第127話 定まらない明日
ジャリッと砂が音を立てる。
あーあ、喧嘩しちゃったよな……これは。
見上げた空には黒い雲が何層にも重なって広がり、朝は僅かに見えていたはずの太陽も姿を隠して、今にも雨が降り出しそうな雰囲気だ。
俺は早めていた足を止めて、それから大きくため息をつく。
思い切り吐いたあとの吸込んだ空気は、凍る程に冷たくて。先程まで燃えそうなくらい早く動いていた心臓が、少しだけその動きを遅くさせた。
雪花との突然の別れを告げられ、急激にとてつもなく大きな不安に襲われた俺。そして俺とは真反対の態度を見せたロゼリス。
寂しさと同時に怒りも湧いた。
彼女は解ってくれるはず、そう思っていたから。
今までにも、こうして互いの意見が一致しない事など、少なからずあったと思う。だがその度に互いが互いの気持ちを理解して、尊重して、上手くバランスを取ってきていた。生きてきた世界が違うのだから、異なる考え方をしても仕方がないと。
だからこそ、俺は今回の雪花の事は彼女も同じように捉えているかと思い込んでいたんだ。俺と彼女が同じタイミングで雪花に出会い、同じ時間を共有してきたから、当然考え方も気持ちも同じだろうって。
でもそれは、俺の単なる思い込みだった。
落ち着いて考えれば、分かることだけど。
やっぱり彼女と同じではなかったことが、今は受け入れられない。
……。
でも、でもだ。
『流石に酷いこと言っちゃったよな』
彼女に“花以外はどうでもいい”なんて。
そんなはずがないのに。
そもそもあの彼岸花だって。俺を想って彼女は護りに行ったのだ。
それに雪花を可愛がる彼女の幸せそうな笑顔は、俺が一番近くで見てきたはずで。そして俺が雪花を思う気持ちと変わらないくらい、彼女も雪花の事が大好きなことは知っているはずなのに。
(どうして彼女の事を信じてあげられなかったんだ)
余裕がなく、自分勝手な考えばかり優先した自分が、なんとも大人気ない。
後悔先に立たずだ。
先程、歪んだ俺の視界に一瞬だけ映り込んだ彼女の顔は、引き攣っていたような気がする。そうだよな、彼女が傷付くような酷い事を俺は口にしたのだから。そうさせて当然だと思う。
これについては、彼女にちゃんと謝ろうと思う。
だけど、同時に湧いてくる思いもある。
この俺の雪花との別れを悲しむ思い、どうしたらいいんだ。
「ピューイ」
背後から小さな鳴き声がしてはっとした。
振り向けば、俺の足元に身体を擦り寄せる雪花がいた。
表情の変わらないペンギンの雪花、だがその仕草からはきっと俺たちが喧嘩になった事を察したのだろう。
『俺の事、追いかけてきてくれたのか』
ゆっくりとしゃがんで背中を撫でながら、俺は城のある方を眺めた。
城から少し離れた場所にある、緑の多いこの場所は。俺がこの世界に来て間もない頃、一人で過ごしていて、近くを通りかかったロゼリスが俺にクッキーをくれた場所だ。
あの時と変わらず、近くには小さな川が流れている。
城からここまでは、大人の足では大した事のない距離。だがペンギンの雪花にとっては結構な距離があっただろう。小さな身体で、こんな俺を追いかけてきてくれたのに。俺はどうしたらいいか分からないなんて、情けない。
『雪花。俺たち、せっかく家族になれるかと思っていたのにお別れなんてな』
雪花を抱き上げて立ち上がった。頭上の黒い雲は更に濃さを増していて、見上げた顔にポツリと雨粒が落ち始めた。
ペルシカリアさんは、日曜日にはここを出発すると言っていた。
ランタナ王子は、俺が雪花の今後を決めろと言っていたけれど。彼のあの言い方だと雪花のアメルア行きはほぼ決まっているようなものなのだろう。きっと俺たちが城に来る前から、ペルシカリアさんと色々やり取りしていたはずだから。
つまり俺と雪花が離れ離れになるのは、避けられない。
その日まであと数日。だったらせめて雪花との時間を少しでも多く過ごしたい。
そう思いながら腕に力を込めると、俺の胸に雪花が顔を埋めた。
髪や肩が本格的に降りはじめた雨で濡れていく。
結局、その日は誰からも声を掛けられる事が無かった。雪花との時間を優先する為に、俺は食事も簡単に済ませてしまい、同じ寮内にいるはずのナタムとも顔を合わせることなく夜を迎え。
いつもと同じように、過ごして。いつものように雪花と共にベッドに入って。俺はランプに火を灯すと、俺の横で静かに目を閉じる雪花を見つめる。
(仕事として雪花の世話をしていたからって、簡単に離れるなんて、俺には出来ない)
小さな黒い背中を撫でる。一瞬だけ目を開けた雪花は俺をじっと見つめると再び目を閉じた。
(いつも通り、接してあげないと)
そう言い聞かせて目の前の背中を撫で続けるも、頭の中はあのロゼリスの引き攣った顔でいっぱいで。
この日、俺が眠りについたのは明け方に近い時間だった。
次の日の朝。寝不足の頭で身支度をし、いつものように雪花を抱えて城へと向かうと、ロゼリスが彼女の侍女ヨギさんと共に城の前で待っていた。
そして、彼女は雪花を預かってくれた。
彼女が門の前に立っている事にかなり前から気付いていた俺。彼女も俺の方を見ていたはずだが、互いの表情が分かるほど近くに来ると、どうしてか互いに視線を逸らしてしまい、それからは視線が合わせづらくなってしまった。
目の前に立つ俺には視線を合わせず「今日は庭師の仕事があるの。学校は休むね」と呟く彼女。雪花には笑顔を向けていた。
ああ、やっぱり傷付けたよな。意を決して謝ろうと思ったタイミングで、彼女は仲間の庭師に声をかけられ、足早にその場を去っていってしまった。
「………」
隣にいた彼女の侍女ヨギさんが困ったような顔をこちらに向けている。すみません、色々ありまして、と言えば、流石は王女専属の侍女さんだ。「いってらっしゃいませ」といつも変わらない笑顔を見せてくれた。
遠くにまだ彼女の姿が見える。追いかける? いいや、夕方の雪花を迎えに来た時にはちゃんと謝ろう。そう彼女の後ろ姿を見ていると、城から出てきた制服姿のガルベラに声を掛けられた。
通学中も、学校でも。いつも通りに接してくるガルベラ。昨日の事については全く何も言ってこない。そして隣では何か言いたそうにナタムが時々視線を向けてきた。
(二人はどう思っているんだろう。やっぱりロゼと同じ考えなんだろうか)
聞いてみたい気持ちもあるけれど、聞きたくない気持ちもあった。それはきっと俺がまだ、雪花と離れ離れになる事を心の底からは受け入れられていないから。
二人の意見を聞いてしまったら。全てを受け入れてしまうような気がして。
それに、話をするのなら先ずはロゼリスと話がしたい。彼女が雪花と離れるその思いの訳を、聞いてみたい。また意見の違いで、俺が一方的に喧嘩をしてしまうかもしれないけれど。
昼前に授業が終わった。明日は週末休みになる為か、教室にはクラスメイトが多く残り、来週末に予定されている卒業式の話で盛り上がっている。
「タクミはこれからどうするの?」
「とりあえず、雪花を城まで迎えに行って……」
それからどうしようか。
植物園の再建の仕事は正直もう殆ど終わりに近い。最終的なチェックはもう庭師団へと任せているし、俺が必ずしもやらなければならない仕事も無かった。
(できることなら、ロゼリスと話がしたいけれど)
彼女はそれこそ植物園での仕事がある。仕事の邪魔はしたくない。じゃあ寮に戻ってゆっくり過ごすか、それとも雪花との思い出作りにどこかへ出かけるか。
どうしよう。
本当にどうしようか。寝不足のせいなのか、頭が上手く働かなくて次の行動が決められない。それに先程から少しだけ寒気もする。昨日、真冬の中雨に濡れ続けたせいなのか、風邪の引き始めかもしれない。
思わず肩を摩った。
「……………」
「ひとまず、迎えに行ってから決めてもいいんじゃないか」
思考停止してしまった俺に、ガルベラが「行こう」と下校を促した。俺は立ち上がり二人の背中を追って歩く。金色と青色の髪の青年たちは、時々俺の方を振り返りながら何かを話していた。
何か言いたいことがあるのなら言えばいいのに。
足を交互に動かす度、少しずつ彼らと距離が開いていくのは何故だろう。物理的な距離だけじゃない。どこか心の距離までもが開いてしまうような気になってしまう。
俺、もしかして今、マイナス思考になってきてる?
二人と心の距離が開くなんて、今まで考えた事など一度もなかったはずなのに。
ああ彼らは。彼らも春になったら俺とは別々の道へと進んで、海の街へ、そして海の向こうの国へ行ってしまうかもしれない。こうして三人で並ぶのも今だけなのか。いつかは、離れ離れになって……。
「「タクミ……?」」
気付くと前を先に歩いていたガルベラとナタムが側にいて。俺の顔を覗き込んでいる。俺を心配している目だ。
そして彼らの間から城の門が見えていて、その門の前には何故かペルシカリアさんが立っていた。
彼女がこちらを見ている。
その目が真っ直ぐ、俺の目を見ていることに気が付いて。
どうしたのかと思ってぼんやりとした頭で彼女近づけば。
突然、強烈な痛みが俺の頬へと加わった。