる。
その時、目の前まで迫っていたモンスターが、空中で突然悲鳴を上げてのけぞった。
「ぎゃん!」
見えない壁にぶつかったように、弾き飛ばされる。
(これは!?)
高位の治癒師が使用する、防御結界か?
確かにモンスターを弾いた見えない壁だが、“内側”にいる彼には、爽やかな風として感じられる。
本当に存在するのか疑うほど自然な、しかし強固な守り。
そんな驚きを感じていた大男の左側を、戦車の砲撃のような衝撃が走り抜けた。
地面がへこむほどの圧力。
透明な壁は確かにそこにあるのに、衝撃の風が渦巻いて、モンスターの一団に降り注ぐ。
「みなさん、ご無事ですか?」
土煙の中から現れたのは、先ほどとは違う少女だった。
大男の家で待っている、自分の娘より年下に見える。
鈍く光を放つ鎧を装備し、大型のヒーターシールドを構えている。
いまはそのような余裕はないが、よくよくその装備に注目すれば、さまざま位置に『ひまわり』を模した意匠が施されていることがわかっただろう。
続いて、新たな風が流れてきた。
轟音の中から少年が飛び出してくる。
「おじさんたち、もう安心だよ!」
少年!? しかも少女よりもさらに幼い。
道着姿の少年だ。
「ストーム!」
「おう!」
少女が手に持つ大型の盾を構え、魔物の群れに突進した。
(これは!?)
防御型ファイター、タンクの持つチャージスキルだ。
構えた盾と共に、まさに徹甲弾のように放たれたそれは、魔物の群れのど真ん中を貫通した。
盾の接触面だけの衝撃ではない。
衝撃波によって広範囲のニードルウルフが吹き飛ばされる。
「おぉうりゃー!!」
続いて大きくジャンプした少年の跳び蹴りが、モンスターの一体に命中する。
そのモンスターは、まるで砲弾のように吹き飛び、群れの最も後方まで転がっていった。
「うぉりゃーー!」
少年の右手フック。
短いリーチのはずが、空気が歪み、離れた敵を殴り飛ばす。
「きゃいん!」
ニードルウルフが、鉄棒で殴られたようにきりもみ回転しながら飛んでいく。
「うぉーーーー!!」
群れの中心で、少女が右手の剣を空に向けて大声を上げた。
少女の高くて細い、可愛らしい声だ。
しかし、モンスターたちは明らかに苛立ち、敵意むき出しの様子を見せた。
(……ヴォークか!)
戦闘系の一部の人間からはそう呼ばれている、タンクの持つスキル、【挑発】だ。
それは雄叫びのようだが、神秘の言霊を宿した超古代語の一種と言われており、自分を認識している敵対者に強制的な敵意を与える。
今、目の前で、モンスターのターゲットが自分たちパーティから、彼女ひとりに変更されたのだ。
ニードルウルフの鋭い爪を盾で防ぎながら、少女は剣を振るう。
その攻撃はダメージよりも、敵の位置変更や、動作の流れを乱すためのものに見える。
「うぉりやーっ!」
いつの間に飛び上がっていたのか、上空から少年がモンスターの頭にかかと落としを当てた。
「ぎゅあ!」
悲鳴を上げて、モンスターは仲間の後ろに隠れる。
なんという攻撃だ。
まるで流れるように連携し、一瞬を見逃さず、打ち込む。
同じファイターでありながら、大男はそこに近接攻撃の真髄を見た気がした。
大男が、危機的状況の中で感動すら覚えていたその瞬間、視界がふいに暗くなった。
大きな雲の下に入ったわけでもないのに、なぜ?
貧血か? いや、違う。
男は、その暗い視界の中に、無数の星を見た。
天文学に興味のない自分ですら知っているような星座が、白昼の森に浮かび上がる。
(魔法?)
少女と少年は、その輝きを合図にしたかのように、同時にバックジャンプした。
素早く結界の中へ待避する。
ドーーーン!!!!
「AoE(範囲魔法)だと!!??」
Mが叫んだ。
複数体、もしくは一定の範囲にダメージを与える広範囲魔法。
そんなもの、今の今までお伽話のものだと思っていた。
モンスターの体毛が一斉に燃え上がり、数頭のニードルウルフが地面を転げ回る。
(今なら倒せるか!)
大男が踏み出そうとした瞬間。
「行くな!」
背中から鋭い声がかけられた。
羽根つきの幅広帽子をかぶった男。
ローレルだ。
「ファランクスだ!」
大男が目を凝らすと、オオカミたちはのたうち回る仲間の後ろで、整然と陣形を組み直していた。
危ないところだった。とどめを刺そうと飛び込んでいたら、今頃餌食になっていただろう。
「簡単に逃がしてくれなさそうですね」
別の男の声。
細かく調整されたブレストプレートを装備し、手にはメイスを持っている。
治癒師のようだが、信仰を感じさせるようなものはない。
ホリーが静かにローレルの横に並ぶ。
「ああ……側道からの奇襲は?」
「ソーンが完璧に防いでいるわ」
女性の声が事もなげに言う。
こんな森に囲まれた山道にそぐわない、都会的な派手な色合いのフリルドレスを着ている。
眼鏡の奥にある切れ長の瞳は、知性の輝きを放っている。
(魔道士だ!)
直感した。
アスターがホリーの横に現れていた。
「さすが、影を征く者……」
はじめに出現した男が言う。
リーダーらしきその男の言葉は、賞賛と、どこか畏怖の念が含まれているように思えた。
「加勢助かる! しかし数が多すぎる!」
大男は叫んだ。
目の前で繰り広げられた秘技の数々に感動してはいたが、依然として絶望的状況であることに変わりはない。
「物資狙い……だな。モンスター側にも、我々に開拓されては困る理由があるのだろう」
「まさか、モンスターがそんな戦略を?」
「すまない。こんなときに余計なことを言ったな。無事逃げおおせてから話をしよう」
ローレルが視線を配る。
「アスター」
「ええ、地道に数を減らすしかないけど……」
「その前に」
ホリーが応える。
「こちらの体力が尽きるわね」
アスターがホリーの言葉に続く。
「なんてことだ!」
Aが頭を抱えた。
助かったと思った直後に、助けに来た手練れ達が「ジリ貧だ」と言っているのだ。
希望から一気に突き落とされた気分だった。
「なんとかならないのか!」
Mも同様に焦っていたが、まだ杖を握る手は緩めていない。
この陣形を突破されれば、一瞬で全滅だ。
「やるしかない! ってことだろ!!」
前線のストームが吠えた。
「ちょっとあんた!」
サンは、両の拳をぶつけてやる気のストームを諌めようとしたが、少年の耳には届いていない。
彼女はローレルに向き直った。
「ローレル!」
「ストーム、どうする?」
こうしている間にも、ニードルウルフはこちらを伺い、じりじりと包囲網を縮めてくる。
見えない壁である治癒師の結界も、万能ではない。
「時間をくれ!」
そう叫んだストームは、全員の先頭に立ったかと思えば、腕を胸の前でクロスさせ、大きく息を吐いた。
そして、目を閉じる。
目に見えない。何も感じない。
しかし、全員には、道着を着た少年の周囲に複数の円が回転し始めたような錯覚が見えた。
「吹けよ嵐! 呼べよ嵐!」
少年は叫ぶと、一切の攻撃、防御の型を捨てた。
腕を重ねた姿勢のまま、敵の目の前で完全な無防備となる。
「いつも無茶を!!」
サンは叫びながら、少年の前に躍り出た。
大盾を構える。
少年めがけて飛びかかるニードルウルフを、タンクのスキル【シールドバッシュ】で次々と打ち落とす。
シールドバッシュの連射など聞いたことがない。
しかし数が多すぎる。
一匹の爪が、防御をすり抜け少年の頬を裂いた。
だが、少年は微動だにしない。
大怪我に見えた傷が、瞬く間に光に包まれて塞がっていく。
ホリーが集中治療を彼一人に注ぎ込んでいるのだ。
結界を維持しながら、単体回復を回す。恐るべき並列処理能力だ。
アスターも、攻撃魔法から阻害魔法に切り替えていた。
モンスターの攻撃が明らかにおかしくなる。
目測が狂い、ジャンプ攻撃が盾の少女に届かない。
動きも水中にあるかのように緩慢になった。
物理命中ダウンと運動能力低下の“同時がけ”だ。
信じられない連携が、今、目の前で行われている。
「んんんー……♪」
ローレルがリュートをじゃんと鳴らし、ハミングを始めた。
「バ、バトルボイス!?」
超常の力を持つ者の中でも希少な、支援の力を持つ『バッファー』の存在。
パーティに喉から手が出るほど欲しい人材が、ここにいた。
大男は、まるで神話の戦いを目撃している気分だった。
やがて、少年の足下から突風が舞い上がる。
彼を守る盾の少女ですら、その風圧に煽られ、短いスカートがひらひらとはためく。
「ああ、もう、若い娘があんな姿で戦場に!」
大男は、家で待つ娘を重ねて嘆いたが、事態はそれどころではなかった。
少年から発せられる風は、いまや暴風と呼ばれるまでに成長し、モンスターたちを怯ませていた。
しかし、それでも敵は諦めない。
これだけの数だ。「人間を排除する」という強い意志が共有されている。
少年の風は空高く舞い上がり、バチバチと雷光さえも発生し始めた。
(これは!?)
大男は思い出した。
格闘タイプのファイターの中でも、ごく一部の選ばれた者のみが開眼するとされる、スペシャルアビリティ。
【集中】だっ!!!!!!
そして、その時は訪れた。
雷さえも発生させていた風が、突然、ピタリと止んだのだ。
完全な静寂。
「……目に、入った」
サンが呟き、バックジャンプした。
パーティメンバーの元に戻った彼女は、自分たちが加勢に入ったパーティに、初めから違和感を覚えていた。
それが、今、近くに戻ってようやくわかった。
このパーティには、ダイバー開拓団にはそぐわない、幼い少女が紛れていたのだ。
少女は、傷を負って陣形の中心で守られていたタンクである男の傍らで、膝を抱えて座っていた。
「入って!」
サンは叫ぶと、タンクである男と少女の前に自分の盾を突き立てた。
ガキン! と硬質な音が響くと同時に、盾に描かれたひまわりが黄金に輝き、暖かな光のドームを作り出す。
少女は、姿勢を低くしたサンの腰にぎゅっとしがみついた。
その頃。
これは夢ではないかと思い始めた大男の目の前で、ストームが閉じていた目を、カッ! と大きく見開いた。
その瞳には、雷光が宿っている。
「風よ! 光よ!」
少年が膝を落とし、拳を引いて構える。
彼が放とうとしているのは、ただの『正拳突き』だ。
しかし、それはスペシャルアビリティによって数十倍、いや数百倍に増幅され、さらに吟遊詩人の歌、治癒師のリジェネレイトまで受けている。
肉体の限界を超えた一撃であることは火を見るより明らかだ。
嵐の止んだ隙を突いて、一斉にニードルウルフが飛びかかる。
モンスターもこの隙を狙っていたのだ。
なんという敵意。
「一戦必勝!」
少年が叫んだかと思うと……
「うおおおおおおおおおおおおおおおおーっ!!!!!」
世界に、穴が開いた。
少年は突進した……と思う。自信がない。
あまりの速さに、目が追いつかなかった。
少年は忽然と消え、その軌道と思われる空間に、ぽっかりと真空の穴が開いているように見えた。
空気ごと、空間ごと押し出したのだ。
ニードルウルフの群れは、悲鳴を上げる暇もなかった。
見えない渦に巻き込まれ、ねじ切られ、消滅していく。
遥か後方、道から離れた場所にある森の木々が、衝撃波でなぎ倒された。
これは……人が使用して良い技なのか?
疑問を感じる暇などない。
「伏せろ!」
帽子を押さえてローレルが叫び、地面に伏せる。
ホリーが続く。
「ショックウェーブがきます!」
「同等の威力の揺り返しがくるわ!」
アスターの警告に、屈強なファイターたちは皆、地面にしがみつくように伏せた。
吸い込まれるような感覚。固い地面に爪を立てる。
そうでもしないと、体重数十キロの大男が体ごと持って行かれる。
思わず顔を上げそうになったリーダーである大男の頭を、誰かが押さえつけた。
「好奇心は身を滅ぼす。ってネ」
ソーンの声だ。
ドーーーーーン!!!
爆発音。
かつて海外の紛争地帯で聞いた、本物の爆撃の音だ。
背中のマントがめくれ上がり、腰に着けていたポーチがむしり取られる。
文字通り、地面にかじりつく。
瞼を固くつむっていても、強烈な光の点滅を感じる。
空気の匂いが変わった。
オゾンの匂い。
頭上ではプラズマが発生しているのだろう。
神話にある、闘神の雷だ。
大男は、さらに強く目をつぶり、この嵐が一刻も早く通り過ぎてくれることだけを祈った。
モンスターに襲われていた絶望など、もうとっくに消し飛んでいた。
「いや、ほんとうに助かった」
愛用の片手斧は、腹の下に隠しておいたおかげで紛失を免れた。
リーダーの大男は、ローレルに何度も頭を下げて感謝していた。
「しかし、まさか助けに来てくれた相手が、“あの”チーム・ガーランドとはな」
大男は、泥だらけの顔をぬぐった。
無精髭の残る頬が煤で汚れている。
しかし、ガーランドのメンバーはそんな彼を笑わなかった。
最後まで諦めずに堂々と戦った戦士への敬意があるからだ。
「“あの”が、どのなのかはわかりませんが、いずれにせよ間に合ってよかった」
「いや、ほんともうダメだと思ったぜ。ダイブできなくなったら、また食い扶持を探さないとと考えたくらいだ」
横からMが口を挟む。
「食い扶持?」
「まあ、あんたらなら知ってることだろうが……X県の」
リーダーである大男が、語尾を弱めて言った。
「ああ、山奥の」
「そう。専用の発電所まで作ったって言うのに、活動限界が3分っていう」
彼が言うのは、政府が極秘裏に研究しているプロジェクトのことだ。
特異点、つまりダイブ可能地点を人工的に作りだそうという実験施設。
すでに完成し、一定の成果は上げていると聞いている。
「『コスモス』の開拓について、この国が他国に先んじているのは、あれによるものなのは確かでしょうね」
ホリーが静かに言った。
ローレルがホリーに視線を向ける。
この極秘情報について、ローレルは真田隊長の先任者から聞いていた。
つまり、彼ら政府公認のチームへ誘われた時のカードのひとつだったのだ。
もちろん断ったが。
「父からです……」
ホリーがローレルにだけ聞こえるように耳打ちした。
横で黙って聞いていたアスターも、内容を理解している様子だったが、黙して何も言わなかった。
コンプライアンス上の問題、ということなのだろう。
現実での彼女の立場であれば、知り得ておかしくはない情報と考える。
いや、もしかして関係しているかもしれない。
「俺たちは、そこで開拓チームのサポートとして何度か指定ポイントのダイブをしていてな。それがいけなかったのかもしれねえ」
大男が頭をかいた。
「過信しちまったのか。カテゴリ1ならなんとかなるかもって。結果はご覧の有様ってわけだ」
自虐的に笑う。
「もう、自然ポイントからのダイブはこりごりだ。次からはおとなしく開拓団のサポートをしていくことにするよ。それにな……今回のダイブは、うちの予言士がどうしてもってうるさくて」
「予言士?」
「ああ」
そう言って、離れた場所でサン、ストームと一緒に話をしている少女に目をやった。
「あの子は俺の姪っ子でな。うまれつき視力が弱いんだ」
ホリーたちは黙って大男の言葉を待った。
「それがな、適性ありってことでこの世界に来てみたら、景色が、花の色が鮮やかに見えるって言うんだ。俺はできるだけ世界をあの子に見せてやりたくてな。積極的にダイブに連れて行ってやりたいと思ったんだよ」
大男の目が優しく細められる。
「それによ。あの子の適性は、『予言士』。確かにあの子はうちのパーティじゃ足手まといではあったが、その数倍はあの子の力でピンチを回避できてきたんだ。それが今回に限って、どうしてもこの依頼を受けろってうるさいもんだから受けてみたんだが……」
「過ぎたことだ。もういいじゃないか」
サンとストームに手当を受けた、このパーティのタンクが割って入った。
大男に劣らぬほどの体格で、丸太のような筋肉の男だ。
「だいじょうぶか?」
「ああ、俺が先にやられちまって。すまなかった」
「あれだけの数の奇襲じゃ、しかたないと思うがね」
ローレルがフォローを入れる。
「まあそう言ってもらえれば気が楽になるよ。しかも、あんたらのような“生きる伝説”にならなおさらな」
「よしてくれよ。生き仏みたいでいい気がしないよ」
「こりゃすまねえ。許してくれ」
男たちが笑い合う。
「それにしても、『運命に出会う』だなんて、よくわからない予言に乗った俺たちが悪かったってことだな」
「そうだな。それにしても、感謝しきれないよ。うちのレンジャーは、先日子供が産まれたばかりで、こんな羽振りのいい仕事が続けられなくなったら路頭に迷うところだった。あらためてありがとう」
深々と頭を下げる。
「感謝だなんて。あの大きな町に着いたら、お茶を一杯奢ってくれればそれでいいわ」
アスターが優雅に微笑んだ。
「なんてことだ。こんな美人さんにお茶を奢る機会ができるだなんて、帰ったら息子に自慢できる話だ。こりゃお嬢の予言に付き合って正解だったな」
「あら、現実じゃ、平凡な女かもしれなくてよ」
「それはないな」
大男は言い切った。
「『コスモス』では誰も嘘をつけない。この世界の姿は、現実の姿、そして知力、体力が反映されたものだ。ある意味、その内面まで明らかにされちまう分だけ、現実よりも残酷かもしれんな」
「へえ、そうだったのね……」
アスターは冷静なまま、無関心を装い、わざとらしくフリルスカートを払った。
「それにしても……」
ホリーが、少女と話をしているサンとストームを見る。
全員の視線がそちらへ向いた。
「現実も、こちらも、まるで変わらない者もいるようですが」
「それは」
大男がニヤリと笑う。
「まだ成長途中なのか、よっぽど純粋なのか、どっちかってことかな」
「どっちも、だな」
ローレルが答える。
「ですね」
と、ホリー。
「あらあら」
と、アスターが続いた。
大人たちはそうして、穏やかな空気の中で親睦を深めていた。
「お姉ちゃん。ありがとう」
そう言って少女は手を差し出した。
その手のひらには、シンプルな指輪が乗っている。
少女の瞳は不思議な色をしていた。万華鏡のように、見る角度によって色彩が変わる。
しかし、この世界での見た目は、現実ほど重要な要素ではない。
現実ではギャルであるソーンが、この世界では幼女メイドであるように。
少女の瞳の色なんて些末なことだ。
「くれるの?」
少女の差し出したのは、この世界の不思議な力が宿った――といえば聞こえがいいが、その品質は最も基本的な、Nランクの指輪であった。
この品質のものであれば、サンの能力値では装備しても誤差の範囲だ。
しかし、サンはありがたくいただくことにした。逆に高価なものであれば受け取ることはできなかっただろう。
「うん」
「ありがとう。大切にするね」
サンは指輪を指にはめるのではなく、首から下げていたチェーンに通し、胸元の甲冑の中に大切にしまった。
サンも現実では中学生である。
このような冒険の、敢えて反転した言い方をするのであれば“非常に厳しい”世界で、少女のような幼い存在と会話をすることは、張り詰めた心を休ませる安らぎだったのだろう。
「よかったな」
ストームがサンに声をかける。
「うん」
胸元の指輪の感触を確かめて、サンは心が温まるのを感じていた。
「あなた」
頭の後ろで手を組んでいたストームに、少女が向き直った。
今までとは違う、どこか厳粛な口調だ。
「おれ?」
「そう。あなた、おなまえは?」
「ストーム」
「ストーム……そう、生まれながらにして、ルドラの宿命”も”背負っているのね」
ストームはピンとこなかったが、少女の言葉には有無を言わせぬ響きがあった。
「あなた、それ以上は人が踏み入れてはいけない領域よ。よく考えてね」
「まったくわからないけど、助言ありがとう。注意するよ」
「あなたはもっともっと強くなるわ」
「そうだな……それが目指す姿だから。でも、神様になってまで強くなったって意味ないと思うね」
少女はそれを聞いて、ふわりと微笑んだ。
「そう……あなたなら大丈夫ね」
不思議な瞳を持つ少女の笑顔は、サンとは正反対だけど、同じように可愛らしい花のように見えた。
――急造管制室。
「チーム・ガーランド、“エキジット”!!」
管制官の声が響く。
現実の世界では、ほんの数秒の出来事であった。
多くのスタッフが忙しく機器を操作している。
「開拓局から連絡が入っています。チーム・ガーランドは、未開拓地の土地情報を持ち帰ったとのことです。データ送ります」
真田隊長がタブレットに映し出されたデータを見つめる。
「これで、拠点間が接続された。我が国の開拓は、一気に数年分進んだと言えるだろう……」
独り言のように呟き、冷めたコーヒーを口にする。
タブレットから、空中の全面モニターに目を移した。
「それにしても、チーム・ガーランド……まるで人知を超えた存在ではないか」
モニターの中では、伸びをする伊吹、それをお行儀が悪いとたしなめる陽葵。
行きつけのレストランの予約を入れたから今から向かおうという桂。
「いいですね」という柊。
「私もお付き合いさせていただくわ」という紫苑の姿が映し出されていた。
平和な日常。
しかし、その背後には巨大な力が渦巻いている。
「果たしてこのままで、上の連中が黙っていますかな」
真田の呟きは、モニターの明かりに吸い込まれて消えた。
つづく
本作はフィクションです。
実在する人物、団体、事件などとは一切関係ありません。
あくまで空想の物語としてお楽しみいただければ幸いです。




