第6話 信じるもの信じないもの
『わたしたちは かみさまから ちからをもらいました
いのちをつくる みず
いのちをそだてる つち
いのちをもやす ほのお
ま をけしさり ひかり をてらす
このせかいが いつまでも つづくように
ちからも つぎへと つづいていく』
庭師のロゼリスと別れ、引き続き王宮内を探検していた俺は、学校からほど近いところに図書館を見つけた。
興味が湧いたので中に足を踏み入れ、入り口付近に座っていた図書士さんに声を掛ける。
話を聞いてみれば、やはりここでは本の貸出が出来るようで、ならばと俺は気になる本を何冊か借りてから寮に戻ろうと思った。
大まかにどんなものがあるのか、ぐるりと館内を回って。
それから本を選んで、さあ帰ろうと出口へ向かった時、ある疑問を持った。この本、どうやって借りるのだろう、と。
特に身分証明書のような物は持っていないし、貸し借りの際にサインを要求されたら俺はこの国の字が書けない。
この場合はサインだけなら日本語でもいいのかな……不安に思いつつ先程の図書士さんへ再び声を掛ければ、俺の疑問は一瞬で解決した。
「手をかざして頂ければ出来ますよ」と。
カウンターには二つの魔法陣が並んで書かれていて。俺は言われた通り、片方へと本を置き、もう片方に手をかざす。
どうらや魔法陣が借りた人の魔力を感知するらしく、本のデータと個人情報が登録されて、館内の本が誰の手元にあるかすぐに分かるようになるらしい。
例外なく俺の魔力も魔法陣が感知して正常に発動したらしかった。
全く何も変化を感じなかったのに。
魔法の力って凄え。
そして便利だよな。
そして本当に俺にも魔力があるのか。
そう思うとワクワクしてくる。
俺の反応に気づいたのか、図書士さんが更に教えてくれた。王都内はほぼ、キャッシュレスだという。個人の店などは現金がいるが、大きな店などは図書館と同じように手をかざすだけでいいらしい。
(そういえばさっきの食堂もそうだったか)
職員食堂で注文をした際、ロゼリスからも魔法陣に手をかざすよう説明を受けていたのだ。そうすれば食事代はキャッシュレスで払えるというのを。
魔力がデータ代わりに使われているらしく、使ったお金は個人の銀行口座のようなものから引かれるそうだ。
なんと便利な世界である。
ちなみに図書館では無断で本を持ち出すと、必ず出入り口でバレるとも聞いた。おそらく食堂も同じようなシステムなのだろう。
バレたらどうなるかまでは聞かなかったけど、先日の花泥棒疑惑事件を思い出すと、結構怖めの処罰がありそうだな、なんて思い俺は思わず肩をすくめながら図書館を後にした。
寮の部屋に戻り一休みした後。
俺は本を開いてページを捲っていた。
この国の本は、仕事で使っていた紙と比べると品質は落ちるが、本としてちゃんと成り立つくらいの紙質の本だ。
最初のページを捲ると、数行の文字列と挿絵が並ぶ。
(いくら学校で補修をしてくれるとは言ってたけれど。でもそれだけに頼らず、ちゃんと予習くらいはしていかないとな)
なんせこの世界の全てを何も知らないのだ。それを一年間でこの国の高校レベルまで学び切らなきゃいけないとなると、少しでも事前に予習できるものは予習して、授業の理解の足しにできればと思う。
そう思っていた矢先、図書館に出会えたのだからこれは運が良かった。
図書館は王立というだけあって、本の数がかなり多く少し迷ったが、今はとにかくこの国の基礎的なものを知ろうと、簡単な本を選んできた。
児童書コーナーにあった建国神話のような本だ。
俺は言葉を口に出しながら、捲ったページの文章を読んでいく。
「『あるひ おろかなにんげんたちは たがいにたたかいをはじめました
どちらのちからがつよいか ためそうとしたのです
こまったかみさまは にんげんたちのあいてとして まものをつくりました』……え、魔物?」
え? この世界って魔物がいるのか? 本物の?
魔物ってあれだよな、架空の生き物のことだよな。
神話らしき本だけど、これってフィクション?
それともノンフィクションか?
「まさにファンタジー……」
読み上げた言葉の内容に驚きながらも、俺は何とか理解しようと試みる。
魔物は主に森の中に住んでいる。
遭遇してしまうと時々人間を襲う。
ただし魔物は森の生態系の一部にもなっていて、人間を襲うからとむやみやたらと殺してはいけない。
とのこと。うん、そうなんだ。覚えておこう。
「『ふしぎななかまは うみに もりに まちに すむ
いのちが まわり つづくよう
ときに てをかし み まもる』うーん……?これはなに……」
ふしぎななかま、不思議な仲間。所謂、精霊みたいな魔物以外のファンタジーな生き物の事だろうか。
海や森、街に住む……時に手を貸し見守る……身を護る?
ファンタジーな生き物たちは人間の味方にもなるし、そうじゃない事もあるって事か。ううむ、この本からはぼんやりとしか分からない。曖昧な訳がされてしまった。流石は児童書である。
そこで俺はロゼリスの言っていたことを思い出した。
彼女は言っていたのだ。精霊がもたらす力は凄い、と。
花の精霊が、手を貸し、見守り、身を護る。
この国は、花の精霊が国の味方についているから、他国で有名だって事だったのだろうか。
この世界の精霊が一体どんな力を持っているか、俺にはまだ分からないけれど、きっとそれは小さな力ではないのだろう。
もしも精霊が人間よりを遥かに上回る攻撃や防御が出来るとしたら……花の管理をする事は、国の攻防力を保つって事に繋がる。
大変な仕事だと彼女は言っていたが、この国の庭師の仕事って、本当に俺が思う以上に凄い仕事なのかもしれない。
「不思議な世界だな」
魔法に精霊、魔物。架空でしかなかったものが、存在する世界。
でもこれがこの世界の当たり前なのだ。
日本が、俺の世界からしたらあり得なかったものが、この世界では常識で。生きていくために必要な知識。
だからこそ、これから驚くことが沢山あるだろうけれど、少しずつ覚えたり受け入れたりして、慣れていこう。そう思う。
パラパラと本のページをめくり、一通り最後まで読み終えると、パタンと音を立てて本を表に返した。そして表紙の文字に視線をおくる。
「それにしても、この魔法具、凄いよな」
胸ポケットから取り出したのは、金属の型に嵌め込まれた黄色い石のペンダント。これはガルベラ王子が貸してくれた「翻訳機」みたいなものだ。
実はこの世界に落とされた時、俺はこの国の言葉が分からなかった。
全くの異国語で、言葉を聞いたこともなければ、もちろん文字も読めなかった。
でも彼は直ぐにその事に気付いたのか、早々に手配をしてくれて、渡されたのがこのペンダントだった。
金属の型の内側には翻訳の魔法陣が書かれていて、その魔法陣に魔力を流せば術が発動し、周りの言葉を持ち主の言語に変えられるという。
しかし、俺はまだ魔力の感覚が分からず、もちろん流し方も分からなかったので、俺の代わりに魔力が陣に流れるよう、ガルベラの魔力を石にしたというものをはめて、常に術が発動するようになっているらしい。
「週明けにでも先生に魔力の流し方の練習を依頼しよう」と彼が言っていたから、月曜日には自分で使えるようになるのだろう。
意識せずに使いこなすには暫く練習が必要だというが、魔力の流し方さえできるようになれば、自分の力で陣が発動し続けるようになるそうだから。
それに「その石とペンダント、絶対に落としたりするなよ」と言われたから、どちらも貴重な物なのだろう。
早く魔法の流し方を覚えたら、早いうちに中の石だけでも先に返そうというのが本音だった。
(でも会話と文字の読解は魔法に頼って大丈夫そうだけど……文字を書くなら、ちゃんと覚えないと駄目だよね)
先程、図書館にいて思ったことだ。
手っ取り早く会話が出来るようにするには、翻訳の魔法陣を刺青のように直接身体に入れてしまえば、常に術が発動するわけで、会話に困る事は無くなるという。
だがやはり、将来の事を考えると翻訳機能は一時的でいいと思っている。
例えば名前とか。
こうして文字が存在していて、本があって図書館があって、授業でも普通に文字を使うとなると。
おそらくこの国のおおよその文明レベルを考えても、せめて日常的に簡単な単語くらいは書けた方がいいだろう。
魔法陣の一部にも文字が書かれているし、今後魔法を極めていくのなら、ゆくゆくは魔法陣も使いこなせるようになりたいと思う。
だからまずは、この国の文字だ。
握っていたペンダントを机の上に置く。
再び本を開いてみると、先ほどまで日本語で書かれていた文字はひとつもなくなり、代わりに読み方も発音も分からない異国の文字が並んだ。
ノートを広げて表紙の言葉から文字を書き写していく。
(こうやって見様見真似で模写してみよう。下に日本語訳を書いて、少しずつでいいから覚えていこう)
少しでも早く、一人で生きていける術を身につけるために。
結局、週末休みは本を読んで終わった。
昼食と夕食は職員食堂を利用したが、残念ながら庭師のロゼリスには再会出来なかった。
*
「週末の休みはどうだった?」
「職員食堂に行って、あと図書館で本を借りたんだ」
月曜日の朝、教室に着くと同時にガルベラとナタムに話しかけられた。
俺は図書館で借りてきた本を鞄から取り出すと、パラパラとページをめくった。児童書を借りたのか、と二人が覗いてくる。
教室の時計を見る。授業まではまだ時間がある。
質問するなら今がいいかもしれない。
本を読んでいて沢山疑問が出てきたのだ。どんどん聞こうと思う。
「なあ、この国には神様っているのか?」
神様がこの世界を作ったという話は、本当なのだろうか。
もしこの国に神様への信仰とやらがあるのなら、ある程度理解しておいたほうがいいと思ったのだ。習慣だったり、ある程度のルールだったり、そういう部分も含めてだ。
そう思い二人に聞けば、二人は「いないんじゃない」と口を揃えた。
「え、いないの?」
いないんだ? 神様。
いたら面白そうだと思ったのに。
「私は……公務の中で祈りはするが。民の中にもいると信じる人もいるが、実際私は信じていない」
「僕も同じだよ。強いて言えば、この国の人は精霊の力を信じているかもねぇ」
世界を越えてファンタジーな国に来たからには、もしかしたら本当にいるのかと思っていた。むしろ神様がいたら俺がこの世界に飛ばされた理由も判るかも! なんて少し期待もしていたのに。残念ながら、神様の存在は架空だという。
そういうものなのか。平民のナタムはまだしも、王族のガルベラがはっきりと神はいないだなんて言って、バチが当たりそうだとか周りから怒られそうなのに。
まあ二人がそういうのならそうなのだろう。本当にいないか、もしくはいたとしても俺たちの干渉できない次元にいるかのどちらか、ということだ。
それよりも気になるのは、ナタムの言った内容だ。
精霊の力を信じている……って。ロゼリスは確実に精霊がいるって言っていたはずだ。それと精霊も神様と同じで架空の存在だった? 彼女の口調は、そんな風には聞こえなかった気がするのだが。
「精霊も架空の存在? 魔物もそう?」
「いや、それらはちゃんと存在する」
いるのかよ!
なんだそれ。神様はいないけれど精霊や魔物はいるのか。その差は何なんだ。
「精霊に、魔物」
そうなんだ、と俺は本を閉じた。神様についてはきっぱりと否定されてしまったものの、架空の存在と思っていた精霊や魔物は、この世界にはいるらしい。
そこに暮らす人達がそうだというのなら。そうなんだろう。ここでの生活を続けていれば、次第に分かるものなのだろうか。頭の隅に留めておこう。
それからしばらく俺は考え事をしていたが、再び周りに意識を移すとナタムは他のクラスメイトと話を始めていて、俺は教科書を読んでいたガルベラへと話しかけた。
「そうだ。休み中に、中庭にいた女の子と会ったんだ」
彼は俺とあの子との出会いを知っているから。一応話しておこうと思ったんだ。
「……ほう。今度は疑惑を掛けられたりしなかったか?」
案の定、彼も中庭での出来事を気にしていたのか、すぐに話に食いつく。
「しないよ。仲直りして、それからこの国の事を少し教えてもらった」
いい関係性に修復できたことを報告すれば、それはよかったなと彼が笑う。穏やかな表情だ、いい王子様だ。
教室の窓からは、今日も青い空が広がって見える。雲が所々に浮かび、過ごしやすい天気だ。
彼女は、今日もこの王宮のどこかで、楽しく働いているのだろうか。そうだといい。そう思いを馳せていると教室の扉が開き、先生が入ってくる。
さて、何はともあれ久しぶりの学生生活のスタートを切ったのだ。
真面目に勉強して、無事に卒業するぞ。
そう思うと背筋が伸びた。
午後には待ちに待った魔法の授業もある。
遂に俺の魔法が判明するんだ。