261話
「レンブラント・ファン・レイン。別名『魔術師』。彼ほど、光と影の描き方において後世に影響を与えた画家もいないよね」
人々が行き交う館内で、その老年の男性は飾られた絵画を見上げながら満足そうに頷いた。近づけないように木の柵で距離を取らされているが、その絵画から感じ取れるパワー、のようなものが離れていても肌を刺す。それはヒゲを蓄え、帽子を被った男性がこちらを見ている絵。
パリには美術館がいくつも存在する。ルーヴルやオルセーといった世界的に有名なものから、中世に富を築いた人物の住居を改築したものまで多種多様。年間で一千万人は訪れようかというところもあれば、知る人ぞ知る、というところもあり、現地の人でも知らない美術館もある。
そこはルーヴルほどごった返すわけでも、閑古鳥が鳴いているわけでもない、賑やかさと静謐さがちょうどよく入り混じった空間内。最も人が落ち着く要素を兼ね備えている。
同じように、その肖像画を見上げながらジェイド・カスターニュは声の主に返した。
「どうも。以前お会いしましたね。またお会いできて光栄です。ギャスパー・タルマさん。あなたも『香りの魔術師』みたいなものでしょう」
柵の前で並んで見ている、のは他にも何人もいる。彼と彼女の間に人はいるのだが、なぜだか自分にかけられた発言だとわかった。なぜだろうか。それはわからないが。そして人々の合間を縫うように、声が凛と反響する。
香りの魔術師、という称号はギャスパーと呼ばれた人物にはどうもむず痒い。ピンとこない。だからこそ否定してみる。
「私なんかレンブラントに比べたらとてもとても。芸術という点で見ても、並べていると思わないし今後も思うことはないだろうね。彼のように未来に残せるものなんてないのだから」
少し笑えてくる。ひたすらに走り続けても、レンブラントという人物の背中すら見えない。まだ自分が二十代くらいの若者であれば悔しさのようなものが湧いてきたのかもしれないが、さすがにそうはならない。諦めに近い感覚。まぁ、自分は香水というものに目覚めたのが中年になってからだし、と言い訳してみる。




