81話
さらに続きがある。ディディエが、先ほどの曲の最初を奏でる。指に吸い付くようなタッチ、やはり弾きやすい。
「その中でも一番有名なのが、一九三六年公開の『モダン・タイムス』でかかる、この曲のタイトルが——」
「「スマイル」」
サロメとディディエの声が重なる。
「スマイル……」
そのタイトルをジェイドは噛み締めた。笑顔。にしては、悲しいメロディだった。だが、それゆえに深く染み入るのだろうか。泣きながら笑うような。真逆の感情。そう、それゆえに。
パンッ、と大きく手を叩いたサロメは「しかし!」と叫ぶ。音に関することを喋る時はテンションが上がる。
「チャップリンはトーキーを批判したわけだけど、この映画では一部それを反故にしてるんだよね。酒場で軽快なステップで踊った後、デタラメな言語で歌っちゃってる。フランス語とかイタリア語とかが混じった」
「これですね、『ティティーナ』」
またもや軽やかにディディエは、その歌を歌い上げる。若干歌い方がオペラっぽくなってきた。
たしかに、なんとも不思議な言語だとジェイドも首を捻る。フランス語のようなそうでないような。イタリア語以外にも、スペイン語も混じっている? だが、それ以上に重要なことに気づく。
「……デタラメな言語……もしかして、言葉は重要ではない、と皮肉めいて言っているんじゃないかな?」
先ほどサロメが言っていた、トーキーに否定的だったということ。その技術が失われることを危惧していたこと。それを表現するために、あえての演出なのではないか? ふと、ジェイドは閃いた。もしそうなら、なんとも憎いことを。
その点については、サロメも同意見だった。
「かもね。それに、劇中では歌詞が覚えられなくて、カンペに書いてもらうんだけど、それもどっかいっちゃうっていう。それでもなんとかなってる。笑いを入れつつ、自分の考えをしっかりと伝えてるわけね」
示唆する部分を深読みするとそうなるが、相手はあの喜劇王。どこまで本気なのかわからない。杞憂だろうか。
「この映画は『音楽』もテーマになっているのですが、恐ろしく難しい。というのも二分間で一〇回以上テンポや拍子が変わるんです。だから、とても緻密に指示していたそうですよ」
明るくディディエが注釈を入れるが、中々にシビアな映画だ。あまりの難しさに、指揮者も逃げ出したという。チャップリン財団が、この映画の楽曲のオーケストラの指揮を許可している指揮者は、世界で数名しかいないほど、厳格な音楽なのだ。




