第136話 祝賀会
「紹介する。ロゼリス第一王女の婚約者、タクミ・ヒムラだ」
ザワザワと周りが騒がしい。
城の大広間には、沢山の人が集まっていた。
煌びやかな衣装を身にまとった老若男女が話をする中、俺はトネアス王子と彼の妻シザン王妃、そしてロゼリスと共に各所へ挨拶に回っている。
目の前の話し相手からだけじゃない。周りからも一気に視線が集まった。
それもそうだろう。社交界に現れた新顔が、第一王女の婿候補として紹介されているのだから。
「タクミ・ヒムラです。この度、ロゼリス第一王女と婚約をさせていただきました。今後、様々な面でお世話になる事があるかと思いますが、どうぞよろしくお願いします」
これで何度目の挨拶だろうか。
フレーゼやトレチアさん、シザン王妃に確認してOKを貰った挨拶周りのテンプレ。それを言えば後は私が答えるよ、と言ってくれたトネアス王子に甘えて、俺は挨拶の終わりに頭を下げる。
驚くような素振りを見せた相手に対し「彼の故郷の習慣だ」とこちらもテンプレ化したトネアス王子のフォローが入れば、どの貴族もいい顔をしてくれた。
ちなみに王族の婚約者は、王族と貴族のちょうど間くらいの身分に位置すると聞いた。何か優先度が上がるとか、特別そういうものではないらしいが、将来的に目上になる人として丁寧な対応されることが殆どだという。
ここにいる殆どの人たちよりも、俺が上になるのか。
でも、今後俺が彼女の伴侶になったとしても。
俺は相手を下に見ることなんて、できない。
それは挨拶をする度に、強く思った事だ。
俺はこれからも、誰に対してでも頭を下げる習慣や相手を思って自分を謙る姿勢は続けていく。人目とかTPOはもちろん考えるけれど、たとえ生きる世界が変わっても、日本人の姿勢は忘れちゃいけない、と思うから。
挨拶がまた一人、終わった。去り際に俺はもう一度深く頭を下げた。
そして頭を下げたまま、顔をしかめた。
(横文字の名前が覚えられない。この祝賀会が終わったら、フレーゼに今日挨拶した人たちの一覧を書き出してもらおう)
こうしてなんとか会話は出来るようになったけれど、ジラーフラの言葉歴はまだたった一年だ。話を聞くのと挨拶をするのに精一杯で、人名記憶まで頭が回らないのが現状だった。
現に最初の方に挨拶した人の名前、もう覚えてないし。
挨拶をしていた老夫婦が去り、小さな溜息をつくと「あと三家ですからね」とロゼリスがそっと耳打ちしてくれる。その声を聞いて俺は何とか気合いで姿勢を正した。
ロゼリスとはこの祝賀会が始まってから、この大広間で合流した。フレーゼと共に大広間に入った俺は彼女と会うまでの間、ガルベラを待つトレチアさんと一緒にいさせてもらったのだが、その間にも胃はキリキリしてくるし顔色が良くない、とトレチアさんから終始心配されていた。
大広間に現れたロゼリスは、ドレス姿もそれに合わせた髪のまとめ方も、どれも素敵でいつもよりも綺麗に見えて。
でもそれ以上に俺の緊張感が高まったのは、彼女が初めからずっと〝王女様モード〟でいたからだった。
立ち姿も身のこなし方も王女様。口調も王女様らしい丁寧なもので。
それにいつものあの庭師をしている時や、プライベートで共に過ごす時の彼女とは違う、………営業スマイルというものだろうか。彼女はその表情でずっと笑っていた。
そのせいか、彼女の感情があまり読めない。俺の隣で彼女が何を思っているのか、全く読めなかった。俺自身に余裕がなかったので、それだけかもしれないけれど。
再び皆の足が止まった。
俺もそれに合わせて足を止め視線を向ければ、顔馴染みの二人が立っていた。
「グロリオさんに、リナ」
思わず素の表情で彼らの名を読んでしまい、俺が慌てて頭を下げて謝ると「いいんだよ、タクミ」と頭の上から笑う声がした。
「トネアス様、シザン様、そしてロゼリス様。この度は新たな植物園の完成、本当におめでとうございます。そしてロゼリス様。タクミ。おめでとうございます」
グロリオ第三騎士団副長と娘さんのリナリアだ。
何度かお世話になったグロリオさんと図書館仲間のリナ。馴染みの顔ぶれに俺は思わず表情が緩みお礼を返せば、シザン王妃から「やっと緊張が少し解けたかしら」と声が掛けられた。
グロリオさんの半歩下がった位置に立つリナリアは、あの図書館前での出来事ぶりの再会だ。まだ数ヶ月しか経っていないのに、背が伸びて表情も少し子どもっぽさが薄くなった気がする。
女の子ってこんなに短期間で大人びるものなのか。
そう視線を送ったリナリアは、俺ではなくロゼリスの方を見ていた。
ロゼリスは? 彼女の方を見れば彼女もリナリアの方を見ていて、でも俺の視線に気が付いたのか俺の方を向くと静かに笑い返してくれた。
その笑顔はやはり営業スマイルに見える。
でもやっぱり今の俺にはもう余裕は無い。だから彼女の内心を読むのは諦めよう。そう思って俺も彼女にとりあえずの笑顔を返した。
「私事ですがこの度第二子が生まれまして、リナリアに弟が出来ました。また来る日には直接紹介をさせていただきます」
「そうか、おめでとう。それは楽しみだ」
グロリオさん達に男の子が産まれたらしい。彼の報告を聞いて場が和やかな空気になると、じっと動かずにいたリナリアが前に出てきてロゼリスの前へと立った。
「ロゼリス様、いつか弟を連れて参りますので、その時は是非、弟に会っていただきたいです」
「ええ、勿論です。楽しみにしていますね」
そして視線をロゼリスから外すリナリア。
視線の先は俺だ。
「あの、その時は……」
「彼と一緒にその日を待ちますわ。是非会いにいらして」
「あ、ありがとうございます」
深く頭を下げるリナリアと、姿勢を変えずに優雅に立つロゼリス。僅かだが、ピリッとした空気が流れた気がした。
これが身分の差から生まれる空気なのか? 他の人たちとの挨拶ではあまり感じなかったけれど、これが普通なのかもしれない。
トレチアさんとロゼリスが元々仲が良いからあまり感じた事が無かったけれど。目の前の二人を見ていると身分の違いをひしひしと感じる。
(王族と貴族と、そして平民か)
王族と貴族でこれだけ差を感じるという事は、王族と平民の差はもっともっと大きいのだろう。
となると、この一年間、俺と共に過ごしてくれたあの二人の関係がどれだけ凄いものなのかが分かる。
あの二人というのは、もちろんガルベラ王子とナタムの事だ。
グロリオさんとリナリアが去って、再びロゼリスと目が合えばどうされましたか、と小声で聞かれた。「ナタムの異端さを実感したところです」と答えれば「何で急にナタム……?」と更に疑問が返ってきて。
その反応の仕方がいつもの彼女らしい感じがして、俺は少しだけ安心した。だが俺たちの会話は噛み合わないまま、次の人への挨拶へと移行していった。
「タクミ様、少し休まれますか?」
「そうですね、休みたいです」
控え室のソファーに座り姿勢を崩した。
無事に祝賀会での挨拶周りが終わり、一気に緊張が解けた俺は、案の定体調を悪くした。見事に視界がだいぶ揺れている。
初めから悪かった顔色は更に悪化していたらしく、念のため治療師さんに魔法を掛けてもらうも変化はなく。
精神的な疲れだろう、とトネアス王子の命令で大広間から追い出されるように、強制的にこの部屋へと戻された。
祝賀会はまだあと二時間ほど続く。
ロゼリスは庭師の仕事も兼業している為か、祝賀会の中でやらなければならない事がまだあるのだと言って、俺をここまで送ったあと、すぐに大広間へと戻っていった。
だから、今この部屋には俺と近侍のフレーゼ、それと城内常住のお手伝いさんしかいなかった。
もう、気を張るのはやめていいだろう。疲れたな、そう思い手も足も伸ばして大の字になる。フレーゼからは、何も指摘されない。それはこうしていても大丈夫だという証だった。
ぼんやりと天井を見上げていると、フレーゼがお茶を出してくれる。いつもとは違うお茶、いわゆるアイスティーだ。
「タクミ様は疲れた時にお茶を冷たくして飲むと、キュラス団長から聞いておりましたので」
どうやらマスターから聞いていたらしい。俺が時々、特別にアイスコーヒーを作ってもらっているのを。
ご丁寧にストローも差されていて、口にすると冷たい紅茶が身にしみていく。フレーバーティーというものなのか、果物のいい香りがするお茶だった。
ぼんやりと過ごす中で、彼との会話は自然と先程の挨拶回りの内容となる。
「挨拶周りの最後は、オルガイ家でしたね」
「完全に盲点だった。でもその前も、盲点だった」
「私の兄でしたから」
グロリオさん達の挨拶を終えて残り二家となった挨拶回り。
実はその残りのニ家とはトレチアさんのご実家・彼女のお祖母さんと、目の前に立つ彼フレーゼ・エクロンのお兄さんだったのだ。
初の社交界デビューでかつ婚約の発表となった俺。最後の方は疲れるだろうから、とトネアス王子たちの采配で挨拶する先を身内で固めていてくれたらしい。
フレーゼは王子たちが、と言ってはいるけれど、きっとその提案を真っ先にしてくれたのは、間違いなく目の前の彼だと思う。
「無事に今日が終われた……ありがとう、フレーゼ」
「いえ、私は私の仕事をしただけにございます」
ソファーに座ったままだが、頭を下げてお礼を伝える。たとえ仕事だとしても、俺は彼に感謝しているから。
彼からは、何も指摘されなかった。
彼もまた優しい。
今回の祝賀会は。貴族はその一族の代表が主に出席すると聞いていた。
彼の実家、エクロン家は彼の兄が挨拶をしていた。それはつまり彼の両親や祖父母、他に上に立つような親戚がいない……ということを指していた。
病気も怪我も魔法で瞬時に治る世界だ。
そんな中で、今日のような国主催の祝賀会に一族の代表が体調不良で出ないというパターンは、確率的には限りなく少ない。
年齢的に寿命でも無いだろうから、それはつまり恐らく彼の両親も例の十年前の襲撃で命を落としていて。
グロリオさんだってそうだ。彼が一族の代表として来ていたということは、そういうことだ。彼の親だって、本来ならばまだまだ元気な世代だろうに。
思い返すと彼と同じように、今日初めて会った貴族の多くが、俺と同世代や少し歳上程度の人たちだった。皆、きっと、そうなのだろう。
(辛い経験をしてきた人たちは、やっぱり優しい人が多い)
誰かの優しさをこうして感じると、心が暖まる。心が暖まると、自分も誰かに優しくしたいと思えるようになる。
(今はまだ、余裕が無いけれど)
無理をしないで、でも頑張って。
でもやはり、時々ストップをかけて立ち止まってでも、誰かに何かに優しくなれればと思う。
目を閉じて今日までのことをゆっくりと思い返せば、先ほどまで隣に立っていた彼女の顔が浮かんだ。
完全なる王女様の気配をまっと彼女は、少しだけ距離が遠く感じた。四方八方から姫様、と声を掛けられ振り向き笑う彼女。俺の隣で何を思っていたのだろう。
早く会って色々と答え合わせがしたい、そう思えば急激に睡魔が押し寄せる。
昨夜は緊張してあまりよく眠れなかったから。
ぼんやりと思いながら、残り少ない意識で側にあったクッションを引き寄せた。
部屋の扉が開いた時には俺はすっかり眠ってしまっていて。
目を開けた時には、部屋に夕陽が差し込む時間となっていた。