243話
自宅兼店でもあるカルトナージュ専門店〈ディズヌフ〉の二階。六人がけの大きなテーブルとイス。ここでは実際に手芸やカルトナージュの教室も行っている場所となる、五〇平米ほどの部屋。
壁の棚には写真立てやパスケースなど、カルトナージュの作品などが飾ってあり、開放的な窓も相まって実際よりも大きく、塞ぎ込んだ印象はない。室内を照らす温暖な色のLEDライト。パリとはいえど外は闇に染まる時間帯。
「……でき……た?」
テーブルの上に置かれたカルトナージュを、疲労の色が見えるオードは一歩後退して確認する。アイル・ネヴァー・ラヴ・アゲイン。ジャックが紙に書いていた歌詞。実際にアリーが歌うものとは意味合いが一八〇度変わってしまう。
ラストのシーンは何回も観直してみた。違和感、とはではいかないけど。一語だけ「あれ?」と感じた。様々な意味を込めて監督であるブラッドリー・クーパーが決めたことなのだろう。映画館で気づけた人はいたのだろうか。
「……めざといあいつのことだから、たぶんわかってるんでしょうね……」
意気揚々と自慢してやりたいところだが、自分にわかったということは、あいつも気づいているはず。それを意図したショコラを作ってくるのだろう。どんなものになるのかは知らないけれど。
完成した『ソレ』に触れてみる。布地の感触がまた、次のカルトナージュへの意欲を掻き立てる。形の縁を人差し指でなぞり、一周すると妙な満足感。少なくとも、他人があの曲と映画から想像する形ではないかもしれない。だが、オード・シュヴァリエはそう捉えた。
感じたままを、カルトナージュに変換して主張する。他の誰でもない、自分だけのアイル・ネヴァー・ラヴ・アゲイン。自分がアリーだったら、ジャックだったら。それが形となる。
「さて。あたしの役割はここまでかね。あとはあいつが上手いことそれっぽいやつを作ればいいだけだけど」
毎度思うのだが、お互いにほとんどどういうのを作るか話し合わない。出来上がってから知る。ぶっつけ本番もいいとこだが、むしろ自分達にはそれのほうがいいのではとさえ思う。お互いに本気をぶつける。譲り合う精神などない。
果たしてそれは足し算になっているのか、それとも掛け算になっているのか。引き算なのか割り算なのか、サインコサインタンジェント微分なのか積分なのかもよくわからないけど。相手を引き立てよう、という気持ちはいらないのだろう。自分が主役になる、という我の強さ。
「それこそが、オード・シュヴァリエというカルトナージュ……」
印象派とかキュビズムとか。そんな付け焼き刃で語るのは無理だけど、なんとなく自分の意識が変わって行くことに気づいた。ピカソの絵を見ても「よくわからない」という感想しか抱いたことがなかったが、今は「なぜこう描こうと思ったのか?」「この塗り方による効果は?」と変換できる。




