72話
だが、そんなことはおかまいなしに、サロメは後ろからジェイドの両肩を持って、イスに座らせる。
「ちょっと弾いてみな。なかなか弾けないよ、これほどのものは」
「……じゃあ、ちょっとだけ」
ジェイドも興味がない、と言えば嘘になる。それに、どの程度の調律が必要になるのか、ジェイドがやらないのなら、サロメが少しいじる。どうせなら、またとないこの機会に触れてみたい。腕前はともかく。
たどたどしい指使いではあるが、弾き始めてすぐに気づく。音が、まるで凝縮したかのような一本の芯がある。そして柔らかい。
「——なに、これ」
それでいて、タッチが非常に軽い。本当に押しているのかわからなくなるほど。指は疲れないが、逆に軽すぎてやりづらいのでは? という率直な感想を抱く。さらに、ペダルも現代の三本と違い二本。踏んでいいのかも迷う。
キリのいいところまで弾いたところで、サロメが尋ねてくる。
「普通のピアノだと思って弾いたら、すごい違和感あるでしょ? これがフォルテピアノ。貴重な体験してんのよ」
当然、もう数自体それほどない、一八四八年製のプレイエル。ショパンもきっと、この音で作曲をしていた。そう考えると、ジェイドもなにか感慨深くなる。
「まず、モーツァルトの初期の頃は、ほぼ全て木材で作られていた。そして少しずつ改良が進んで、このピアノの時代になると、鋳物が使われるようになった。とはいえ、まだベースの木材の強度を上げる程度のもの」
サロメが解説した通り、ピアノというものが少しずつ、現代に近づき出した頃のもの。ゆえに似ているだけで、もう少し前のフォルテピアノは、膝のところにペダルがあったりと、操作性はさらに異なる。
そしてもうひとつジェイドが気になった点。専門的にやっていたわけではないが、すぐにわかったこと。
「それと、気になるのが響板、かなこれは。裏に一枚は当然として、もう一枚あるね」
ピアノの響板とは、簡単に言ってしまえば、ピアノの裏側の木の板全体のこと。普通は一枚、低音部のみを響かせ、さらに反響させるために取り付けられている。しかしこのピアノは、さらにもう一枚、上から被せるように使用することにより、響きを一段階引き上げる役割を持つ。しかし。
「あれ、でもちょっと待って。響板を上から被せたら、音は小さくなるんじゃない?」
ジェイドの指摘の通り、裏側の響板で響かせ、上の開いた部分から音を届ける。それがピアノ。しかし、その開いた部分の、中音域から低音域にかけて蓋をするように響板。音を小さくしたいのであれば、屋根を閉じればいいだけ。




