第131話 雪の花
青空の下。一台の大きな馬車が止まり、その前にはペルシカリアさんと、彼女と共に来た大きなペンギンが立っていた。
雪花を抱えていた腕を解くと、ピョンと地面に足を下ろした雪花から彼女らへ視線を移す。
「ペルシカリアさん、ありがとうございました。
雪花の事、どうぞよろしくお願いします」
深々と頭を下げることに迷いはない。だが寂しさは変わらずにある。
これで雪花とはお別れ。もちろん彼女の保護下で過ごす予定だし、永遠の別れというわけではないが、それでも自分たちの元を離れて遠くにいってしまうのは、寂しいものである。
(寂しいのは、俺だけじゃない。雪花も、そしてロゼも寂しいんだ)
自分だけではないと分かってからは、残りの一日だけでもと、出来る限り雪花の前では明るくいつも通りに振る舞った。雪花が俺を思い出した時に、楽しい記憶を思い出してほしいと思うから。
姿勢を正してペルシカリアさんに一礼をすれば、少しだけ表情を緩ませた彼女が「叩いてしまってすまなかった」と同じく頭を下げた。
彼女が謝る必要はない。むしろ彼女のおかげで色々と俺の間違った思い込みに気付かされたというのに。
それを伝えると「あのあとナタムに怒られた。相手がタクミだったからよかった、と」とバツの悪そうな顔をした。
へえ、ナタムも怒ったりするんだな。そう彼の方を見れば彼はキョトンと俺たちの方を見返してきた。
広場には俺たちとロゼリス、ナタムにガルベラ、そしてトレチアさんがいた。ガルベラは公務で立ち会えない王様やランタナ王子の代役として来ているそうだが、トレチアさんやそれぞれの御付きの人たちもいたりして、いつものメンバーとそう変わらない顔ぶれだった。
「拓巳くん。雪花にあれ、渡そう」
「う、うん。今出す」
隣に立ったロゼリスに声をかけられ、俺は慌ててポケットを探る。
取り出したのは一本の紐だ。
「はい、雪花。俺たちから贈り物。
これは『おまもり』だよ」
海の中でも滅多に千切れることのないという紐。
その中央には小さな虹色の石が括り付けられている。しゃがんで雪花の足首へと紐を結べば、耳元でピューイと雪花が鳴いた。
「何かの天然石……いや魔法石か?見ない色をしている」
横からガルベラが石を覗いて呟いた。彼の言う通り、これは魔法石だ。説明しようとして、開きかけた口を閉じる。だめだ、この石の話は他人にはできない……。
このお守りの魔法石は、昨晩ロゼリスが作った物だった。お互い雪花に何かを持たせたいと思っていて、相談して意見が一致したのが『御守り』こと魔法石だった。それまでは順調だったのだが。
作り方にやや問題があった。
雪花が夕方の食事の為にと、侍女のヨギさんと部屋を出た時だった。
「急いで試したい事があるの」
二人きりになった途端、そう立ち上がった彼女に。
気づいたら俺はソファーに組み敷かれ、唇を塞がれていてた。
一瞬にして身体が火照り頭が痺れていく感覚。力が入らなくなった。何をしているんだこの子は。
「………ロゼっ」
「ごめん、ちょっと多かったかも」
濃厚な口付けに驚きを隠せない。
いつの間にこんな技を覚えたんだ?
朦朧とする意識の中、見上げた彼女の顔は、恥じらいのカケラもなく冷静そのもので。
「移せちゃった、私の魔力」
「……………はぁ?」
話を聞くとどうやら彼女が俺に花魔法を口移ししたらしい。それから俺の火魔法を口移ししてくれと言われて、そこから長く続いた深めのキス。無事に火魔法を取り込んだ彼女は「熱い」と髪をかき上げていた。
とんでもない事情の連発。理性を勝たせてその時の彼女を押し倒さなかった俺を、誰か褒めてほしい。
元々魔力操作に長けている彼女が、火魔法をも取り込んで複合魔法にして作り出した魔法石。それが目の前にある雪花の足元に光る魔法石の正体だった。
その過程の一部始終を赤裸々に思い出してしまった俺は、急に恥ずかしくなってきてしまい、いやいや今は冷静になれと頭をブンブン振った。
何なんだ? と俺を見るガルベラ。そして彼の隣で少し照れながらも笑うナタム。視線を移せば、明後日の方向を向いている騎士さんたちとにっこり笑うヨギさんがいた。
なんとなくその様子から察すると。
世の中には俺たちだけでなく、既にこの石の作り方を知っている人もいるという事らしい。
当のこの魔法石の製作者の彼女は、静かに雪花の背を撫で続けていて。俺は気づかれないように心の中でため息をついた。
「改めて。雪花の事、よろしくお願いします」
気持ちを切り替えてペルシカリアさんへと再び挨拶をする。笑顔を彼女に向ければ、彼女もふっと口角を上げる。
「解った。タクミ。手を」
「は、はい」
ペルシカリアさんに促され、差し出した右手。訳もわからず彼女を見続ければ、長い袖の下から白い彼女の手が伸びて俺の手に添えられた。
ロゼリスよりもはるかに冷たい手だ。でも何故か温かく優しい手。
その手が僅かに白さを増したような気がして、手を凝視していると、側から彼女の声が聞こえ始める。
「タクミ・ヒムラ…『……ペルシカリア・アイズ・・…*……、……セッカ・………・・*……』
……昔から水族に伝わるまじないさ」
彼女が何と言ったのか、殆ど聞き取ることは出来なかった。彼女たち一族の言葉だろうか。分からなかったけれど、何か強い想いが込められていた気がする。
「ありがとう。よろしくお願いします」
口を開けばお礼の言葉を述べると、彼女が驚きの表情を見せた後、ニッと歯を見せて笑った。
俺はロゼリスと共に、南の空を見る。
今日は天気が良くて空気も澄んでいるからか、遠くにアメルアの水平線が見えるからだ。
やはり距離があるな。そう思いながら眺めていると、クルル……と低く喉を鳴らす声がした。
「雪花?どうした?」
正体はもちろん雪花だ。どうしたのか、とロゼリスと二人でしゃがみ、雪花を見つめる。
俺たちの前に立ち、俺たち…ではなく頭上の空へと顔を上げた雪花は、左右の羽を大きく広げて一声鳴いた。
「ピューイ!」
……?
キラリと視界に小さな粒が映り込む。
頬の一点が僅かに冷たくなり、肩やローブへ掛かる粒を観て、俺はハッと再び空を見上げた。
「雪?これって……雪花の魔法?」
静かにゆっくりと降りてくる、小さな白い氷の粒。
日本だったらこの季節は雪が降ってもおかしくない。だがここはジラーフラ、年末年始にしか雪の降らない国だ。
それに今は、俺たちの頭上には青空が広がっているというのに。雪なんて降るはずがない。
周りの皆も突然降り出した氷の粒に、空を見上げはじめる。
きっとこの雪は、氷魔法の使える雪花の魔法。
「ピューイ!」
そっと手のひらを上に向ければ、随分と冷えてしまった手の上に、ふわりと粒が落ちてきた。
手の上には小さな六枚の花弁がいくつも咲いている。この花を見たのは一年ぶりだ。自宅の玄関前で一人、真っ暗な空を見上げた時以来だ。
懐かしい。
「これが雪の花?」
「うん、そうだよ」
彼女の肩が触れる。ピンクゴールドの髪の間から覗く瑠璃色が、小さな花を写してキラキラと輝いて見えた。わぁっと興奮気味に声を上げる彼女。
「本当に小さな、氷の花だわ。
雪花に出会えていなければ、実物を見るのはまだ先の事だったわね」
「うん」
彼女が雪花を撫でた。
「雪の花。いい名前ね、雪花。パパから貰った名前を大事にね」
目を薄める雪花。気持ちよさそうにクルクルと小さく喉を鳴らす。その間も空から雪が降り続けて肩へと積もっていく。
「雪花、ありがとう。とても綺麗、あなたも魔法がお上手ね。流石、私たちの自慢の子だわ」
「ピューイ!」
雪花を抱きしめるロゼリス。すりすりと身体を寄せた雪花はしばらくの間、彼女の腕の中でじっとしていて、それから俺の胸に飛び込んできた。
その勢いはまさに体当たりで、そのまま俺は後ろにひっくり返り、仰向けになりながら雪花を抱きしめる。
元気で頑張れ、俺も頑張るから。
そう心の中で呟けば、小さな鳴き声と共に「ありがとう」と可愛らしい声がどこからか聞こえた気がした。
*
ペルシカリアさんたちと共に馬車へと乗り込む雪花を見送る。
走り出した馬車の後ろの小窓から、こちらをじっと見つめる黒い瞳を俺とロゼリスも並んで見つめ返す。
小さくなっていくその姿。
次はいつ会えるかな。
そう思った途端、視界が揺れはじめた。
寂しい。
でも耐えろ。
きっと雪花はまだ俺たちの事を見ている。
笑顔で見送るって決めたんだ、だからここで泣くわけにはいかない。
するとローブの下で強く握りしめていた俺の拳に、手が触れた。
「……っひっく…雪花」
彼女が俺の腕にしがみついて、顔を隠す。
「これから寂しくなるな」
肩を小さく震わせながら、コクリと頷いた彼女。
先程まで溢れ出しそうだった涙は、不思議な事に引いていて。
未だ腕にしがみついたまま離さない彼女を、逆の腕で胸の中に引き寄せる。
「春になったら、一緒に会いに行こう。ロゼリス」
再びコクリと彼女が頷き、顔を上げて見えなくなった馬車の方を見つめる。
吹き始めた南風。少し強めのその風は冷たい冬の空の下、温かく王都の中を吹き抜けていった。