83話
「もし、出せるようになったら、絶対に買いに行きますね。それではお気をつけて」
そう、ディディエと最後の言葉を交わし、調律師とショコラティエールのコンビは、帰路につく。
駅に向かう道。まだ少しジェイドの体は火照る。世界は広い。
「……なんか掴んだみたいじゃん」
満足げなジェイドの表情を横目に見たサロメは、本人に確認をとる。ワクワクしている横顔。
間違いではないジェイドも、それには同調する。
「まぁね。そこは感謝するよ。おかげであとなにをすればいいのか、わかった気がする。完成したら一番にサロメに食べてもらうよ」
本当はまだあと少しなのだが、そこは伸び代でしかない。
気の抜けた返事でサロメは返す。
「そりゃどーも。実験台でしょ、その感じだと」
一番にと言えば聞こえはいいが、要はそういうこと。まぁ、タダならもらうけど。
しかしジェイドには懸念点がひとつ。ショコラはショコラだけじゃ完成しない、それを入れる箱の存在。誰かの力を借りないとなにもできない自分と重なる。
「否定はしないけど。それとやはり彼女に頼むしか……」
だが、なにを言っても聞いてくれやしない私の相棒。本人に言ったら怒られそうだけど。最悪、リュドミラに頼むしかないか、と切り替える。
「ま、いーわ。今日は解散。疲れたし、もー寝る。あ、勝手についてきたんだから、バイト代とか言わないでよ。じゃ、荷物はもらうわ」
まだこれから電車もあるわけだが、サロメはもう、仕事スイッチはオフにする。家に帰るまでが仕事、とはならない。
キャリーケースを手渡すと、ジェイドは手が空く。
「言わないよ。それ以上の、これからの私のショコラティエール人生を、変える日になるかもしれないんだから。でも今日はありがとう」
最初からバイト代など期待していない。むしろ、勝手に仕事についてきてしまって、アトリエに申し訳なく思えてきた。今度、改めて挨拶に行こう。店長さんにもちゃんと話さなきゃ。
ガラガラとケースを転がしながら、サロメは街に消えていく。アトリエに帰る前に、開いている店があればスイーツでも買って帰るつもりだ。
「さて、と」
ジェイドは携帯で確認する。お目当ての場所、そして、お目当てのもの。
「ある。カルチェ・ラタンか……まぁ、行ってみるか」
五区にある学生街。そこを目指す。まずは電車。駅に向けて歩き出す。
もし、私の読みが正しければ。きっと、きっと。彼は。




