第4話 王宮散歩
次の日の朝。日の出と共に俺は目を覚ました。
簡単な身支度を済ませると、部屋を出て寮内の食堂へと向かう。
今日はこの世界に来てから、一応初めての休日だ。
特に予定があるわけではないが、完全な自由時間を貰えていると思うと、何かしたいという気持ちが湧いて自然と早く目が覚めた。
「いただきます」
俺は食堂で受け取った料理をテーブルに置くと、早々に皿の料理を口へと運んだ。
フォークとナイフで食べるこの国の料理は、どれも見たことのないものだったが、不思議と口に合った。肉や野菜、フルーツなど名も種類も分からないが、目の前の料理をなぜか美味しく食べることができている。
今食べているのが主食のパンのようなもの。見かけはパンだが味が小麦では無さそうで少し甘い。芋や何か穀類から出来ているのか。分からないが単純に美味かった。
それとサラダ。色とりどりの野菜に酸味のあるドレッシングがかけられている。野菜は包丁で細かくカットされていて、元の形はよく分からない。
メイン料理は……これは鶏肉だろう。見た目からして直ぐに分かった。噛むと肉の旨みが口の中に広がる。
(我ながら何でも食えるタイプで助かったよな)
異世界だとか関係なく、新しい土地での料理がNGとなれば、それは死活問題になる。だから限定されたものがダメなくらいならいいが、どれも口に合わないというのは正直避けたかった。
だが現在までは特に問題なく出されたものを美味しく食べられている。
気になる点を強いて挙げるとすれば、和食がないことくらいだろうか。常にエスニック料理を食べ続けている、という感覚。これなら食べられるものがなくて倒れるような心配はなさそうだと、俺は残りの料理を口の中へと運んだ。
食堂で食事をしているのは俺一人だけだった。元々一人暮らしをしていた俺だ。一人の食事は慣れたものだったから、最初は特に気にせず黙々と食べていた。だが途中から周りのとある変化に疑問を持った。調理人のおじさんおばさん達がせっせと厨房を綺麗にしていて、これから昼食を作るという気配がしなかったのだ。
もしやと思い確認してみると、やはり休日の寮食は朝食のみで、昼夜の食事は用意していないとのことだった。
「あーそうなんだ。朝飯しかないのか」
ちゃんとナタムに聞いておけばよかった。昨日一緒に部屋の床掃除をしてくれた友人ナタム。
彼はというと、あの後一人地元へと帰っていった。いつも週末は地元に住む家族らと過ごすことが多いらしく、明日の夜にまたこの寮へ帰ってくるのだという。
会える家族がいるのなら、いられるうちに一緒に過ごした方がいい。
そう思い彼を見送った後、夕食をこの食堂で食べたところまでは良かったのだが、その後が確認不足だった。
勝手に休日も食事が三食出てくると思っていたからだ。
おじさんおばさんから更に詳しく話を聞いてみると、そもそも休日は寮に残る生徒自体が少なく、とりあえず朝食のみ何人分か用意してくれているらしい。どおりで昨日夕飯を食べていた時も、俺一人しかいなかった訳だ。
さて、昼飯がないことが判明したので、これからどうしようかと考える。
王宮の外へと出れば街があると聞いてはいるものの、流石にまだこの国の事を殆ど知らないのに、街へ出て外食や自炊をするのはハードルが高い。
王宮内で食事が取れる場所はないかと聞いてみれば、「職員用の食堂があるから、行ってみたらどうだい?」と勧められた。おじさんおばさんたちも、この後その職員食堂に移動して厨房を手伝うのだという。
お金はすでに国から幾らか貰っていた。普通に食事をするくらいなら一月は保つだろうというくらいの額。それを早速使わせてもらおうと思う。
俺は今いる場所を頭に浮かべた。
ここは王宮学園の学生寮だ。
そしてここから道を挟んだ向かいにあるのが王宮学園の校舎たち。その道からよく見える高い塔らがガルベラ王子の住まいでもある、この国の城だ。
城の周りには騎士団や研究所など、主要な役所の本拠地がある。そのため敷地としてはかなりの広さがあり、学校側から城の向こう側は全く何があるのか分からないくらいだ。
ちなみに学園を含めたこの城の周囲のことをまとめて「王宮」と呼ばれているらしく、王宮の周りを塀が囲んでおり四方に門が設けられているそうだ。
「せっかくの休みだから、歩きながら敷地内でも覚えてみるか」
特に予定も何も無い休日。天気も良さそうだし、気分もいい。
今日は、何か新しい出会いがあるだろうか。
空になった食器を見て手を合わせ「ごちそうさまでした」と呟くと、俺はこれから始める王宮探検ツアーに一人胸を躍らせた。
それから部屋に戻り、学校から受け取った物の整理を済ませた俺は、戸締りを確認すると寮の外へと歩き出した。
教えてもらった道を進んでいく。学園エリアを抜けて長い並木路を過ぎると、その先に小さな橋があり、渡った更にその先にはお洒落な建物が幾つか見えた。
洒落ている。
日本とはかけ離れた外観の建物が並ぶからか、物珍しさでお洒落に見えるだけかもしれない。だがここは国の中心部だ。それなりの建物が建っていて当然の場所だろうし、間違ってはいないと思う。
目的地の職員食堂も、きっと洒落た外観をしているのだろう。
食堂という名だが城の側に立つこともあり、装飾だけでなく料理のレベルも高い為、ちょっとした接待やご馳走の場として食べに来る人も多い、と教えてもらっている。
リピートしたくなる感じだといい。
期待を膨らませながら俺は歩みを進めた。
(春だな)
暖かい風がふんわりと通り、青い空が見える。
橋の下には川ではなく道が作られていて、王宮勤めの人たちが行き来をする様子が見えた。
ピピピ……と鳥の鳴くような声がしたので、足を止めて空を見上げる。
(同じ青い空だ)
遮るものがない、広くて高い空。
空を見ていて気がついた。
この世界に来てから、ちゃんと空を見ることがなかった。
城では室内で過ごすことが殆どで、もちろん全く外に出なかったわけではないのだが、結構周りの人の話や行動についていくのに必死だった。客人として振る舞うために、気を張って過ごしていたのかもしれない。
数日前までは、あれほど虚しく感じていた一人の時間が、今は少し心地いい。
そういう意味でも、今日が予定のない休日であって良かったのかもしれない。ゆっくりと深く息を吸い吐いた空気は、とても美味しいと感じた。
「いい眺め」
橋を渡り、いくつかの建物の間を通り過ぎると、食堂の看板が見えた。そして少しだけ歩幅を広げて近づくと、食堂以外の周りの建物が一気になくなり、目の前に一面の城下町の屋根が広がる。
つまりは高台にあるんだ。この国の城は。
王様が国の全てを見下ろせるよう、丘の上に城が立ち、その周りを国の主要機関が囲んでいるのだろう。
城下町の屋根の先へと視線を送ると、街の外れにはとても大きな森が見え、そして遙か彼方には僅かにだが青い海が見えた。
一気に訪れた開放感。
思わず声が出るほどの景色に、早歩きだった足は走りへと変わった。
食堂前の広場に走り、柵いっぱいに身体を寄せる。少しでも広くこの国の景色を見たい、そう思うと身体が前のめりになりそうだった。
ガルベラからは、小さな島国だと聞いていたが。
「海まで結構距離がある……広い国じゃん」
思っていたよりも遥かに大きな国。
そして俺の今いるこの国の中心部。
城下町に広がる沢山の赤土色の屋根。
規則正しく城を中心に大通りが放射状に伸びている。
その景色はまるでどこか西洋の街にでも来たような感覚になった。
「異世界か……まだ若干信じられない」
遠くまで広がる青空。広がる青い海。
あの海の向こうには、もしかしたら俺の知っている世界が今まで通りあるかもしれない、とも思ってしまう。
だが記憶を思い返して俺は首を振った。
ガルベラに見せてもらったから、間違いないのだ。この世界の地図を。そこにはどこにも俺の知る世界が記されていなかったことを。
(早いところ現実を受け入れないと。あの体験はちゃんと覚えているんだから)
目を閉じると広がる闇色は、数日前に体験した『異世界の扉』の感覚を思い出させた。
未だにリアルに覚えているあの時の感覚こそが、この世界を受け入れようという気持ちになる。
風が吹いて前髪が揺れた。
ゆっくりと眼を開け、再び目の前の絶景をぼんやりと眺めた。背中には太陽の光が当たって、ポカポカと気持ちが良い。
「ここでも太陽は東から昇るのか? そうしたら今見ているのは西の方か?」
柵に手を掛けてキョロキョロと辺りを見渡す。
あまりの広さに、しばらく目の前の景色に没頭していたが、俺はようやく目の前の、城の周囲のある事に気がついた。
「あ……これは、凄い」
王宮内には色とりどりの花が植えられていた。
こうして手をついていた所にも、柵の側にレンガの花壇が作られており、綺麗に花や草が植えられている。
改めて下を見下ろしてみると、城や学園内、建物の外壁にも花壇が造られていて、見える全ての建造物に花が咲いていた。おそらく城の入り口や門、ここから見えない王宮周りの塀などにも大量の花が植えられているのだろう。
花の国ジラーフラ。
まるで春だ。
春のような陽気。暖かい。
この国に四季はあるのだろうか。それとも一年中この穏やかな気候なのだろうか。一年中この気候だとしたら、植物は豊かに育つ気がする。
見事なほど手入れのされた花の景色は、故郷のとあるテーマパークを思い出した。ファンタジー感の強い独特な雰囲気のその場所は、建物だけでなく周りの風景にも力を入れていて、撮影スポットとしても有名だったから。
「なんか、妖精の国っぽい所に来ちゃった感……凄い」
しかもファンタジー感のある景色だけでなく、実際に魔法も使えちゃうという世界なのだから驚きだ。異世界転移の先はファンタジーな世界でした、なんて事が今実際に我が身に起きているのだが、それが未だ信じられない。
魔法か。本当に俺にも魔力があるんだろうか。ガルベラとナタムは練習すればちゃんと使えるようになる、と言っていたが。今はその魔力の気配すら感じることはできていない。
目の前に植えられた花へと視線を移す。
名も知らぬ花。小さな黄色い花だ。
急にこの花の事をもっと確かめたくなって、俺は手を伸ばそうとして、ハッとしてその手を止める。
「もう触っても大丈夫だよな?」
そう思うのは、数日前に痛い目をみたばかりだからだ。そう、言葉の通り、“花“に触れて痛い目をみたのだ。
あれはまさかの出来事で、世界を超えてしまったことの次に衝撃を受けたと言っても過言ではない。だから俺は伸ばしかけた手を引っ込めた。また痛い目を見るのは御免だ。そう思うと小さく息を吐く。
そういえば。あれからあの子には一度も会っていない。あの後も何度か城の中庭を見る機会はあったのだが、どこにも姿は見えなかった。
強い目をしていた。宝石のような青い瞳、ラピスラズリとも呼ばれる瑠璃の色だ。ガルベラも青い目をしているし、ナタムも近い青色をしている。
この国は青い目の人が多いのだろうか。
そんなことを思いながら俺は遠くの空を見ていた。
ーもう触っても大丈夫なのにー
どこからか声がしたので、俺は柵から離れた。
上から声が聞こえたような気がした。
だが声のした方を見上げるも、そこには青空と眩しい太陽が変わらずにあるだけで。
(なんだ、ただの空耳だったか)
そのまま空を見上げていると、チカっと太陽の光が一瞬遮られて、また俺を照らした。
流石にこの世界でも太陽の光は眩しいな、と眼を細める。するとその途端、視界が違う白さへと変わり、俺は閉じかけた目を再び開いた。
目の前に何かが現れた。
深緑のワンピースに白いエプロン。
白い肌にピンクゴールドの髪。
そして俺を見つめる青い青い瑠璃色の瞳。
太陽の光を浴びた髪と瞳はキラキラと輝き、その神秘的な姿に思わず目を奪われてしまう。
それは例えていうのならまるで。
(びっくりした……一瞬、本物の天使かと思った)
軽くトンっと地面を鳴らし、俺の目の前に降り立った女の子。
どこか懐かしさを覚えるような哀しそうな表情を浮かべると、真っ直ぐ俺の瞳を見つめる。
春の風がふわりと通りすぎる。
風に乗って強く花の香りがして。
目の前の女の子。
突然頭上から現れた彼女に、俺の思考は一度止まった。
だが彼女は俺と目が合ってすぐに、視線を逸らし俯いてしまい、暫く沈黙が続いて。その中で俺は冷静さを取り戻した。
目の前の女の子は、ピンクゴールドの髪が揺れて、顔の表情はよく分からなくなってしまっている。
この子。あの時の子だ。
城の中庭で俺を捕らえようとしていた女の子。
だが、本当にこんなに小柄な子が俺を取り押さえていた? 俄には信じられない程に目の前の彼女は背も低く、体の線も細い。
「あ、あの時は、本当に申し訳ないことをして。
謝りもせずに去ってしまい、すみませんでした」
どうしようか、と考えていると彼女が顔を上げてこちらを見た。そして彼女は目の前で姿勢を正すと、深々と頭を下げて、そしてまた顔を上げた。
彼女の瞳がはっきりと見える。
やっぱりそうだ。この瑠璃色の瞳、間違いなくあの時の子だ。だが、俺の事を睨みつけていた子と、本当に同一人物か? そう疑いそうになるくらい彼女は、弱々しく不安そうな表情をしている。
俺が未だに怒っているとでも思っているのだろうか。
確かに疑いをかけられた事は心外だったが、俺だって本来ならば触ってはいけなかったものを勝手に触ってしまったのだ。非がないわけではない。
「大丈夫です。あの中庭は王女様が大事にしている場所で、それを守るのが貴女の仕事だと聞いていますので」
「……ですが貴方は何も悪くないのに。謝ります」
俺はこの国のルールを知らずに動いた。なのに彼女がそんな暗い顔をする必要はないと思う。
彼女は再び俯いていた。その顔を上げてほしい。それに彼女の瞳を、俺はもっと見てみたいと思う。
「ねえ。名前を教えてくれる?」
どうしたら彼女が顔を上げてくれるだろうか。そう思いながら開いた口。
すると戸惑いながらも、ゆっくりと顔を上げた彼女の瑠璃色の瞳が俺を捉えて、そして僅かにだが表情を和らげた。
「私は……ロゼリスと申します」
「タクミです。はじめまして」
自己紹介をされたので俺も、とペコっと頭を下げて挨拶をする。
ロゼリス。
まるで薔薇の花のような、可愛らしい名前だ。
ロゼリス、と心の中で復唱しながら頭を上げると、何故かきょとんとした表情の彼女がいた。
げ。この感じ。思い出した。
そうだ、先日の入学初日に教室でやったこの日本の挨拶の仕方は。この国では王族など位の高い人相手にしかやらない、とガルベラが言ってたばかりじゃないか。
すぐに頭を下げてしまう癖は、簡単には抜けなさそうだ。俺は頭をかいた。彼女に勘違いされたままでは嫌だ。ちゃんと説明しよう。
「これ、故郷の習慣なんだ」
「…………」
返事はないものの、彼女の表情がすぐに戻ったので、心の中でほっとする。どうやら悪い気持ちにはさせていないようだ。
だが彼女は再び視線を逸らしてしまった。そしてどうしたらいいのか分からないのか、視線を泳がせながらも、その場を離れずにじっと立っている。
深緑色のワンピースに白いエプロン。
この目の前の職員食堂の屋根から飛び降りてきたとはいえ、ここは王宮の敷地内だ。無関係の人が居られるような場所ではない。つまり彼女は、仕事か何かで王宮内にいる人なのだ。
仕事? そういえば同じような格好を城の中にいた女のお手伝いさんたちもしていた気がする。でも確か、彼女たちは青色のワンピースだったから、王宮内に設けられた部署の違いだろうか。
テーマパークでのエリア分けのように、そこで働く人たちの制服が決められているとして。
彼女の服は鮮やかな色というよりは、汚れの目立たない色のような緑色をしている。
(花が盗まれると思って、彼女は俺を捕らえようとしてたくらいだ)
王女様が中庭を大切にしていて。
ガルベラはそれを彼女の仕事だと言っていたのなら。
「もしかして、この国には花専門の機関があるのか」
花の国ジラーフラだ。
花に魔法が掛けられているくらいだ。
そんな機関があっても不思議じゃない。
「この国の事を知らない……?」
「うん。全然知らないんだ。
今から時間あるかな? 俺、この国の花について、君から教わりたいんだ」
「花の事を、ですか?」
すると彼女の顔が、少し明るくなった。
よかった。さっきからずっと哀しそうな顔ばかりだったから。
俺は彼女の顔を見つめると、少しでも彼女の気が和らぐようにと、歯を見せて笑った。