187話
「なにを言っている?」
そもそも王子様とか求めるタイプではないだろう。まだ知り合ってひと月少々ではあるが、オードも彼女の性格はある程度把握できている。きっと次のショコラをイメージしているのだろう。
その通りで、自分だったらどういうものが欲しいか、どういうコンセプトだと嬉しいか。そういったことをジェイドは想像しては泡沫と消えていく。
「いやね、そういう体験がないんだよ。私は。だからいっそオードに担当してもらおうかと」
「あたしはいいともなんとも言ってないし、そもそもなんであたしなのよ。誰か男に頼めば?」
恋愛というのならばそっちだろう。いや、限った話ではないし色々と多様性があっていいとは思うけれども。少なくともオードにはその気はない。
男以前に友人すらほぼいない者同士。それもハードルが高い。ならば……と提案したジェイドであるが、即却下される。ということで。
「困ったね。でもとりあえずそれっぽいことはできるか」
そう言ってクレープリーでテイクアウトしたクレープ。その中のヌテラという、ナッツ風味のショコラペーストを指で掬い、オードの口の端に付着させる。
「は? なに?」
なにをやってるんだこいつ? そう、訝しみながらオードがそれを拭おうとする。
その前にジェイドが接近して舌で舐めとってみる。なんかで見たものを真似してみた。
「それっぽいかい?」
「はッ!?」
過去イチで理解の追いつかない行動に、動揺しながらオードは一歩、いや二歩は退く。こいつは今、なにをやった?
うーん、と天を仰ぎ目を瞑るジェイド。やってみたはいいものの、特に閃きが生まれるようなことはなかった。ヌテラは普通に食べるのが一番。
「やはりなにも生まれてこないか。そもそも舐めとるという行為になんの意味が? 拭ってあげればいいだけなのに……」
ブツブツと文句に近い小言。やはり、事前に予想した通りに自分には合わなかった。
だが真に文句を言いたいのはオードのほう。されるがままに実験に付き合わされる。さらにその上「思ったのと違った」リアクション。
「……それより先に言うことがあるんじゃない?」
眉間に皺を寄せて睨みつける。別に実害があるわけではないが、気持ちの問題。
キョトン、としながら「言うこと……」と考え込むジェイドは、唸りながらもひとつの答えにたどり着く。
「あぁ、クレープ代。出してもらっちゃったね。ありがとう」
あれ? 言ったよな? と思い返しつつ、こちらも納得いかなくなる。それ以外になにかあったっけ?
「……」
こいつは。こいつはもう。無言のままクレープを奪い取り、一気に食す。アイスコーヒーで一気に流し込むと、オードはそのまま通りを先に早足で駆け抜けていった。
呆然。その一陣の風が吹き抜けていった方角を見つめるジェイド。あぁ、そういうことか。これが。
「これが恋人同士のケンカ、みたいなものか。なるほど、いい演出だ」
たまには財布を忘れてみるものだ。勉強になる。恋愛には痛みが必要なのか。怒らせてしまうとそれはそれで胃にくる。
この痛みは必要経費なのだ。あとに味わうショコラのための。




