第138話 花火を打ち上げて
「タクミも一緒に花火やろうよ」
ナタムから誘いを受けたので俺は立ち上がると、大きく伸びをして身体を解し、靴を履いて羽織っていたローブを整えた。
見上げれば桜によく似た白い花々の奥に夜空と満天の星が見える。やはり今夜は空気が冷たく澄んでいるから、その分星明かりが綺麗に見えるのだろう。
絶好の花火日和じゃないか。
「タクミ、僕大きいお花の花火も見たい」
「分かったよ」
ナタムの後を追いながらもチラッと後ろを振り向けば、ガルベラとロゼリスがそれぞれ手を振ってくれる。
「何色がいいの?」
「ジラーフラの黄色だ!」
ナタムに問いたはずが、なぜか後ろからガルベラから返事がきた。
手元に火をつけて勢いよく空へと投げれば、ヒュルヒュルと音を立てながら火球が上がり、空高くにやや大きな黄色の花が咲いた。
わっと一斉に歓声が上がる。
「見ててよ、タクミ。実は僕も一色だけ色変えられるようになったんだよ」
すると隣でナタムが得意げに手を広げた。彼の手のひらからは小さな青い火球がふわりと浮かぶ。
『凄くない?! いつ練習したの?!』
「内緒だよぉ〜」
突然のナタムの火魔法に吃驚した俺。ナタムは更に楽しそうに笑い声を上げた。
次々に上がる花火のリクエストに応えて、俺も空高くに花火を打ち上げる。
夜空に花が咲いていく。
彼女は、彼女は見ているだろうか。
ロゼリスの方を振り返るとタイミングよく目の合った彼女が大きな声を出した。
「拓巳くんと私の、赤と白がいい」
「お、おう……! 了解!」
赤と白が俺とロゼリス? あれ? 前にそれは彼岸花の色って言ってなかった? まあ良いけれどさ。
気合いを入れ力一杯空に向けて火を放つと、同時に赤と白の花が夜空に咲いて、周りから今日一番の歓声が上がった。
「惚気全開のお二人さんに、乾杯だね」
「お二人の婚約をお祝いして、俺らももっと火球飛ばそうぜ」
「おめでとうございまーす!」
仲間たちが花火を打ち上げる。
再び空が明るくなる。
すると、少し離れた場所でも空が明るくなった。
いつの間にか俺たちだけではなく、周りにいた他の団体の人たちまでもが、打ち上げ花火に参加していた。流石は王宮に集まる人たちなだけあってか、火魔法を扱うのが上手い人もいるのだろう。僅かにだが、空に色々な形や色の花が咲きはじめた。
絶え間なく、ポンポンと音がする。
ああ、凄く楽しい。気持ちがふわふわとして、心地いい。
だってこんなにも皆が空を見上げて笑っている。
あんなにも使う事を躊躇ったはずの火魔法で、皆が笑っている。
笑ってくれるのなら、俺はもっともっと打ち上げたい。
笑ってくれるのなら、俺は俺の魔法に誇りを持てるから。
結構な数の花火を打ち上げた気がする。
盛大に連発したからか、魔力が大幅に減ったのか、俺は少し息が切れてきた。
あんなに夜空を鮮やかに染めていた花は、やはり一瞬で消えて。辺りは静寂を取り戻して。
風に乗って煙も消え、再び星空だけとなった空を、皆が見ていて。
俺の隣にはガルベラとナタムが並んで空を見ていた。
足音が近づく。
ロゼリスだ。
「……ロゼ?」
「ガルベラ、ナタム……我儘言ってもいいかな?」
「おう、言いたまえ! ガルベラ様が聞いてやろう」
急に我儘だなんて、どうした? 彼女へ視線を移すとローブの端をツンと掴まれる。彼女の視線は、親友二人へと向けられたままだ。
何か要望があるのなら、我慢せずに言ってほしい。そう思う。
「拓巳くんを、そろそろ独占してもいい?」
「え?! ロ、ロゼリス?」
予想外の要望でした。ど、独占? なにそれ。
「許す。 連れていきたまえ」
「タクミまたねぇ」
ポカンと立ち尽くす俺に対し、あっさりと承諾した二人。他の仲間たちへ視線を送るも、皆も揃いに揃って手を振りはじめた。
「だってこれから片付けしないと」
「本日の主役なんだから気にするな」
「俺が本日の主役?!」
いやいや、今日は皆で頑張ってきた事を労う場だし。それに企画者の俺が後片付けもせずに去るのは、駄目じゃない?
そう思っていたら目の前にロゼリスが立って俺を見上げていて、目が合った所で強い力で抱きしめられた。
なんとまあ。大胆な。
これこそ公衆の面前で。そう思ったのも束の間、視界が一気に白くなる。それが彼女の羽だと気づいた時には俺は宙を浮いていた。
「え?! ……ってまさか飛ぶの?!」
「ちゃんと捕まっていてね」
「え、えーーーー?!」
ぐんと浮力が増して高度が上がる。
足元から「ロゼ様、変な事しちゃ駄目だよ」とナタムの声が聞こえ「タクミじゃなくてロゼリスなのか」と言うガルベラの声も聞こえたが、俺はもうそれどころじゃ無くなっていた。
怖い、やっぱり空中飛行は怖すぎるっ………!!
「ろ、ロゼ、どこ行くの」
「植物園の屋根の上」
「なんで」
行き先を聞けば移動が始まり、加重で恐怖が更に増して恐怖に耐えられなくなった俺は、目を瞑り必死に彼女にしがみつく。
もう目を開けて大丈夫だよ、と言われてゆっくり目を開ければ、そこは以前確認のために一度だけ上がったことのある、植物園の温室の屋根だった。
「足が、ガクガクする……屋根の上に座るのも、初めてだ」
「びっくりさせちゃったよね? ごめんね」
屋根に腰を下ろしバクバクとしていた心臓が治るのを待っていると、隣に座ったロゼが申し訳なさそうに謝ってくる。
俺の背中を摩ってくれるその腕の先の、先程まで大きく広げていたはずの白い羽はもう仕舞われていて。大の男を抱き上げて飛んでいたとは思えないほど、華奢な女の子が隣に座る。
「いや、大丈夫。それでどうして急いでここに来た?」
例えば植物園の敷地内なら分かるが、よりによって屋根の上なのだ。何らかの理由があってここに俺を連れてきたのだろう。
「うん……あ、え……っと」
「どうした」
顔を覗き込むと一度目を逸らした彼女が、そっと顔を俺に近づける。
「き………きすしてもいい?」
彼女の顔が赤い。月明かりの下だが、何となく分かる。
え、もしかして本当にただ俺と二人きりになる為だけにここに来た?
「……駄目って言ったらしてくれないのか」
「そしたら別のっ……ん…」
触れるか触れないかギリギリのところまで顔を近づけて、彼女と再び目が合ったところで唇を塞いだ。
甘い甘い味がする。
そう思ったあたりで気がついた。
いつもなら彼女がそろそろ引き腰になるのを、俺が無理矢理止める頃なのに。
だんだんと息が続かなくなり、僅かな隙間から小さく息を吸ったらふわりと花の香りが広がった。なんだろう、頭がクラクラする。
「ロゼ……っ…」
「ごめん、また多過ぎちゃった」
屋根を背中に俺は組み敷かれた俺は、状況を理解するのに少し時間が掛かった。
思い出した。
この感覚、覚えがある、と。
クスリと笑いながら手を差し出す彼女の手を取り、ゆっくりと上体を起こせば、先程とは明らかに違う周りの景色に俺は思わず声を上げた。
「精霊が……!! 凄くいっぱいいる!!」
植物園の至る所に沢山の光が集まっていた。
よく見れば城の周りの植木や花壇にも、沢山の精霊の光が飛んでいるのも見える。
王宮内が光で溢れて、幻想的な風景だ。
「よかった、ちゃんと見えているのね。
前に雪花にあげた魔法石の事を覚えている? あの時、拓巳くんから魔法を貰って作ったじゃない。やっぱり口からが一番渡しやすいし、だから今あげたらこの景色が一緒に見られるんじゃないかって」
「あ、はい……」
彼女が言うのは、魔力の口移しの事だ。それは分かった。だがそれ以上に気になったのは、彼女のその言葉だ。
“一番渡しやすい”って言った?
まるで何度も試したことがありそうな口調だ。
俺? いや俺にはそんな記憶はないぞ。
「まて、ロゼ。どうやってそれが分かった? 誰と試した」
「え……?」
ここに来て、彼女が俺じゃない他の誰かと触れ合っていただなんて聞きたくない。いつ分かった? それって最近だよな?
彼女を疑いたくはないが、一度持ってしまった疑念は簡単には無くならない。頼むよロゼ、そう思い彼女を見つめれば、彼女は恥ずかしそうに肩をすくめる。
「誰って、拓巳くん以外にいるはずないでしょう?
そっか……あのね。夏にアメルアまで助けに行った時、私、拓巳くんにしちゃったの」
「ん?」
まるで効果音のつきそうな程に照れ笑いをした彼女。俺は記憶を夏に戻す。夏って無人島で一晩過ごした時のことだよな。
ああ、確かに、キスしたね。沢山。確か俺からした。でもあの時に、口移しで魔力を貰うとかそんな記憶は無いはず。
いや、もしかして。俺が気絶してる間の出来事か?
「あ、あと今日の昼間ね。祝賀会の後。拓巳くんが凄く疲れた顔して寝ていたから……あの、その時も、です」
「………」
やっぱり俺の意識が無い時だ。
いや、彼女の相手が全部俺だと分かってほっとしたけれど、でもよ。
「知らない間にロゼに色々と奪われているとは思いもしなかった」
顔が熱い。
身体の中にある彼女の魔法は少しずつ消費しているはずなのに、未だ花の香りが強く残って頭がクラクラする。起こしていた上体を再び屋根へと倒せば、少しだけ顔を青くした彼女が俺を覗き込んだ。
「ご、ごめんなさい…」
「いや、良いことを聞いた」
「なに……って……ん……」
近づいた彼女を腕で引き寄せて、胸に収めるように抱きしめれば唇を塞ぐ。
彼女が俺に花魔法を渡したように、俺も火魔法を彼女に渡せるんだから。
だったら一緒にやりたい事があるんだ。
身体の奥で灯した火がふわりと浮いて、まるで花火が開くように大きく燃えて消えていく。
前にも一度覚えのある、魔力を渡す感覚だ。
唇を離して彼女を見れば、涙目の瞳と目が合った。
「渡せた?」
「渡せた、身体が熱い」
先程よりも、幾分か所作の遅くなった彼女を抱きながらゆっくりと起き上がる。
そのまま膝の上へと彼女を座らせれば、視線の泳いでいた彼女と目を合わせる。
じっと動かなくなる彼女。唇が開いた。
「あ、あのね。実はガルベラから言われていたの」
「何を?」
「高いところに二人で行ってほしいって。それ以外はどうしても教えてくれなかったけど」
ガルベラからの指示。何かあるのか? だが周りを見る限り、精霊たちの姿が見える事以外は、特に変わりのない王宮が広がるだけ。
なら待っている間に続きをしよう、そう彼女を抱きかかえた。
「こうやって、一緒に火をつけてみようか」
彼女の両手を取り、手のひらを上へと向ける。
優秀な魔法使いの彼女だ、初めてでも出来るはず。
すると彼女は手のひらの上に難なく小さな火をつけた。
「火が、着いた……!! すごい!!」
そのまま彼女の手をそっと下から支えるように重ねて魔力を放てば、小さな火は渦を巻き火球へと変わる。
もう一方の手で新たに作ったのは白い火球だ。
「俺、ロゼとこうやって一緒に花火を打ち上げたかったんだ」
「うん」
「前に、願い事をしながら花火を上げたのを、覚えてる?」
「うん。今度は何をお願いしたらいいのかな」
「そうだな……」
赤い大きな光と白い光が一つずつ、ゆっくりと空に上がっていく。
空高く上がった二つの光は、勢いよく大きな花を咲かせた。
ああ、消えちゃう。
そう思った瞬間、再び空が明るく輝いた。
「「え……?」」
二人で思わず屋根から立ち上がる。
王宮の色々な場所から花火が上がっていた。
俺の知っている花火だ。
火球ではなく、ちゃんと花の形をした、花火だ。
一体誰がどうやってこの花火を打ち上げている?
そう思いながらも、あまりにも綺麗なその景色に俺はロゼリスと手を繋ぎながら、空を見上げる。
花火は、俺たちが先程までいた広場からだけでなく、城からも上がっていた。
騎士団本部や各研究所、城の向こうの王宮学園からも花火が上がっている。
大きな音を立てて咲き続ける花火。
するとどこからか風に乗って『おめでとう』と声が聞こえた。
目の前に広がる沢山の精霊たちの光。
そして沢山の火の花。
二人に向けられた、祝いの花。
王宮から打ち上がった沢山の花火は、王都に住む沢山の人々の目へと届いて。
それを期に、祝いの度に、空に大きな火の花が咲くようになるのは、もう少し先の話。
二人の願いが空へと花開く
花の国の王女と
火魔法特化の異世界人が
出会って恋をして愛を誓った
言葉にせずとも願いは同じ
どうかこれからも一緒に
花火を打ち上げられますように、と。