75話
当然そういう反応するよね、という風な顔で、サロメはイスにドカっと座って足を組む。
「現代ピアノならね。それが、このフォルテピアノは違う。メーカーによるけど、四一五から四三〇ってとこ。狂いやすく、調律してもすぐに四四〇くらいになる。月イチくらいでやるように、って言われたんでしょ。それじゃ、しばらくこの張力で弾くことになるから、そりゃ耐えられるわけがない」
つまりは、腕の悪い調律師の教えを守りすぎて、従ってしまったことによる、ディディエの調律不足。特に秋から冬にかけて、パリの天気は悪い。九月からは寒暖差も大きい。その天気と気温の変化を、調律師は捉えきれていなかった。すぐにピッチが狂い、湿度を調整していても耐えきれず弦が切れる。それだけ。
「……いつここに気づいたんだい?」
自分がたった数小節、簡単なメヌエットを弾いただけで、そこまで読み切った。ジェイドは少し、この少女が怖くなる。
あぁ、そんなこと? と、さらにサロメはふてぶてしくなる。
「資料を渡された時から。だいたいこんなもんだと思ってたわ。そんで着いて、かなり調整されている部屋だけど、ほぼ全て木でできているコイツは、さらに繊細だってことに気づいてないだろうなって」
以上が断線の原因。予想通りすぎて、欠伸が出てきた。
「……そうだったのですか。完全にお任せしてしまっていたので、全く気づきませんでした……申し訳ありません。プロなのに、ピアノについては全く……」
恥ずかしそうにディディエが謝罪する。違和感を感じつつも、そのまま放置してしまっていた自分に、怒りのようなものもふつふつと沸いてくる。悪いのは調律師ではなく、自分。
「気にしないで。コイツは相当な気分屋だから、毎日軽くでも調律しないと、こうなっちゃう」
と、サロメがフォロー。こういうのは慣れている。調律に向かった先で、まだ調律は大丈夫だと思っていた、ということを一番多く言われる。もちろん大丈夫ではない。これを機に、ピアノを見る目、耳を一新してもらいたいものだ。
「ちなみに割り振りにこだわりとかある? ないなら平均律でやっちゃうけど」
調律には、様々な音律が存在する。基本的には平均律という、一般的な調律を施すのだが、こういったこだわりのあるピアノを所持する人は、音にもこだわりがある場合もある。純正律や中全音律など、数多くある中でひとつを選ぶのだ。
今まで聞かれたこともなかったが、ディディエは「それなら……」と注文をしてみる。
「そうですね……せっかくなので、ショパンの時代の……っていうのはできますか?」
プレイエルといえばショパン。そしてショパンが最後のコンサートで使ったものと同型、とくれば、一度はやってみたい調律だ。どういったものかはわからないが、かなり気になっている。




