16話
手を止め、レダは遠い目で対面のホール二階席あたりを見る。
「?」
神? 神様? 神様が……なに? ジェイドにとっては全く予想していない返しで、静かに混乱する。
やっぱり、とレダは照れ笑いする。
「ピアノってどうしたって、音が狂っていくものなんだよ。極端なこと言うと、一台一億ユーロ以上の最高級ピアノがあるとする。最高級の響板、象牙、その他部品も特注品。そんなものでも、定期的に調律しないと、すぐに狂ってしまう」
楽器というものは、温度や湿度などによって膨張と収縮を繰り返す。常に最高の状態とはいられない。その中でもピアノは、一番手のかかる楽器といっていい。そして、メーカーによって、さらに機種によっても鍵盤の重さ、ハンマーの当たる弦の位置、その他ひとつひとつ違う。それを最適な調整にする。それが自然の理だ。
「ヴィオラとかヴァイオリンは、自分で基本はなんとかしますからね。手のかかる楽器だ」
弦楽器などは、演奏者が弦を張り替えたり自らする。さらには、自分で作成する者までいる。ジェイドも過去を回想した。
「そうだね。だから、いわばピアノの調律は『神への挑戦』なわけだ。神が狂わせた、こんなややこしいピアノという楽器を、さもなんともないですよって顔できっちり仕上げる。最高にスマートじゃない?」
と、レダは笑顔をジェイドに向けた。スマートだそうだ。
それが神への挑戦なのか、なんとも返しづらいが、言いたいことはジェイドにも伝わった。しかしさらに疑問が湧く。
「……別に車とか家電とかも壊れますけど……」
時間の経過で劣化するなら、この世のもの全てであろう。ピアノに限った話ではない。ジェイドはまだモヤモヤしたものが胸につっかえている。
「そうなんだけど、たまたま僕はピアノで神への挑戦権を手にしたわけだ。全てのもので挑戦するわけにはいかないからね。車や家電は他の仲間に任せるよ。ピアノなのはたまたま」
色々なもの100個できるより、ひとつのことをとことんできる方が面白いとレダは考えた。それがたまたまピアノだっただけ。もし自転車に出会っていたら、自転車屋になっていただろうし、機械にのめり込んでいたら電気屋だったかもしれない。割り切っている。だからこそ、ピアノに集中できた。
神への挑戦。○○が好きだから、とか、○○に憧れて、ではない。レダは自分の道を突き進む。
自分との違いを知り、ジェイドは気圧されつつも、素直にその心構えが『カッコいいな』と思えた。ショコラに『神』を感じたことはなかった。もし自分が同じ立場に置かれたら、どんなショコラティエールになるのだろう。
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