78話
調律において一番大事なこととは、間違いなく『ユニゾン』である。
ひとつ鍵盤を押してみる。最低音域のオクターブでは弦は一本だが、低音域では二本、中音域以上は二本ないし三本の弦を叩くことで、より大きく豊かな音が出る。それら複数の弦を、うなりの起きないように張りを合わせる作業をユニゾンという。
ならばうなりが起きなければ、調律師は全員一緒の音が作れるか、というと、そういうわけではない。人間それぞれの耳も、感性も違う。『一番美しく聴こえる』音に合わせるということは、その人にとっての、でしかない。
だからこそ調律師は、特に要求がなければ自分が一番いいと思う音を、そして要求があれば、弾く人間がどういう音を求めているのか、を永久に探り、追い求めていく。
「はい、これでいいはず。とはいっても、知っての通りすぐ狂うから、自分でちょいちょいやってよ。ま、ずっと四四〇で張ってたわけだから、だいぶ弦は消耗してるだろうけどね」
結局、一度の調律だけでは、作業中にもピッチが狂ってしまい、サロメの腕でも不可能。あまりにもピッチを変化しすぎると、必ずこうなる。なので何度も合うまでやる。音律も、平均律で揃えていたものから、ウェル・テンペラメントに変更。よりショパンの時代に近づいた、のかはわからない。証拠はなにもないのだから。
「いやはや、これが噂の。少し弾いてみていいですか?」
持ち主のディディエの気持ちが逸る。正直なところ、以前の調律では、してすぐに音の濁りを感じていた。フォルテピアノというものはそういうものか、と諦めていたのだが、どうもそうではないと、サロメの調律を見て聴いて知った。
その気持ちをサロメも汲む。ピアノをインテリアではなく、しっかりと弾きこんで成長させようとしている人は、好感をもてる。
「もちろん。もし要求があるなら今言ってよ。またここまで来るの大変なんだから」
しっかりと、ひと言多い。
ディディエは緊張しながらもイスに座る。オペラ本番のほうが緊張しないかも、とさえ感じた。
「はい。では失礼して……」
跳ねるようなリズム。ただ軽いだけでなく、しっかりと感触を持って鍵盤を押せる。レスポンスはしっかりしているが、まわりに迷惑にならない音量のギリギリ。やはり頼んでよかった、と太鼓判を押す。
「『エコセーズ 第一曲 ニ長調』。ま、簡単だしショパンぽい」
曲名をサロメが言い当てる。そして、やはりフォルテピアノというものは、厄介だが、そこになんとも言えない味がある。




