174話
「へぇ、アップライトのピアノとグランドの構造、違うことはわかってましたけど、比較すると全然別物ですね」
規則正しく並んだピアノ。そのうちのひとつ、日本のメーカー『カワイ』のアップライトピアノをポロンポロン、と軽く弾きつつジェイドは知識を深めた。
三区にあるピアノ専門店『アトリエ・ルピアノ』の店内。販売から調律までなんでも引き受ける店だが、店長のロジェ・アルトーは丁寧に説明する。
「そうでしょそうでしょ。僕としてはやはり『響板の大きさによる音色の幅』だと思うんだよね。アップライトはどうしても壁に向いているし、飛び方も変わってきちゃう」
ピアノというものは調律師も減る傾向にあり、さらに販売も同様。完全になくなることはないが、多様化する現代では他に興味を持つ人々が増えるのも致し方なし。だからこそ、こうやって教授できる機会は逃さないようにする。そこから少しでも興味を持って、なにかしらピアノ関係に繋がれば嬉しい。
なんとなくでしか知らなかったピアノの違い。小さい頃からグランドに触れていたほうがいいというのは、音楽を少し齧っていたこともあり知っていた。だが家の大きさやらでアップライトが多いのが現実。ジェイドはなんとも歯痒い。
「それなら、コンクールを目指すならグランド一択ですけどね……」
ご近所トラブルなんかも増えてしまうし。
そんな中、ロジェは例外を挙げる。
「それは間違いないんだけど、あのショパンコンクールで優勝したピアニストで、その数年前までアップライトしか持っていなかった、っていうこともあるからね。なんにでも予想を超える人間てのはいるもんだね」
ちなみに彼は寸前のところで、他のコンクールの賞金で無事購入できたとのこと。めでたしめでたし。
ジェイドにとってはピアノ、ひいては調律師というものは未知の世界。この機会に色々と聞いてみる。
「ピアノ調律において一番難しいことってなんなんですか? やっぱりボロボロのピアノの修復?」
調律には見なければならないところが山ほどあるのは、以前同行させてもらった時に聞いている。その時から気になっていた。
そしてその問いには、奥の応対用のソファーで眠っていた少女が解答。
「あたしは『弱音』の調整ね。むしろ、ピアニストにとっても一番難しいかもしれない」
パーテーションから体が出てくる。寝起きのもっさりとした動き。目も半開き。欠伸も。
その姿を捉え、ジェイドは手を振る。
「サロメ。起きたか。勉強させてもらってるよ」




