82話
それぞれの要素が悩めるジェイドに、なにかを伝えようとしている。
(……待て、なんだ? 不思議な感じがする……ゾワゾワするような……)
「アメリカのフォード社で働く人間がモデルになっているけど、世界恐慌もあって、かなりの不況だった。そんな中でも前を向いて、ささやかな幸せを噛み締めて生きていく。そして最後に『スマイル』」
「『モダン・タイムス』以降は、忙しすぎて曲を他の作曲家に任せたところもあったり、トーキーに移行したことで、音楽の占める割合が減ったりもするけどね。それでもやはり、チャップリンというのは特別な存在だと、映画を観た人はみな、口を揃える」
ディディエとサロメがチャップリン談義に花を咲かせる中、無言で話を聞いていたジェイドの口角が上がる。
「……ふふ」
その後も、フォルテピアノやオペラについてなど、音楽について意見を交わす。特に、音楽についての造詣が深いわけではないジェイドには、非常にタメになることが多く、聞いていて単純に面白い。そうこうしているうちに、夜も二〇時を過ぎる。
時計を見たディディエが、声を上げた。
「少し、喋りすぎちゃいましたかね。すみません。遅くなってしまいました」
さすがにこれ以上、未成年を引き留めておくことはできず、解散を提案する。料金はまた後日。というのも、何度か調律をして安定させなければいけないため、また近日アトリエの誰かしらが来訪することになる。
「ほんとにね。まぁ、色々ご馳走になっちゃったし、勘弁してあげるわ。自分で調律できる範囲を超えたら、また言って。大事にしなよ、いいピアノだから」
調律さえ頻繁にしてあげれば、まだまだ響くプレイエル。きっとこの人の元で成長していくであろう、とサロメは確信している。
全くお呼びではなかったが、なんだかんだでジェイドには充実した時間となった。それに、得たものがある。
「ありがとうございました。とても楽しかったです。すごく勉強になりました」
「ジェイドさんも、ありがとうございました。まさか調律師ではなく、ショコラティエールだったなんて」
ディディエには一応、ジェイドは真実を伝えておいた。彼も最初は驚いたが「まぁ、そういうこともありますよね」と、なんだか納得した模様。
しかし、少しジェイドは訂正する。
「いや、見習いなので、ショコラティエールとは名乗れません。まだ作らせてもらえてませんから」
作らせてもらっているのは、試食用と賄いのみ。お金を取れるような腕になるのは、まだ先だと自分でもわかっている。ので、ここで正さねば。




