第82話 故郷の歌
「〜〜♪」
「その歌、拓巳よく歌っているな」
「いい歌だなーって思ってから、よく歌うんだよね」
キッチンに男二人で並び、父さんは料理を、俺は皿洗いをしている。
フライパンから食材を炒める音がして、届いた煙の臭いを嗅ぐと同時にぐぅと腹が鳴った。
俺は洗い物をしながら鼻歌を歌えば、話好きな父さんが案の定、俺の鼻歌に食いついた。
「昔から歌われている曲とか日本語の曲ってさ、やっぱりいい曲だよね。
時代を問わないというか。
最近の流行りの曲も好きだけど、俺、昔からの曲好きだな」
思い浮かんだ好きな歌をいくつか挙げる。
すると隣からフライパンの音に負けない程大きな声が聞こえた。
「お前はもう、渋いよ拓巳……! まだ二十歳過ぎたばかりの青年が、そんな深みのあることを言うなよー、お前一体何歳だよ、って……お前は俺の同級生か!
外見は俺の分身そのままなのに、中身が母さんに似すぎて、お前は落ち着きすぎるっ!」
ううう……! っと大袈裟に涙を拭う仕草をする父さん。
いいからそのフライパンは動かして。
料理が焦げる。
「だって、いい曲はいい曲なんだし」
「確かに、だよなー!」
ガハハ! と豪快に笑った父さんが、コンロの火を止めて皿に料理を盛り始めた。それを見て俺も手元の作業を少し早めた。
「だよな。父さんも、昔の曲好きだ」
目が覚めた。どうやらまた眠ってしまっていたようだ。昨日からずっと眠りっぱなしの自分に、自分でもよく眠れるなと感心する。
(そういえば、父さんと二人だけの夢って、久しぶりに見た……)
一応人生のうち、半分は父さんと二人だけの暮らしをしてきたっていうのに。
(あ、起きれそう)
身体が軽くなった気がして上体を起こす。
腕や腰など身体を伸ばすと、至る所からポキポキと関節が鳴った。
部屋を見渡すとローテーブルの上にはぬるくなったお茶が置かれていて、ひとまず手を伸ばしそれを口に含む。
恐らく、朝、ナタムが作ってくれたものだろう。
ふわりと風が吹き、髪が揺れる。
(あれ、窓、開けてたっけ……?)
振り向くと部屋のカーテンが完全に開いていて、窓も少しだけ開けられていた。
誰が? と思いカップを片手に窓に近づく。
この部屋の窓は、窓とは言っても人が通れるほどの大きな窓ではない。
日本で言うなら換気用の小窓サイズの窓だ。
窓を覗けば、窓の外には青い空が見える。
テーブルにはオレンジ色のカーネーションが飾られている。
待て。このカーネーション。俺はそもそも貰った記憶が欠片も無いんだけれど……
「あー! やっと起きた、タクミさまぁ!」
「わっ?!」
「もうお昼だよ? 起きて起きて」
突然耳元で聞こえた声に、思わず持っていたカップを落としそうになった。
だが聞き覚えのある声に俺は笑い返す。
「びっくりした。おはよう、どうしたの?」
「タクミ様がずっと寝込んでいるって聞いたからだよ」
姿が見えないが、声の主の彼女たちは植物園に住む花の精霊達だ。
「心配して来てくれたんだ? ありがとう」
植物園の方から遥々ここまで飛んできてくれたのだろう。話を聞けば、カーネーションを飾ってくれたのも彼女たちだという。
彼女たちからの見舞いの品だそうだ。
お礼も兼ねて、せっかくなので何かおもてなしできるものを出してあげたい、そう思い部屋を見渡した。
「良かったら食べる?」
「あ! それ白薔薇様が持ってたのだ!」
「やはりあれはタクミ様が作ったんですねぇ」
棚から手に取ったのは琥珀糖だ。
先月ロゼリスにプレゼントした後、自分のおやつ用にも作っておいた、そのほとんどが砂糖に色付けだけした簡単なものだ。
黄色いものを一つ取り出し、半分に割ってお皿に乗せる。
彼女たちの身体が実際にどの程度の大きさは分からないけれど、おおよそ俺の肩に乗れるサイズだ。
流石に一人一つずつは大きいだろうから。と皿をテーブルに置くと、カタンと時々音を立てながら固まりが動いた。
本人たちの姿は見えないけれど、そこにいるのがよく分かる。
「精霊って仕事はないのか?」
「あるよぅ、朝一番で終わらせたもん。
でも今日は庭師のみんな、忙しそうだったんだー」
「だからタクミ様のお部屋で過ごすのですぅ」
俺はただの暇つぶし相手かよ、と思うも別に悪くはないか。
こうして声だけが聞こえる感じは、日本にいた頃に仲間とくだらない電話をしていた時にちょっと似ているからだ。
懐かしい。
「ねえそうだ、タクミ様? タクミ様は何か歌は歌えて?」
皿の上の琥珀糖が半分ほど減ったところで再び声が部屋に響く。
「歌?」
唐突に歌の話?
「昔ねぇ、タクミ様と同じ人が私たち一族に歌を聴かせてくれたの。お世話になったお礼に、って。
私たち凄く子どもの頃だったけれど、その時のことはよく覚えているのよねぇ」
「歌か……」
急に彼女たちからリクエストされた歌。
こういう場合、俺は何を歌ったら良いんだろう。
こちらに来てから、流行りの歌など覚えがない、気がする。
それに俺は日本の歌しか知らないし……って。
そうだ俺は今、日本語を喋っているんだ。
精霊たちの突然の訪問に、何も考えずに話を続けていたけれど。
(こんなに長く日本語を話すのも久しぶりかもしれない)
久しぶりに自分の口から出た故郷の会話に、何故か顔が綻んだ。
精霊たちが望む歌。どんな歌がいいのだろう。
日本語で会話しているんだから歌も日本語がいいよな。英語とか難しい歌詞とかは避けた方が良いだろうし……
「あ。いい歌がある。二人にぴったりだ」
先程まで見ていた夢を思い出す。
それは父さんとキッチンで並びながら、よく鼻歌を歌っていた、あの曲だった。
「いい歌ねぇ」
一曲歌い終えたタイミングで、精霊たちが手を叩いたのか、小さくパチパチと手を叩く音がする。
「花」
「花ぁ?」
「そう、花。歌の名前が花。
歌にも名前があるんだよ」
「「へぇーー!!」」
久しぶりに歌った歌は、精霊たちに大絶賛だった。
もしかしたら昔の歌や童謡とか、簡単なメロディなら教えれば一緒に歌えるかも? そう思い記憶を辿って、他にも何曲か彼女たちに披露する。
もちろん歌詞の内容はちゃんとこだわりの花縛りだ。
「そういえばこの国って歌を歌う文化はない? この前の祭りでも、楽器の演奏はあったけど、歌って無かったなーと思ったんだよな」
「人間にはないかなぁ。鳥や虫、あとは水族は歌うよねぇ」
「そうなのか」
歌う習慣がないのか。あっちとはやっぱり色々違う事が多いんだな。
「……………」
ベッドの縁に背をもたれて、部屋に入る風を感じる。
涼しい風、季節はもう秋だ。
ああ、歌なんて久しぶりに歌ったな。
思えば、父さんの死後からは一度も歌っていなかったかもしれない。
だっていつもなら、必ず俺の歌にリアクションをくれた父さんが。もうこの世にいないだなんて、実感したく無かったから。
目を瞑ると思い出すのは二人の墓だ。
この世界に来てしまったから、もう二人の墓参りには行けなくなっちゃったけれど。今あのお墓はどうなっているんだろう?
近くの河川敷の彼岸花は、今年も綺麗に咲いているだろうか。
「〜彼岸花の姿は 打ち上げ花火に良く似てる
音が消えて 花が散ったら
また会う日まで ここで待つ〜
……彼岸花の研究は、もう始まった?」
「まだぁ。でも昨日の夜、私たちは見たわよ。赤と白の花ねぇ」
「庭師の皆は、今は食用花の研究が先なんだって」
「そうなんだね」
こうして精霊たちから王宮の話を聞けるなんてレアだな、と思う。
彼らは普段、あまり人間世界に興味が無さそうだからだ。……って単に花の話題だから教えてくれているだけかもしれないけど。
「ヒガンバナはね、あの植物園で保管してるよぉ。その中のぉ、白薔薇様しか入れないお部屋」
「え、でも皆はそこに入ってきたんだよな?」
「皆すり抜けできるからねぇ」
だったら鍵の意味無いよね、と部屋の中に笑い声が響いた。つられて俺も笑う。
目を閉じれば、植物園で作業している彼女の姿が想像できる。
忙しそうな庭師団。
その中で彼女もきっと真剣に、でも楽しそうに研究を進めているのだろう。
彼女とはあの深森の帰り、彼女に抱えられていた時の記憶が最後だ。彼女に身体を預けて眠り続けた記憶。
早く元気になって、ちゃんと彼女に礼を言わないと。俺は窓から覗く青い空を見上げた。
明かりの消えた植物園の中で、飛び交う沢山の精霊たちの群れ。あちこちから声が飛び交っている。
それもそのはずだ。
遥か昔に族の一員となった異世界人の。その彼から聞いたとある花の一種が、今こうして目の前に存在しているのからだ。
初めて目にする花の姿に精霊たちは大はしゃぎ。
皆が順番に花の周りをクルクルと飛び回っている。
そんな中、花族の最年長であり代表のルーブベルは、その遥か昔の記憶を思い出していた。
突然現れた、彼。
我々の姿が全て見え、そして話ができ、我々に文字を教え、様々な知識を伝授してくれた異世界人の彼。
我々とは異なりはるかに短い命でこの世を去ってしまった彼だが、彼は精霊界にも、そして人間界にも沢山の影響を与え、そして精霊と人間との掛橋にもなってくれた偉大な存在だ。
その彼が、生前話していた花の話の中に、この花があったような気がするのだ。
(確か、色々な呼び名や迷信があると言っていたな)
どんな内容だっただろうか。
詳しく思い出したら王女様にでも伝えよう。
そう思いながら未だにはしゃき続ける一族達の姿を、ルーブベルはぼんやりと眺めていた。




