195話
「愛……愛……」
ジェイドの呟きは仕事中にもとどまるところを知らなかった。七区にある老舗ショコラトリー〈WXY〉。カフェも併設しているため、販売の接客以外にも、注文されたケーキや焼き菓子なども提供する。その製造担当。制服を纏い、最高の時間を提供する。なのだが。
「ジェイドさん。これ」
そう、忙しいキッチンに滑り込んできたのは、この店の店長ワンディ。注文されたものは、ショーケースを見て選ばれた、甘いシュクセ・ショコラに合うエスプレッソ。ラテアートは『白鳥』。のはず。
ふむ? とジェイドが覗き込むと、そのカップの中にはハート。を射抜く弓矢まで。
「いや、すごいけど。教えてないのにここまでできるのはすごいけど。うっかりだねぇ」
しかしワンディは怒るでもなく。青春してるね……と自ら飲む。味は素晴らしい。やはりエスプレッソは九気圧を超えると格段に味が上がる。気がする。
あぁ、すみません、と心ここに在らずの状態でジェイドは再度エスプレッソを淹れる。粉は一八グラム。ダブルのポータフィルター。そしてラテアート。
「どうぞ」
ポケーっとしながら完成品を手渡す。だが。
「いや、すごいけど」
左右対称にリーフを作り、その中心にハート。飲むのが勿体ないくらいに芸術的。どうやったの? だがワンディはまぁ、ハートっちゃハートか、と納得して両開きをドアを押してホールへ戻っていく。
その背中を見送ることもなく、ひとり周囲の音を遮断してジェイドは『愛』について悩む。
「愛……恋……」
新作のショコラ。そのテーマは決まった。音楽をベースに、物語性を含ませるため映画から拝借する。となると、愛の歌を歌う映画。レディー・ガガ主演、ブラッドリー・クーパー監督作品。
「『アリー スター誕生』しかない」
しかないかはわからないが、ピッタリと当てはまる。そしてその音楽。曲。『アイル・ネヴァー・ラブ・アゲイン』。もう愛せない。
そもそもが『アリー スター誕生』はリメイクにリメイクを重ねて今作が四度目。ほとんどの流れは同じだが、じっくりと丁寧に心理描写が描かれ、ガガとクーパーの役柄の対比。さらには複雑なジェンダーの話なども盛り込まれた傑作。
それをショコラに。甘さだけではない、ビターさも味わえる大人の恋愛。愛。やっぱり愛。『ムーン・リバー』も愛といえば愛だった気もするが、より特化したものがこの映画。なのかもしれない。答えはなにも。
「千差万別、さてどんなものにしようか」
その後も、よりいつもよりも提供する料理が煌びやかにアレンジされていた気もするが、特にクレームもないのでジェイド的には問題なし。皮肉にも、頑張ろうと思って働くよりもむしろ評価が高い。




