144話
店の前まで来ると、一〇席ほどはあろうかという店内は満席。必然的にオードはテイクアウトの列に並ぶ。
「こっちでいいでしょ? 店内のほうがいい? 待つ?」
一応確認。味とか一緒だろうし、なにか違うのだろうか。どちらでもいいなら待つ時間が短いほうを選ぶ。
それにはジェイドも同意。
「あぁ、むしろテイクアウトのほうがいい。買ったらこの先の公園に行こう」
と、コンコルド広場方向を指差す。人も多いし、たしかに落ち着いて食べたいところ。
「で? グラス買ってどうすんの? どう解決?」
全く先の見えない展開にオードは不満を口にする。今のところなにも掴めないで、観光客などに混ざって並んでいるだけ。
そろそろいいか、とジェイドは笑みを浮かべた。
「たまたまカバンの中に入っていた、これを使おうかなと」
と、背負っていた黒いリュックから瓶を取り出す。まだ封は開けていない。新品の状態。
目を細めてオードはラベルを読む。
「ん? なにこれ。『カカオジャン』? ソジャ? カカオとソジャが一緒になってんの?」
顔を歪めて一歩後退。ソジャとは醤油のこと。和食を作るわけではないフランス人の家庭でも、醤油を置いてある家庭はかなり多い。それどころか、フランス発祥のスクレ醤油という甘口のものもあるほど浸透している。とはいえ、グラスにかけるのはさすがに躊躇う。しかもカカオと混ぜて。
嬉しい予想通りの反応に、ジェイドはより破顔する。こういった「いや、無理でしょ」みたいなのを制圧するのは楽しい。
「その通り。調味料の一種と考えていい。劇的に変わる、というものではないが、今までに食べていたものの新しい面を見ることができる、という感じかな。私のオススメは——」
「……グラスはそのまま食べたいんだけど。てか、カカオ入ってるならショコラ味のでよくない?」
冷静なオード。なぜ余計な手間を加えるのか。そして余計な調味料を。普通が一番美味しいはず。むしろ、作ってくれたお店に対して、味を変えるのは申し訳ない気も。
だが、渋い顔でジェイドは自論を展開する。
「甘いね。ブラジルのブリガデイロくらい甘いよ。そこにソジャの香ばしさが追加されると新感覚なはずだ。私もそのままで充分とは思うんだけどね。ほんの少しだけ研究してみたくて」
またも専門的な例えを用いつつ、カカオジャンの可能性を探る。
「別にここじゃなくてもよくない? スーパーとかで買えばいい」
もっともらしい意見のオードだが、それはジェイドによって即否定される。
「ここのオーナーは過去にパティスリーとして、世界チャンピオンに輝いているからね。対象にするなら、一番美味しいと思うもので。てことで、お金もらえる?」
さらっと金銭を要求するジェイド。なにが「てことで」なのかは不明。




