第36話 約束
再び口を開いたのはトレチアさんだった。
「異世界の扉からですか。一体何故なのでしょうね」
それを聞いたガルベラが話を続ける。
「過去の記録からも、タクミと同じようにあの魔法陣を通って、我々の世界へと来た人などは複数いる事は分かっている。
だがそれが何の為なのか、きっかけなども全くもって明らかになっていないそうだ」
異世界の扉。
それを通りこの世界へと訪れた人々。
今まであまり深く気にせずにいたが、国の対応がしっかりしているわりには、まだまだ分からない事の方が多いらしい。
「この世界に住む誰かの仕業なのかなぁ。
それとも僕たちが想像するよりも、遥か上の世界で起きてるだけの悪戯の一つに過ぎないのかなぁ。
こればかりは、分からないよね」
うーん、と首を捻りはじめる皆。俺はその皆の話を聞いていて、ある点に疑問を持った。
ガルベラが“異世界から来た人など”と言ったのだ。
「ねえ、人など……って事は、人間以外にも他の世界から来たことがあるの?」
「ああ、確実なのは数える程度だがな。
タクミの時のように、その場で魔法陣が確認できれば確実だが、そうで無い場合は人間とは違って確かめる方法が無いから、推測でしかない」
「動物や植物が分かりやすい例だよねぇ」
異世界の扉と言われる魔法陣は、黒い陣を描く。
魔法陣が太陽の下で現れた場合はすぐに分かるが、物の影や夜間に出現した場合は中々発見が難しく、また現れたものが言葉を持たないものであると新しいものである事以外は分からないというのだ。
「タクミくん、あれは知ってるでしょう? 前に王都に現れた魔物。あれがそうだと言われているわ」
「え? 魔物って大昔から森の中に住んでいるじゃなかったの?」
ロゼリスの言葉に驚いた。
魔物も異世界から来てるだって?
確か本で読んだ建国神話には、古くから魔物はいたと書いてあったはずなのに。
「その魔物は、タクミくんが言うとおり大昔から森の中に住んでいるけど……。
普通はね、魔物は森の中で対峙した時くらいでしか戦うことが無いのよ。王都や街など開けたところに出てくる事なんて稀。
でも、この前の魔物は、急に雲の中から現れたと聞いたわ。あの日は雲が多くて魔法陣の出現は確認できなかったのだけど。
でもそういう魔物が過去にも何回か現れたって記録もあるから、もしかしたら別の世界から来た魔物なのかもしれないって考えもされているの」
へぇ。
つまりどんな動植物にも魔物にも、古来からこの国に存在するものと、異世界から魔法陣を通って来たものの二パターンあるってことか。これはいわゆる外来種みたいな捉え方でいいのかな。
「人間以外も含めたら、俺みたいな存在は結構な数、いるのかもしれないんだな」
「そうね。
そう考えると、花の精霊に言葉を教えた人と、タクミくんがもしかしたら同じ故郷の人かもしれないっていうのは凄い偶然よね」
「え? もしかしてタクミ、精霊の言葉が分かるの?」
ナタムが幻を見ているかのような驚いた顔をして俺を見た。彼には話したことは無かったか。
それに対してガルベラは無反応だったから、きっとロゼリスから俺の話を聞いていて知っていたのだと思われる。
「うん、分かる。精霊の言葉だけ聞こえるんだよ。
前に植物園に行った時に、精霊が日本語を話していたんだ。精霊たちは、誰かから日本語を教わったって。自分でも凄い驚いた」
もしもこの世の全ての中で、数えきれない程の世界が存在するとしたら、その中に俺の故郷とはまた別のところで日本語を話す世界がある可能性もある。
だけど何故か、精霊に日本語を教えたその人は、俺と同じ世界の日本人であるような気がするんだ。
「それはまた、凄いなぁ」
ナタムがため息を吐きながら天井へと顔を上げた。それを見てガルベラが笑う。
難しい話に沢山の疑問。
だが雰囲気的に俺への質問タイムは終わった感じだった。
「そうだ。王族での公務って、次はなにかある?」
「公務だと、二ヶ月後にある城下のお祭りじゃないかな。大通りを馬車でゆっくり通るだけの仕事だけど」
何気なく聞いた会話。
たが顔を上げたまま目を閉じていたはずのナタムが、勢いよく顔を上げて目を輝かせはじめた。
「そうなんだよタクミ! 祭があるから、屋台とかいつもとは違ったお店も並ぶから楽しみにしてたほうがいいよ!」
ニコニコと笑いはじめたナタム。その彼を見て静かに笑うロゼリス。
彼女のその横顔に気がついて僅かに胸の違和感を感じた気がしたが、その感覚は一瞬にしてガルベラの言葉に掻き消された。
「ロゼリス、今年こそは一人で回らないでタクミを誘ったらどうだ?」
「な、何でそれを知って……って私が、た、タクミくんと?」
急に慌てだすロゼリス。
彼女は今までにも皆には内緒で、先日みたいに魔法で気配を消して、城下のお祭りに参加していたことがあるのだろうか。
この国のお祭り。どんなものなのかわからないけれど、彼女と回れたら、それは楽しいんじゃないかと思う。
「ロゼが良ければ是非誘ってよ。
俺、一緒にお祭り行ってみたい」
「…….うん、分かった」
彼女の瑠璃色の瞳と見つめ合った。すると今度はじんわりと胸が温まっていくのを感じる。
この忙しい心の変化はなんだろう。
覚えはあるのだが、今は思い出せない。
でもまた彼女との次の約束が出来た、そう思うと顔が綻んだ。
「まあ、明解ですわね」
そう答えたトレチアさんの言葉に、ナタムとガルベラが慌てている。
俺、何か教えたかな? と首を捻るも、その疑問は解決することは無かった。
食事を始めてから、二時間くらい経過しただろうか。
デザートまで食べ終わり、お茶をお替りして、そろそろお開きにしようか、と皆が席を立つ。
最後にあとひとつだけでも、何か日本の事を教えて下さいませんか? と言ってきたトレチアさん。ガルベラに負けないくらい、好奇心旺盛そうな感じだな。
どれにしようか、と色々と思い浮かべて「大陸国との行き来は、鳥型の車で空を飛びます。近場なら一時間で着きます」と伝えた。
その瞬間、ガルベラと顔を見合わせて「「人が空を飛ぶ……?」」と口を揃えた二人。表情までそっくりな二人で、このカップル面白いなぁと、俺はクスクスと笑ってしまった。
ガラガラ…
トレチアさんが乗った馬車を見送った。
彼女は王宮の外に家があるからだ。
城の門に立っていた俺たち。
俺は城下町の灯りをぼんやりと見ていると、ロゼリスがこちらに近寄る。
「これ、受け取ってくれるかな」
「俺に?」
「うん。植物園で新しい株の花が咲いたの。今までの事へのお詫びと、今日来てくれたお礼に、どうぞ」
彼女から渡されたのは、五本の白バラの花束だった。
「タクミくんのお部屋には花瓶はあるかしら。お水に挿せば大丈夫なのだけど」
「前に買ったのがある。部屋に飾るね、ありがとう」
この国でこうして花束を貰ったのは初めてだ。花の栽培が国の為とされるこの国にも、誰に花束を渡す習慣はあるらしい。手の中の白い花を見つめる。
「よかった。
あの……」
口籠もるロゼリス。
何かあるのかと待てば、視線を落としていた彼女の目がこちらを向いた。
「あのね。この世界には回復魔法があるから。
私には病で人が亡くなるということが、どうしても分からなくて」
何かと思えば、回復魔法の話。
先ほど皆との会話の中で少し出た話題だ。
「うん、それでどうかしたの」
「タクミくんからご両親の話を聞いた時に、私なりに想像をしてみたの。あなたのお母様が亡くなるまでの気持ちがどんなだったかって。でもやっぱり分からなくて」
「…………」
「でもね、先程のタクミくんの話を聞いて、少しだけ分かったかもしれないの。
タクミくん、言ってたよね?
故郷には自然そのままの姿で生きる人もいたって。
私はタクミくんのお母様もそうだったのかな、って思ったの。
他人の手を借りてまで永く生きることよりも、己の持つ力だけで生きていこうと決めたのかなって」
「うん……」
「それはまるで魔法の力を借りることなく、庭師の手入れも受けることなく、それでも毎年ちゃんと花を咲かす深森の中の花のようだわ」
母さんが………花?
彼女の言葉の意味を理解しようと何度も繰り返す。
「ごめんなさい、急にこんな話しちゃって。
でもどうしても今、タクミくんに伝えたいって思ったの。
……おやすみなさい。タクミくん」
「……うん、おやすみ」
門の前に立ったまま、彼女は動かない。隣に立ったガルベラも動かなかった。きっと俺たちが見えなくなるまでずっとそのままなのだろう。
俺とナタムは城に背を向け歩きはじめた。
夜の温い風が静かに吹く。
帰り道の途中でナタムは俺の手元に視線を向けた。
「タクミは花が好きなの?」
「ん? なんで?」
「一人暮らしの奴なんて、仕事の人や花好きの人じゃないと家で花を飾らないのに。タクミは花瓶持っているって言うからさ」
「そういうものなのか? てっきり皆そうなのかと思ってた」
だが言われてみればそうかもしれない。向こうでは、男二人の生活になってからは、母さんの写真の前に、時々花を飾る程度だったから。
「前に。そう、植物園行った次の日の朝に、机の上に花が置いてあったんだ。これと同じ白い薔薇。
一本だけだったけれど、枯らしちゃうのも可哀想だし。と思って花瓶を買ってきてもらったんだよね」
「ふーん、白い薔薇ねぇ」
何か含みのあるような、それか全く興味がないのか、曖昧な返事が彼から帰ってきて会話が途切れる。
彼はなんだか心の内が読めない青年だな、と俺は思った。いいやつなんだけど。
寮に着き、ナタムと別れ部屋に戻った。羽織っていたジャケットをハンガーへと掛ける。
そしてクローゼットの奥にしまってあったガラスの花瓶を取り出すと、水を入れて机の上に花瓶を置いた。
貰った花束の茎の根元をハサミで少し切り、手のひらから小さな火を出し切り口を炙る。
『こうすると薔薇の花は長持ちするの』
母さんの言葉を思い出す。
花は、別に好きでも嫌いでもない。
ただ、花を飾る習慣はあった。
母さんが家の中で過ごすようになってからは、よくこうして花を部屋に飾っていた。
母さんが亡くなってからも、毎日母さんの写真の前に花を飾っていた。
「教えてくれた事、今もちゃんと役にたっているよ、母さん」
花瓶に花を挿して、机の上に飾る。
ギシッとベッドが軋む音とともに、俺は花瓶の花を眺めながらベッドへと倒れ込んだ。
目を閉じると、頭の中で繰り返し聞こえるのは、先程の彼女の言葉だった。
(母さんが、花)
余命宣告を受けた後、延命治療を受けずに、その生涯を終えた母。その母のことを花だと彼女は言っていた。
あんなにも家族を大事だと言ってくれた母さん。
どうして父さんや俺と少しでも長く生きる道を選んでくれなかったんだろう、そう思う事も少なくなかった。
でも、俺が皆に話したように。自然のまま生きるという人が、母さんだったというのなら。
彼女が言うように母さんはただ、自然のままに生きただけだとしたら。
「なんだ、俺ちゃんと分かったじゃん……」
母さんの考えは未だ共感はできない。でも分からなかった事が分かった、それだけでも俺にとっては大きな出来事だ。
大きな出来事だけど……
でも……
途端に胸が締めつけられるように苦しくなった。
「どうして、今更こんなタイミングで思い出したんだ。
なんで、ロゼは、俺に教えてくれたんだよ」
花が大好きだった母さん、そしてその母さんの生き方が花のようだと教えてくれたロゼリス。
分かったよ、と報告したかった。
母さんの写真の前で、手を合わせて、言いたかった。
なのに何で、俺はこの世界にいるのだろう。
再び目を開けた先には、先程と変わらず、彼女から貰った花が咲いていて。
だがどうしてか、視界が滲んで上手く花が見えなかった。
目の前のこの花も、もう切り花だ。どんなに頑張ってもあと数日間の命だ。
切られずに済んだらもっと長生きできた?
少しでも長く、と炙った火は、熱くなかった?
きっとこの花はこれからも生きていくために花を咲かせていただろうに、人間のために切られてしまって……。
問いかけても返事のない花に、悲観的な想いを巡らせ質問をするだなんて、この時の俺は疲れていたのだと思う。
「花は、短いからこそ、美しい」
一人呟きながら窓から外を見ると、外では少し雨が降っていることに気が付いた。
明日は少し暑さが和らぐだろうか、それとも蒸し暑くなるだろうか。
日本の夏は暑い夏だった。
懐かしい夏。
だが出来れば湿気の多い夏だけは、あまり似てほしくないな、と思いながら拓巳は再び目を閉じた。




