69話
「なら来る? 調律の現場」
ささっと行ってささっと終えて帰る、という予定だったが、サロメはジェイドを誘ってみる。気まぐれは彼女の真骨頂だ。特に深い意味はない。なんとなく。
驚きながらも、ジェイドは内側からジワッと、滲み出すものを感じた。おそらく喜び。なにかが変わる気がする。
「いいのかい? 私はなにもできないよ」
「なにも期待してないわよ。でも、そういう滅茶苦茶なの、嫌いじゃない」
はたして、調律がどんな風にショコラに影響を与えるのか。サロメも若干気になるっちゃなる。それに荷物持ちがいるほうが楽。
ふふ、っとジェイドは笑みをうかべた。
「どうも。そっちにはメリットないよ。それでもいい?」
ただ、調律の現場を見るだけ。道具の名前もわからない。手順も。音も。だが、この子についていく許可。
「ショコラがあればいいわよ。別にメリットとか気にしないし」
そういえばエスプレッソ、と思い出したところで、ドアが開き奥の台所から、ロジェがトレーに乗せてエスプレッソを持ってくる。
「よかった。じゃあ今日はこれ。よろしくね」
と、二人の前にそれぞれエスプレッソを置きながら、サロメにだけ今日の調律の資料を渡す。
「ありがとうございます。いただきます」
カップの上部に泡、いわゆるクレマがかなりできている。いいエスプレッソマシンを使っているな、とジェイドは察した。九気圧以上かつ、豆もいいものを使っているのかもしれない。いい店長さん? だな、という考察。
「ありがと……げっ」
感謝しつつ、エスプレッソに口をつけたサロメが、なにかバツが悪そうな顔をする。
「? どうしたんだい? 合わなかった?」
その声にジェイドはすぐ反応した。自分のほうはよくできていて、お店で出してもいいんじゃないかと思うほどに、ダークショコラのコクと苦味を感じられる。ダブルのポルタフィルターなら、味は変わらないはず。
コロコロと表情を変えるサロメだが、どれも艱難辛苦のそれぞれを体現したようなもの。呼吸を整え、邪気をなんとか払拭しようとする。
「……あんたってさ、運いいほう?」
そんなことを、この世の終わりのような顔で言い放つ。
それを見て少しジェイドは緊張したが、普通じゃないなにかに出会えた、という気配を感じた。当たりかもしれない。
「……そうだね、なんとか乗り切ってるところはあるかなと。いいほうなんじゃないかな。で、どういうこと?」
「店長、これマジで? 聞いてないんだけど」
これ、というのは調律の中身。再度読みながら、サロメはロジェに確認する。




