265話
そしてこの『広つば帽の男』も。完全な状態では存在していない。元々は板絵だったが、海を渡る際に湿気で曲がってしまうため、丸くカットされカンヴァスに貼り付けられた。さらにこの人物の妻の絵と一対になっているはずだったのだが、その絵はアメリカのクリーヴランド美術館にあり、ほとんど同じ空間にいたことがない。
さらに驚愕なことに、これはレンブラントが直々に制作したという記録がない。工房で描かれたことは間違いないが、彼ほどの画家である場合弟子が非常に多く、その誰かという可能性が高いと、一九八九年のリサーチで判明した。
つまり、この絵は様々な観点で見ても『不完全』。だが。それこそが。
「『ミロのヴィーナス』もですが、完全でないから美しい。惹きつける。『モナ・リザ』も、色々な説は出ていますが結局はモデルが誰なのかとか、微笑みとか。ストラディバリウスの『メサイア』。演奏さえも聴くことができない頂点。いつまでも終わらない論争こそが、芸術を芸術たらしめている」
腕のない美。謎の多い絵画。誰も触れることすらできない楽器の最高傑作。想像。議論。それこそが神秘さを引き上げている、とジェイドの意見。だが、いくつものそういった歴史のある芸術品に触れていると、当時の状況や作者の心境など、探究心が湧いてくる。するとより魅力的に見えてくる。
完全・完璧という言葉は、進化の余地を消してしまう。
眼前でオーラを放つ絵画を前にしていると、飲み込まれるような錯覚にギャスパーは陥る。
「だろうね。芸術はそこで完成してはいけないんだ。客観的なものだからね。私の香水はね。そこで終わってしまっているんだ。香りというものはもっと、音楽的でないといけない」
少なくとも『広つば帽の男』からは。不完全ゆえに上質なクラシックが聴こえてくる。自分の香水は? 香りを思い浮かべても聴こえてこない。やっぱり。深淵を覗けてすらいない。
「……音楽?」
なんだろう。心に刺さるものがジェイドにもある。音楽。バッハは『音楽は翻訳の必要のない、魂と魂の会話』みたいなことを言っていた気がする。そして、自身も音楽をヒントにショコラを作ってみたりしている。偶然? だとしたら少し嬉しいものがある。




