262話
ギャスパー・タルマ。世界でも五本の指には入る世界的な調香師。きっとこの空間にいる人々、その二割くらいは自身の開発した香水を使っているんじゃないかな、なんて強気の心構えも持っていたり。
そんな彼に対して、物怖じせずにただのいちショコラティエールであるジェイドは、対等に言葉を重ねていく。
「香水はずっと残り続けていくでしょう。あなたは充分に功労者だと認識していますが」
少なくとも自分の知る範囲内では。M.O.F、国家最優秀職人章まで持っているのだから。あなたには香りという分野では誰も大きい顔はできない。そんな人物。
そんな持ち上げ方に、すっかりギャスパーは気をよくする。
「あ、そう? なら調子に乗らせてもらおうかな」
担いでもらったのならば、こちらもしっかり担がれないと。断るのはそれはそれで失礼にあたるから。すごいと褒めてくれるのであれば、それを誇るのも大事なこと。
だがそれでも一度も視線を交わさず、二人の視線の先には一枚の絵画が、こちらを見つめている。
そこにはいないのに。それどころか描いたものであって、実在するのかもわからないのに。たしかにそこに『いる』気がジェイドにはしてならない。その絵画のタイトル。
「……『広つば帽を被った男』。さすがの威圧感ですね。とてもじゃないですが、私のショコラもこれには敵いそうにはない。ですがやはりレンブラントといえば——」
「『夜警』だね。多くの人間を描写しているが、誰ひとりとして動きを止めていない。絵画は『一瞬を切り取る』ものではあるが、彼の『夜警』はそれとは矛盾する。絵画の最高傑作が、絵画の法則を無視する。全くもってまぁ」
じんわりとギャスパーの目に、脳にその絵画が姿を現す。身震いするほどの圧力。もちろん、目の前にある『広つば帽を被った男』からも、撃ち抜かれるようなその眼力にも冷や汗をかくが。レンブラントをレンブラントたらしめる一作『夜警』。




