第14話 花の国、火の魔法
俺の育った家は、田舎すぎず都会すぎない、電車で少し移動すれば商業施設の豊富な街にも出られる、よくある住宅街の一角にある。
親子三人で住むにはちょうどいい家。
玄関先には小さな園芸スペースがあって、母さんは週末になると、よくそこで花の手入れをしていた。
「おかあさん、どうしたの?」
母さんが、座り込んで泣いている。母さんが泣いているのを見るのは、生まれてはじめてだ。
「悲しい事をする人がいるのね。
お母さん、大事に育てていたのにね」
俺が近くに寄ると、そこにあったのは、昨日まで母さんが育てていたはずの鉢植え。
白い花を咲かせていた鉢植えは、黒へと変わっていた。
「お父さんと一緒に選んだお花だったの。……酷い」
母さんの肩が震えている。
おかあさん、泣かないで。
どうしていいのか分からなくて、恐る恐る手を伸ばすと、身体をぎゅっと抱きしめられた。
あの時の俺は、まだ幼くて。どうして鉢植えが黒いのかも、どうして母さんが泣いていたのか、分からなかった。でも今なら分かる。
あの花は、誰かに燃やされてしまったんだって。
*
行き交う人々の声がする。
今日は週末休み。珍しく地元へ帰らないというナタムが、街へと連れ出してくれた。
と言っても王宮の正面、南大正門から始まる大通り、それもお城の延長のような綺麗な外観の店が並ぶ城下町だ。
沢山の店が並ぶ大通り。
そして通りから一本横の道に入ると、個性的な雰囲気を持つ店がある。
初めて目にする王宮外の世界に視線を送るも、どうも楽しめていないのは、きっと今の俺には心の余裕が無いからだ。
最初の魔力鑑定を受けてから、早一ヶ月。
魔法の無い世界で生まれ育ったはずの俺は、それまで感じた事のなかった感覚が分かるようになって。自分の身体の中の魔力の動きを、完全にはっきり捉えられるようになっていた。
その成果としてガルベラから借りていたペンダントにも、殆ど意識をしなくても自分の魔力が流せるようになった。
もちろん覚えた言葉はまだまだ少なく、ペンダントの使用は必要な生活だ。だがまたどこかで紛失してしまうのは怖いからと、中の魔法石だけは先に彼に返していた。
先日の魔法学の授業で、俺の手のひらへと置かれた一枚の葉。先生の手本を真似ると小さな煙と共に火が着く。
俺の手の中で明るい赤い光を放ち、端から静かに燃えていく葉。煙を上げながら、葉はみるみる灰へと変わっていく。
(燃やして、ごめん)
身体は魔力を扱うものへと変わっているのに。そんな身体の変化に、相変わらず心はついていかない。
そう思うと、ますます胸が痛んだ。
ナタムの声がしてハッとした。
「この国の街並みとタクミの故郷は似てる?
それとも違う?」
足を進める度に、ジャリっと地面が音を立てている。
コンクリートとはまた違う、不思議な固さの、踏んだことのない感覚の地面。
これも土魔法で整備されているのだろうか。砂利を踏む感触はあるが、歩いていても全く足が疲れない。
進む道の全てが隅から隅まで綺麗に舗装されていて、でも柔らかい印象を受ける道並み。
赤土色のレンガの壁。小さなガラス窓に木の扉。
管理のされた上下水道。それでも電気は通らない、街。
本当に遠い所に来てしまったと、改めて実感する。
街の中は本当に色々なお店が並んでいて。
日本のようなコンビニとかスーパー、百貨店、ホームセンター……そういう総合的なお店は見当たらない。並ぶのは専門店だ。
八百屋や肉屋など食材を扱うお店もあれば、食堂や喫茶店といったものもある。流石は花の国、花屋の数も多く見られた。
靴屋に服屋、鞄屋、薬屋に武器や防具専門店、魔法具専門店もあって、これでは今日一日では、どこにどんなお店があるのかちゃんと把握するのは難しそうだなという印象だ。
「故郷とは少し違う街並みだな」
そう答えれば、ねえ小腹空かない? とナタムが足を止めた。
確かに言われてみれば、今朝は朝昼兼用で食事を取っており、昼過ぎから街へ出てきていて、結構な時間と距離を歩いていた。
そう思うと急に腹が減るもので。
彼に返事をすれば近くにあった店へと入り、彼が店員に幾つか注文をしてくれた。
「この店もそうだけど、今日見てきたお店は殆どが火魔法を使って動いているお店だよ」
「………」
「タクミはさ、火魔法が嫌い?」
「嫌いというわけでは無いけど……なんで」
「この前の魔法の授業の後から、元気ないなって思ったんだ。何かあった?」
別に隠し通そうとか、そういうわけでは無かったけれど。自らアピールしたいわけでもなく。
ただ、己の魔法への消極的な思いは、日常の色々な所で滲み出てたという。
(三人でいる時も、生活魔法で火を使う時だって、いつもナタムが使ってくれていた)
どうやら彼には全てバレていたのだろう。
今日だって元からこうして俺を街へと連れ出し、話を聞いてくれようとしていたのかもしれない。
「小さい頃の話なんだけど」
自分一人で考えていても、どうにも答えの出なかったことだ。彼に話を聞いてもらうだけでも、もしかしたら気持ちが軽くなるかもしれないから。
そう思うと、自然と口が開いた。
「母親の大事にしていた花を燃やされた記憶に、建国神話の物語か。
火魔法はいのちをもやす……ね。
なるほどね。そこから命を焼いて殺すって思ったのか。危険な魔法か、そうなんだ」
俺の話をうんうんと聞くナタム。
いつも明るく和かで、どちらかと言えば呆けたキャラクターの彼は、今、真剣な表情をしていて。
彼もこんな表情をするのかと、どこか他人事のように見てしまう。
「あのね、タクミ。これは僕の解釈だから、他の人がどう考えているかまでは分からないけど」
「うん」
「確かに火が着いたら、どんなものも焼けて死ぬ。それはタクミの故郷と一緒。
でもさぁ、水は相手を溺らせることも出来るし、腐らせることも出来るよ。土だって相手を押し潰すことも出来るし、突き落とすことだってできるよね。
ここは魔法で意図的に操作ができる世界だから、誰かが命を奪おうと思えば、どれでも奪える力なんだ。別にどれかが特別ってわけじゃない」
「……ああ」
「あまり上手くは言えないけれど、タクミは自分の魔力にもっと自信を持ってほしい。
魔法を使うことで大切なのは、種類とか強さとかよりも、寧ろその魔法を何の為にどう使うか、だと思う。
僕は平凡な魔法使いだから、平凡なりの道があると思ってる。
タクミみたいに一つのことを極められる可能性があるって凄いことだし、羨ましい。きっと必ず、タクミにしか出来ない事が見つかると思うから」
「水も土も火も変わらない。使う人次第で変わる、か」
黒くなった鉢植えの前で背中を丸めて泣く母さん。あの時の記憶が強く心に根付いていて。
花の国へと飛ばされて、火の魔法しか使えないという事実に、何か嫌な気持ちを覚えたのは、その記憶のせいでもあったのかもしれない。
「使い方次第でどうにでもなる、って感覚は、ちょっと分かった気がするな。
話を聞いてくれて、ナタム、ありがとう」
「それならよかった!」
話を聞いてもらいお礼を述べると、彼はいつものように柔かに笑った。
五つも歳下の彼だ。日本にいた頃は、先輩や同級生に相談することはあっても、歳の離れた子にすることは今までなかった。この世界に来てからも、新参者とはいえ、自分の方が年齢的にはお兄さんだから、なんて思っていた。
でももうこの考え方も辞めよう。
こうして今みたいに教えてもらうことが、まだまだこれから先、沢山あると思うから。
歳の差とか生まれ故郷とかそういうもので括らずに、色々な人の意見を聞いてみようと思う。
「ナタムは、学校を卒業した後の事ってもう考えているのか?」
「仕事のこと?」
「ああ」
そうとなれば、彼から更に色々な事を聞きたくなるもので。彼はこれからをどう考えているのだろう。そう興味を持って尋ねてみる。
「そうだねぇ、僕は騎士団を目指しているんだ」
「騎士? それはあの城の中で警備をしていた人たち?」
「それも騎士団の人たち。僕の入りたい部署は城の外の仕事だけれどね。
僕ね。小さい頃、何度も騎士団の人たちに助けてもらったことがあって。その時に格好いいなぁ、僕もなりたいなぁって思って。
今はガル様と仲良くなった事もあるから、ますますなりたいなって思うんだ」
「いいじゃん」
「うん。特にこの国が大変な時、活躍できるようになりたくて。魔物とかと闘えるように、魔法だけじゃなくて武器の扱いとかもちゃんと出来るようになりたいんだ」
……凄い。やはり目標を持った人は、強くてブレていない。それに彼がこんなにしっかりと自分の将来の事を話せる事にも驚いた。
(そうか。普通は十五歳で大人になるって言ってたよな)
あの子は、ロゼリスはそこで庭師になると決めたというくらいだ。王宮学園に進学した人たちだって、将来を明確に考えている人の方が多いのだろう。
「俺も早く将来の明確な目標を持って、日々を過ごしたい」
「それは素敵だと思うけど、でもタクミは急がなくてもいいんじゃない?
だってタクミはこの世界に来たばかりで、生まれて初めて魔法に出会ったんでしょ? 卒業までは一年しかないけれどさぁ、それまでに絶対に夢を見つけなきゃいけない訳じゃないし。
タクミの出来そうな仕事とかしながら、ゆっくり自分のやりたい事を見つけてもいいと思うよ」
目の前のテーブルに、彼が注文した肉料理が並ぶ。
湯気をあげる肉巻き系の料理だ。
視線が料理へと向かった俺を見て、「食べようか」と笑った彼。彼を真似るように俺も姿勢を整える。
「悩むのも大事だけどさぁ、目の前の事を楽しむのも大事だよ。学校で色々な人と交流してみたり、街の中を探索したりして、興味のあるものはどんどん調べてみようよ。そしたらもっと楽しくなる。
楽しいなぁって思いながら過ごしたら、きっとそのうちにやりたい事も見つかるんじゃないかなぁ」
「うん、ありがとう」
そうだよな、というのが今の俺の素直な気持ちだ。
俺を見てえへへ、と笑う彼。
あーあ、久しぶりに熱弁しちゃったなぁ、と視線を逸らした彼は天井を見上げた後、いただきますと手を合わせて料理に手を伸ばしはじめた。
火魔法については、まだ積極的に使いたいとは思えない。
だが使い方次第でどうにでもなるという考え方は、心の中にストンと入ってきた気がする。
花の国ジラーフラ。
その中で俺は何のためにこの魔法を使いたいだろう。
そう思いながら口へと運んだ料理は、またまた初めての味わいではあったが、非常に美味しいものだった。