第63話 夏の大特訓
『いーっいたたた!
マスター!痛いっす!』
「タクミ、ジラーフラの言葉を喋らないか」
俺は王宮内にある練習場へと来ていた。
それは王宮に通う人が魔法や剣など練習できる場所で、普段は騎士団がよく使っているのを目にする場所だ。
先日喫茶店のマスターにアメルアでの話をしてからすぐの事。
マスターはお店の営業時間を短縮して、俺の魔法の練習を指導してくれるようになった。
せめて火魔法4までは難なく使えるようにと、体力作りからスタートし、数えきれないほどの数の術を放って、そして馬にも乗せられ。
動きっぱなしの練習の毎日が始まって、今日でちょうど二週間。
(本気で身体が、痛い…)
まともな運動もせずに過ごしてしまった最近の日々を思い出す。
大学時代は仲間内で運動サークルを作っていたから、体力にはまずまずの自信があったのに。現実は身体のあちこちが悲鳴をあげている。
ああ、魔法使いが突っ立って呪文さえ唱えれば戦える、だなんて甘い考えを持っていてごめんなさい。
実践だもんね、そりゃあ動きまくるよね…
おかげでアメルア行きの時には乗れなかった馬には難なく乗れるようになって、マスター曰く「いざと言う時は戦えるレベル」にはなったらしいが、それでも動く度に重く痛む身体は。
『しんどい!』
「だからタクミよ。分かる言葉を話さないか」
多量の汗をかき地面の上で大の字になる俺の横で、同じくらい動いているはずのマスターは涼しげな顔のままだ。
おかしい。マスターは初老くらいの年齢だろうに。その顔からは疲労感など少しも見られない。
ついっと彼が指を振る。
すると練習場の壁に炎が広がり爆発音が連なった。
凄い火力だ、壁の一部が変形している。
その凄まじさに未だ戸惑う俺に「守る為には強くなれ」とマスターは言い放った。
(確かに強くなりたい)
大切な人と想いが通じたところだ。
(守られてばかりじゃいられない…)
ならば、と俺は再び身体を起こすと、壁に向かって姿勢を構えた。
「今日はここまでにしよう。店の準備に間に合わなくなる」
「ありがとうございました」
正午くらいの時間になった。
帰り支度をはじめたマスターにお礼を言う。頭を下げてお辞儀する。と同時に全身を走った身体の悲鳴に、俺は思わず「うっ……」と呻き声を上げた。
近くのベンチへと移動し、寝転ぶ。
真夏の真昼間だ、頭上にはジリジリと肌を焼く太陽が輝いている。
それは、あの日を思い出す。
一人助けを求めて魔力を放ったあの時。
祈るように放ったあの大きな花を、見つけてくれた俺の大好きな人。
「……ロゼリス」
ひやり。額に冷たいタオルが乗せられて目を開けると、瑠璃色の瞳が心配そうに俺を覗いていた。
あまりの陽射しの強さに幻覚かと思ったが、何度瞬きをしても目の前にいる彼女は彼女のままで。
「タクミくん大丈夫?」
「平気。少し考え事をしてた。もう起きる」
どうやら彼女は俺が体調不良で倒れているのだと思ったらしい。確かに数週間前、炎天下で死にかけていた俺を助けてくれたのは紛れもなく彼女だ。そう思うのも頷ける、余計な心配をさせてしまった。
身体を起こすと彼女の全身が視界へと映る。
涼しげな薄い緑色のドレス。まとめられた髪にはキラキラと光る髪飾りがついていて、久しぶりに見るその姿にはっとした。
「珍しい。姫様の格好してるじゃん」
「だって姫様だもの」
「今日は公務があるんだ?」
「お客様がいらしていたのだけど、もう帰ったわ。タクミくんが魔法の練習をしてるって聞いて、少し前からそこで見ていたの」
「見てたの?」
うん、と首を縦に振る彼女。
その姿は本当に絵本の中に出てくるお姫様といった姿だ。
不思議な感じだ。そのお姫様がこんな汗まみれの俺の隣に座って、笑っているのだから。
「頑張っているんだね」
「おう」
俺を見つめるその目が、優しくて熱くて、見つめ返すだけで俺の身体が溶けそうになる。
「これをどうぞ」
彼女から手渡されたコップ。中を覗くと氷と共に複数の果物が水面に浮いていた。
「身体を動かした後はこれがいいわ」
『ありがとう、いただきます』
いつから俺の練習を見ていたのだろう。きっと早い段階から見ていて、この飲み物も用意してくれた気がする。
これは果実水というものだろうか。爽やかな味がする。カラカラと音を立てる氷で冷やされた水は、身体の火照りを少し和らげた気がした。
(今日もしてくれてるんだ…)
喉を潤しながら視線を送ると、隣に座るロゼリスの胸元には、そのドレスの色にはやや不釣り合いな真っ赤な石が下げられている。
俺の魔法石だ。俺が彼女にプレゼントした魔法石のペンダント。流石に公務中は外しているだろうが、そのあとわざわざ身につけてくれたのだと思うと、胸が躍る。
そういう俺も、首から下げているけれど。数週間前に使ってしまい、ガラスのように透明な色へと変わった彼女の魔法石。
ああ、今思えば。
俺はもうあの時、彼女に自分の石を渡した時から、彼女に恋をしていたのかもしれない。きっと彼女が好きだったから、あのタイミングで渡したのだ。
プレゼント…
そうだ、とある事を思い出す。
『ロゼの誕生日っていつ?』
が、言葉が分からず日本語で訊ねる。それに対し彼女は首を傾げていた。
「タンジョ…?」
どうやら誕生日そのものが分からないらしい。分からないというのは、つまり一体どういうことだ。
「もしかしてこの国はそういう習慣がない?
自分が生まれた日が何月何日か知らない?………いや姫様だから流石に記録に残されてるよな」
一般的に記録しているかは別として、王族レベルならちゃんと記録しているとは思うのだが。
俺の話を聞いて、思考を巡らす様子のロゼリス。
「私たちの国は、新年で皆一斉に歳を取る習慣があるの。だからそういう捉え方はしないけれど…」
やっぱり。確か日本でも昔はそうだったというから、この国でもその可能性は考えていた。
「私が実際に生まれた日は、来月の17日ね」
おや、でもやっぱり知ってた。ってか俺と近い!
「来月の?」
「うん、その日であってるはず。タクミくんはいつかしら」
「俺も来月の25日」
「近いのね」
俺はほっと息を吐いた。なぜなら彼女の誕生日がこれから来ると分かったからだ。
もしも彼女の誕生日がもう過ぎていたりしたら、最近ずっと考えていた色々な計画が崩れてしまうところだった。
安心した俺に反して、不思議そうな顔をする彼女。
「日本では誕生日に何をするの?」
「ん……」
あ、まさかの質問返し。それにその質問は少し答えづらい。
「特別な事があるの?」
「それは人によって違うんだけど…」
いや、最初に言い出したのは紛れもなく俺。だから俺には彼女の質問に答える義務がある。
「……俺は、誕生日は家族で祝ってきたんだ。俺の誕生日の時は、ずっと家族にお祝いしてもらっていて」
一番新しい記憶は、去年の誕生日、ステーキ屋さんへ連れて行ってくれた父さんとの思い出だ。まだ記憶に新しい。
「でも、今はいないからさ、…俺はロゼの誕生日のお祝いがしたいし、俺も誰かに祝ってもらうなら相手はロゼかなぁと思って」
言葉にしたらやっぱり恥ずかしくなってきた。
言ったままの意味だけど、自分からお祝いしてほしいと伝えるのは、なんだか恥ずかしさがある。
俺の言葉をじっと聞いていたロゼリス。しばらくするとぱっと表情を輝かせて「分かったわ」と頷いた。
「タクミくんの日だと、前みたいに街に行くのは難しいかもしれないわ。次の日がお祭りで、城下は準備で大忙しだろうから」
「ああ、ロゼが忍べてなかった例の祭り」
「…そ、そう…。
流石に他の街からも人が来る大きなお祭りだから、どこも賑わっているだろうし…ゆっくり会えそうなところがあるかな」
そうか。前に教えてもらった祭りが来月末にあるのか。国の祭りということで城下町は大いに賑わうらしい。露店もかなりの数が並ぶそうだ。
勝手に日本の祭りの人の多さを思い出すけど、人を掻き分けて進むような人の多さだとすると、確かにその中でゆっくり彼女と話をする…というのは難しいと予測できる。
「そうしたら場所はまた考えておく」
まだその日までに時間はある。どうするかはこれから考えよう。
「ロゼは誕生日に何か希望がある?」
俺の質問と同時に彼女は動きを止めた。その顔は“わからない”という顔だ。そもそも誕生日の概念がなかった人に、プレゼントの希望を聞くのは難問だっただろうか。
仮に彼女の希望があってもなくても、渡すものはある程度決めているのだけれど。
するとロゼリスは再びじっと考えはじめた。俺を見てまた考え込んで、また俺を見て。そして希望のものが決まったのか顔をこちらに向ける。
「一緒に図書館でお勉強していい?」
「え?」
てっきり一緒にどこかに出かけたりするかと思っていた為か、お馴染みの図書館に俺は驚いてしまう。
「勉強?それでいいの?」
「うん。時間を掛けてでも教えてほしい事があるから」
「分かった。じゃあとりあえず17日に図書館な。約束」
「…はいっ!約束ね」
柔かな笑顔を見せる彼女。
俺に教えてほしい事って何だろう。
前に何度か日本語を教えたことはあったけれど、それの続きだろうか。だが誕生日に教えてほしい事なのかと少し疑問にも思う。
(まあ、本人がそれを望んでいるのなら、それに応えるだけだ)
「何を教えればいい?」
「んー…当日になってのお楽しみで」
一体どんな事を俺は教えるのだろう、と想像するとワクワクしてくる。彼女の口調からすると勉強についての準備は必要無さそうだ。
ならば魔法の練習に没頭するのみ。
「残りの夏休みは、マスターの指導に頑張ってついていこうと思う」
「うん」
練習の合間にまたこうして会ったり、デートに出掛けたりできたらいいのだけど。
どうだろう。と彼女を見ようとして、俺は顔を近づけた。
すると冷んやりとした彼女の指先が、俺の指へと絡みつく。
「なに……ロゼ……」
その途端、風に揺られたピンクゴールド髪が俺の頬を撫でて、唇に柔らかなものが触れた。
微かにリップ音が聴こえて、その音が妙に生々しく聴こえて、大分冷えてきたはずの体温が一気に上がる。
何。今俺はロゼリスと。
「ロゼっ…ここ王宮内…!」
なんて大胆なことをするんだ、この子は。
慌てて彼女の肩を掴んで身体を引き離すも、じっと俺の目を見つめ返すその深い瑠璃色に手が止まる。そしてその隙を見て俺のシャツの襟に手を伸ばしたロゼリス。
確かに見る限りでは、今ここには俺たちしかいない。だが仮にもここは国の中心部で、彼女はこの国の王女様で。
どんなタイミングで人に見られるかも分からない。
一緒にいる所を見られるだけでも、まずい場合だってあるかもしれない。
それなのに、だ。
それなのに、俺もその手を払い除けることはできなくて、何かを言いたかったのにその口も再び塞がれた。
名残惜しい、そう思うほどに俺は彼女に恋しているのか。
あまり時間を経たずして離れてしまった彼女を、少しでも逃さぬようにと熱い眼差しを送れば。
「私も頑張ってみる。だから、お互い頑張ろうね」
と何かを決心したかのような、強い眼差しが返ってきた。
またね、と彼女が去っていく。
城の方へと消えていった彼女の残像を追っていた俺は、しばらくの間その場でぼんやりとしていた。
「身体が、楽になってる」
そう気付いたのはかなり時間が経ってからの事だ。
キスしながら回復魔法をかけるとか、中々器用なことをする奴め。少し悔しいけれど、でも彼女は特別な魔法の使い手。きっとこれは彼女なりの俺への激励だ。
また明日も練習を頑張ろう、と見上げた空はいつもより高く見えた気がした。




