269話
元来人間は。ラクをするために進化してきた。歩くのが疲れるから車を。遠くまで手紙を出すと時間がかかるから電話を。そういった、手間を省こうとする時にこそ人は真価を発揮する。一度、ふにゃふにゃとバターのように溶けてみたら、案外解決策も浮かんでくるのかも。
なんだか。より絵画が体に浸透してくる錯覚に陥るジェイド。しばらく眺めてからポツリ。
「ショコラティエールは夢ですよ。そこは趣味で終わらせるつもりはありません。お引き受けします。私でいいのであれば」
拒否? ありえない。魚は満腹であっても食べ続ける。そこにエサが垂らされたのなら、ただ食らいつくだけ。死ぬまで食べるだけなんだから。
「ありがとう」
温かな感謝を示しつつ、ギャスパーはしっかりと芸術というものを楽しんだところで、そろそろお暇することに。一応、やらなければならない仕事もある。忙しい忙しい。早く勇退したい。
これで。またひとつなにか『理想の自分』に近づけたような。満足感と共にジェイドは聞き返す。
「それで、その『音楽』とは? なんの曲です? クラシック? シャンソン?」
知っている曲だと嬉しい。香水にするような曲。ということは有名なものであるはず。なんだろう、見当もつかない。
そうだったそうだった、と言い忘れて帰りそうになっていたギャスパーだが、ひとつ咳払い。
「それはね——」




