77話
「あれ? あいつまだ戻ってきてないんですか?」
『アトリエ・ルピアノ』に出張調律から帰宅したランベールは、キョロキョロしながら店長であるロジェに問いかける。同じ学園に通う男子高校生。サロメの同僚になる。
売り場で清掃や接客を続けるロジェも、一旦下がり、ランベールに声をかける。
「おかえり。フォルテピアノだからね。手こずってるのかも。コーヒー飲む?」
店長の仕事は多岐に渡るが、ロジェ自身が調律に行くことはほぼない。そもそもアトリエ自体、ピアノ調律の専門の店ではない。そのため、お客さんや帰ってきた店員にコーヒーを淹れるのも、この店では店長の仕事だったりする。
「いただきます。あいつがその程度で手こずるわけないでしょ。どうせお菓子食べたり、紅茶でも飲んでダラダラやってるだけです」
キャリーケースを片付けつつ、ランベールは今頃のサロメの状況を予見する。だいたいあいつの行動は読める。一時間で終わるものを、頑張った感を演出するためわざと二時間かけたり、飲食に時間をかける。
「ま、まぁ……それが一番可能性高いかもね……」
動揺を隠すように、ロジェは自分のぶんのコーヒーをすする。うん、美味しい。
いつもと違うエスプレッソを受け取り、ランベールは凝視する。色が違う気がする。豆を変えた? いや、香りも違う。
「ん? なんですかこれ。ショコラ?」
「うん。今日、同級生のショコラトリーで働いてる子が来てね。で、その子と一緒に調律に行っちゃった」
簡単に今日の経緯をロジェが説明するが、怪訝そうな顔つきでランベールは怪しむ。
「あいつが一緒に? いつもひとりで行きたがるあいつがですが?」
誰かをわざわざ誘うというのは珍しい、というより、聞いたことがない。相手の名前も聞いたことはない。なにか裏があるな、と確信を持って頷く。
その頷きの意味を、同じことを考えていたロジェは理解した。やっぱそう思うよね、とどこか安心。
「ま、普通に調律して帰ってきてくれたら、僕はそれでいいよ。腕だけは確かだから」
調律自体に心配はしていない。それよりも精神的に不安定なときもある、その危うさ。何がきっかけでまた店の調律をしだすか……待てよ? そっちのほうがいいのでは?
「たしかに。普通にやれば問題はないと思いますけど」
あいつが気まぐれを起こすと、最終的には自分になにか不幸がまわってくる。どうせそうだ、とランベールは叫びたくなる衝動を堪えた。




