150話
二〇時。『プロムナード』の閉店時間。指紋ひとつないよう、丁寧にショーケースのガラスを磨くクロエに話しかける女性。
「ワンディが来たんだって? アイツも変わらないねぇ」
他人事のようにケタケタと笑う。実際、他人事。自分の酒を飲まれたのは痛いが、まぁいいかとやり過ごす。
手をピタリと止め、ゆっくりと声のするほうにクロエは振り向いた。
「面倒でしかなかったです。なんとかしてください、キーラさん。仕事になりませんでした」
その日のことを回想し、結局いつもの帰宅時間より一時間近く遅くなってしまった。振る舞った自分も悪いが。そもそもがなぜ来たのか。
そんな突飛な行動はいつものこと、とばかりにキーラと呼ばれた女性は理解を示す。
「まぁまぁ。一応製菓学校では教わってる身だ。うまいこといなしてくれ」
彼女の行動に意味を考えてはダメだ。楽しいこと、厄介なことを優先する。だが講師をするほど確かな腕を持っているのは、間違いないわけで。
とはいえ何度も来られても困るので、対策を講じるクロエ。
「店の前に張り紙でもしておきましょうか。賞金首みたいに、店内で見かけて捕まえた人には、ボンボン詰め合わせプレゼント、みたいな」
どこまで通用するかはわからないけど。
ニヒヒ、とキーラは口角を上げる。
「いいねぇ。アイツ喜んじゃうよ。むしろ来る回数増やして、アルバイトの子とかにわざと捕獲させるかもね。んで、詰め合わせゲット」
プロムナード特製ボンボンを無料で食べるために。むしろ毎晩来るだろう。酒のお供として。
「……やっぱり却下で」
自身の浅い策など、彼女の養分にしかならないことを再認識。クロエは肝に銘ずる。
だが、なんとなく不満の中に朗らかなオーラが確認できたキーラは、そこを突いた。
「でもなんかいいことあった? 楽しそうじゃん」
いつもの仏頂面がどこかソワソワしているような。落ち着かない、という表現が一番正しいか。
「別に。ただ、同じくらいの年齢で、同じようにショコラティエールを目指す方と話せました」
掃除をする手を再度起動させる。早く終わらせよう。
少しずつ柔らかみを増してきた弟子に、キーラは喜びを覚える。
「あそこのジェイド、って子だね。想像が突飛だ。『音楽』をテーマに新作を作っているらしい。マリー・アントワネット以外にも、チャップリンを作ったそうだよ。売り物じゃないけど」
流れてきた情報を惜しげもなく披露。ダダ漏れしているが、このあたりの緩さも友人ゆえ。




