最終話
新しい春が来た。
黄色や桃色、橙色の小さな花弁を付けた花が、道行く先々で綺麗に咲いている。
この国の花だ。
新年度が始まり、新しい人事のもと動きはじめた王宮内各所はどこも賑やかで。
そんな中、緋村拓巳は静かに部屋へと足を踏み入れた。
見に纏うのは、黒いスーツに赤いネクタイ。ピンクゴールドのネクタイピンも忘れない。
腕には黒の腕章。
胸元には金色、黒色、そして赤い星のバッチが並び、襟元には虹色のバッチも付いていた。
先日。
王宮内に新たな建物が増築された。
騎士団本部と植物園の間に立つ、赤土色のレンガで建てられた、小さなワンルーム。
城からも見えるその小屋の入り口には、国旗と並んで黒い旗が掲げられている。
黒い旗に描かれているのは、放射状の赤い花。
異世界研究所の本部だ。
この春から正式に始動した新部署・異世界研究所。その職員は今は俺一人。
この部屋にあるものは、俺が一人で管理していた。
「いっぱい届いてるなー」
俺は研究所に届いた物たちの山をざっと眺めた。
近侍のフレーゼは、騎士団本部に用があると言って席を外しているところだ。彼が戻る前に、この山を片付けておこうと思う。
「これから開けるか……」
勤務開始。
俺は最初に小さな箱へと手を伸ばした。
箱を表裏と確認するが、特に名前は書かれていない。
この国は、表に差出人の名を書く習慣がない。
そのためお届け物の宛先が自分の名であることを確認したら、差出人の確認のためにも封をすぐに開ける。これはもう、慣れたものだった。
小さな箱の中には一通の手紙と共に見慣れぬものが入っていた。
「差出人は……マスターと、ナギさん? なんでまた団長同士で連名?」
手紙には〝火気厳禁 花火用の火薬 改良求む〟とだけ書かれていて、手紙の下には土団子のような丸い何かが入っていた。
すると身体の奥の火魔法が僅かに動いた気がした。
だからこそ瞬時に理解した。
これはアレだ。きっと前に俺とロゼリスへの打ち上げ花火のサプライズがあった時に、色々な人へと配られたという、火薬だ。
あの花火は、詳しい事を誰も教えてくれなくて。ロゼリスに場所の指示を出したというガルベラですら、結局は頑として口を割らなかった。
誰が用意し、どうやって上げたのか、中々教えてもらえなかったのだが。
犯人はこの名前の通り、火魔法特化型で第三騎士団団長の火葬師・マスターと、庭師団の団長兼、治療師のナギさん。それにここには書かれてはいないが今日も地科学研究所に通う第三王子ガルベラ。その三人だったのだろう。
三人が協力して作った花火用の火薬か。
火薬の改良って俺の仕事か? 頭を捻る。
(でも、もともと魔法を使わない花火は作りたかったし)
元となる火薬が出来ているのなら、そこから応用すれば、いいものが出来るのかもしれない。それに作り方が確立すれば、商品化も夢じゃないし、それでこの国の人が誰でも花火を楽しめるようになったら、それはとても嬉しいと思うから。
ならば俺の仕事か。
日本で観たあの圧巻の打ち上げ花火を知るのは、俺一人だ。いつかこの国の人たちにも見せてあげたい。ならばまずは彼らの依頼通り、記憶を頼りに少しずつこの火薬の改良を進めてみようと思う。
届いた火薬を安全な場所へと保管する。
そして次の届け物へと手を伸ばした。
これは植物研究所に相談……これは庭師との仕事だからロゼリスに聞こう。
これは俺一人で対応できそうだ……次は……。
物の中身を確認すると、分かりやすく仕分けをしていく。
届いていた物の多くは相談事や調査協力の依頼が多くて、異世界研究所なんて立派な名前がついているけれど、俺の今の仕事は何でも屋に近いのかな、と思った。
現にこの先何日かは、研究所からの協力依頼や調査の同伴などで予定が決まっているくらいだ。
まあね。まだまだこの国の事を知らない俺にはもってこいの仕事内容かもしれないな。
(それにこれからも色々な人と出会っていきたいし)
これから出会う人や経験する出来事から、また新たな夢や目標もできるかもしれない。そう思うとワクワクと心が躍った。
何度目かの封を開いた頃だった。
「あ、この封筒」
届け物の山の中に封筒を見つける。
この色の封筒。王家の色だ。
封筒を何度か裏表を返す。
だがそこにはいつもはあるはずの、この国の花の紋章が描かれていなかった。
「これ、……誰から?」
大きな荷物とは違い、手紙などは差出人の名が書かれていなくても分かる場合がある。
封筒の色や紋章である程度、相手の予想がつくようになったのだ。
だが紋章がないとなれば、流石に分からなくなる。
これまたこれは無印の封筒が届くなんて。
王家……ガルベラ辺りか?
封を開けて中の手紙を取り出した。
椅子へと座り両手で手紙を持つ。
この色の封筒の中身は。
いつもお堅い文章が多いから。
俺は気合いを入れないと未だこの国の言葉が直ぐには読めないのだ。
「えー……【ごきげんよう タクミ殿 今日は私デンドロンから君に授けたいものがある】
王様から? 王様が俺にプレゼント?」
デンドロンとは、この国の王、デンドロン・グランディーン王の事だ。何度か読み直したが、間違いなく王様の名前だ。
まさかの王様から俺宛への個人的な手紙。
これは初めてだ。
ロゼリスと婚約したことで、俺と王様との関係は今までよりも更に近い関係にはなったものの、彼はこの国の一番偉い人。
そんな彼から個人的に手紙が届くというのは凄いことなのだ。俺は姿勢を正した。
彼から俺に何かプレゼントがあるのだという。
一体なんだろう、と手紙の続きを読む。
【君の火魔法は非常に素晴らしい
私は心から感動した】
「……だから君に、授けよう……『花火師』という新たな名を」
新たな名前とな。
花火師?
【これからはその名も共に名乗りたまえ】
……………。
俺は思わず手紙をその場に放り投げた。
そして椅子の背にもたれて天井を仰ぐ。
時々感じていたこの国の偉い人たちの、ちょっとおかしいところ。
妙な兼業スタイル。
婚約者のロゼリスは庭師に励む王女様で。
大親友のガルベラは研究に励む王子様。
まあ、そのくらいはいいと思うが。
マスターはどうなんだ。あの人は兼業しすぎて本業が分からなくなるくらいだ。そしてそれがこの国の幹部である事が少し不安だ。
そう思っていた。
俺は既にこの国の英雄称号と、王女様の婚約者という肩書きを持つ。というかそれ以前に俺は異世界人。
抱えるものが既にいっぱいあるな、と思っている。
だからせめて仕事は一つのことに集中したい。俺はこれから研究者になるんだ。そう構えていたところだった。
トントン、と扉を叩く音がして近侍のフレーゼが部屋に入ってきた。彼は未だ天井を見続ける俺の側に寄り「私もお読みして宜しいでしょうか」と言うと、机の上に放り投げたままの手紙を読みはじめる。
そして彼は笑いはじめた。
「王様は、周りの者に別の名を付けるのが、昔からとてもお好きだそうですよ」
そして彼はもう一度手紙を読み直す。
「こちらは、命令系で書かれておりますね」
そう。王様からの命令なのだ。
俺の意思とは関係なく、これから出会う人たちにその名を名乗れという命令。
例え命令であったとしても。その名を名乗ったら、人はそれらしく振る舞うようになるのだろう。
そしてそれは行動を重ねるうちに、その人を表すものの一つになるのだろう。
「私も貴方の事をご紹介させていただく際には、その名も名乗らなくてはならないのです。タクミ様」
王様からの、命令ですから。そう言いながら笑った近侍フレーゼ。
俺は身体を起こし机の上で頬杖をつくと、大きなため息をついてから、窓の外で揺れる赤い花の咲く旗を見つめた。
緋村拓巳。
異世界出身のジラーフラ国第一王女の婚約者。
英雄の称号持ちで、
仕事は異世界研究所の職員と、
この国の花火師です。