18話
待っている間、少し楽譜を思い出してみる。なんとなく、なんとなくだが最初はわかるかもしれない。エアで少しやってみるが、たぶんこれ。
ふと、ピアノの低音弦をひとつ、押してみる。3Bのシ。音を聴き、暗いホール内だというのに、雲ひとつない空が思い浮かべられた。それほどまでに澄んだ音。
(よくわかんないけど……背筋がゾクっとする。もしかして、腕のいい調律師なの?)
かつて練習で共演したピアノの音とは全く違う、スタインウェイの本来の力。たった一音で、素人の自分でもわかった。このピアノを弾く専攻の子達は、どんな演奏をするのだろうか? 簡単な曲を弾いてみる。バッハ『メヌエット ト長調』これだけ弾ける。なんだろう。ほんの少し。ほんの少しだけ、違和感を感じる。
気のせいだと思い、精神を落ち着けてジェイドが待っていると、出ていった扉からレダが戻ってきた。手には全長七〇センチほどの弦楽器と弓。無事に借りられたようだ。
「はい、どうぞ。じゃ、よろしく」
満面の笑みで、レダはヴィオラをジェイドに手渡す。ヴァイオリンよりも少しだけ大きく、低音を出す関係上、厚みも増している弦楽器。
覚悟は決めていたものの、実際に用意されるとジェイドは顔を顰め、首を傾げた。内心で再度、覚悟を決める。否、諦める。
「妙なことに巻き込まれたなぁ……」
愚痴をこぼしつつも、懐かしい重さと手触りと香りに、少し顰めた顔が緩む。目を瞑り、準備。レダのほうも問題ないようだ。
(だいたいでしか覚えてないけど……こんな感じだっけ)
重厚なピアノの旋律から始まり、そこにヴィオラを乗せていく。テンポはかなりゆっくり。この曲自体、まったりとした曲なのだが、さらにゆったり。曖昧な記憶で弾いていることもあり、わからないところは勢いで誤魔化したいが、勢いが出せるほどの速度が出ない。
そして軽快なテンポに移る。かと思いきや、すぐに情緒ある感情的な旋律。そしてまた悲壮感の溢れる演奏へ。
(ピアノが合わせてくれてるから、なんとかなってるけど……相当鈍ってるね、こりゃ)
己の未熟を独白しつつ、ジェイドはそれでも楽しくなってきている。まるで雲のベッドに横たわっているように、ピアノが包み込んで、自分の演奏をそれなりに聴ける曲にしてくれている。感謝。しかし。
(あれ? この次どうだっけ?)
と、悩みながら弾き続けたが、二〇小節を超えたあたりから曖昧になり、そこから先は完全に記憶から抜け落ちていた。ここで止まる。ひとつ、大きく息を吐く。そしてレダに方に振り向く。
「すいません、忘れました」
言いながらも、満足げな表情を見せた。今出せる限界は出せた。
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